この本は、ドキュメンタリー映画『日本原』の中で最後のシーンにでてきます。
1969年、大阪扇町公園で警官に撲殺された糟谷孝幸さん(当時岡山大生21歳)を50年後に追悼して作られた本です。
私は岡山市出身ですが、糟谷さんについてはほとんど知りませんでした。
しかし、この本を読んでみるとずいぶんと身近な話だったことがわかります。
糟谷さんは党派の活動家ではありません。
それでも、当時の若者の多くが持った「何か行動しなくては」という思いを持った人でした。
岡山から大阪のデモに出かけるということはある種の覚悟が必要だったことがわかります。
「逮捕されることもやむなし」という覚悟です。
両親に内緒で出かけた大阪のデモです。まさか命まで取られるとは思わなかったでしょう。
このデモに岡山大学から6名が参加したという記述が『明日への葬列』高橋和巳編の中に書かれていますがどうなのでしょう。
確かなのは、映画『日本原』の主役といっていい内藤秀之さんと二人で大阪に向かったということです。
内藤さんは、一緒に行った糟谷さんをうしなったことを、その後の人生で忘れることはなかったのです。
医学部を中途退学し自衛隊の駐屯地がある県北の日本原に向かい反対農民とともにたたかい、婿養子になります。
酪農農家です。
今も続きます。
その内藤さんが中心になって編集されたのがこの本です。
日本原がある奈義町は、県境に近い厳しい環境です。
中国山地を越えてきた大風は広戸風と呼ばれ恐れられています。
私は日本原の親戚の墓を訪ねた折に墓を辿りました。
17世紀にたどり着きました(後世に造ったのかもしれません)。
関ケ原以後(江戸時代)に開拓に入ったようでした。
日本原の歴史をブログに書かれている方がおられます。リンクさせていただきます。
この日本原を明治の末に陸軍が接収しました。
演習地にしたのです。
姫路駅から姫新線に乗って兵隊がやってきました。
今は自衛隊だったり米軍だったりします。
日本原での反戦運動は今も続いています。
私は以前から県北の人は我慢強く誠実な人が多いと感じていました。
今回、その思いを一層強くしました。
お読みいただきありがとうございました。
💛ウクライナに平和を💛