平安時代 11~12世紀 奈良・金峰山寺
wikiの記載の中に経塚に関する記述があります。転載します。
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金峯山寺の中興の祖とされるのは、平安時代前期の真言宗の僧で、京都の醍醐寺を開いたことでも知られる聖宝である。『聖宝僧正伝』によれば、聖宝は寛平6年(894年)、荒廃していた金峯山を再興し、参詣路を整備し、堂を建立して如意輪観音、多聞天、金剛蔵王菩薩を安置したという。「金剛蔵王菩薩」は両部曼荼羅のうちの胎蔵生曼荼羅に見える密教尊である。この頃から金峯山は山岳信仰に密教、末法思想、浄土信仰などが融合して信仰を集め、皇族、貴族などの参詣が相次いだ。金峯山に参詣した著名人には、宇多法皇(昌泰3年・900年)、藤原道長(寛弘4年・1007年)、藤原師通(寛治2年・1088年)白河上皇(寛治6年・1092年)などがいる。
このうち、藤原道長は山上の金峯山寺蔵王堂付近に金峯山経塚を造営しており、日本最古の経塚として知られている。埋納された経筒は江戸時代に発掘され現存している(奈良県吉野町金峯神社蔵、国宝)。金峯山は未来仏である弥勒仏の浄土と見なされ、金峯山(山上ヶ岳)の頂上付近には多くの経塚が造営された。
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最後から3行目、日本最古の経塚が、国宝展で見ることができました。
大阪、奈良には多くの経塚がありハイキングの途中に参拝するのですが、実物を見るのは初めてでした。感激しました。
奥深い山中の峰々の地下に埋められているものですから、本当に貴重です。
※所蔵に関して:国宝展目録では、金峰山寺になっていますが、wikiでは、金峯神社となっています。
金峰神社蔵と思われますが、いかがでしょう。