ワシントンの日本語学校の校長を3年勤めた伊藤正治さんは、
「人としてどうあるべきか」を教える教育のが日本の教育であり
「自分とは何か」を迫る教育がアメリカの教育だと話す。
このような視点で教育を考えたことのない私にはとても新鮮な対比だった。
日本の教育が、人はどうあるべきかを教えていることはよくわかる。
江戸期の藩校や寺子屋以来の伝統だ。
人としての道を示し、導くという教育だ。
その日本で「自分とは何か」と問う教育はなかったのだろう。
アメリカの教育が「自分とは何か」を迫る理由は、やはり移民の国だからかもしれない。
その結実が「ルーツ」という小説だろうか。
自分たちは「なにものか」と問い続けて、奴隷船に載せられる前のアフリカの村まで辿る。
それはアイデンティティの確立であり、自らの誇りとなる。
「自分とは何か」とは、確固たる自己の確立のための欠かせない問いと思われる。
一方、日本人は「自分とは何か」を問う必要はなかった。
親が生きたように生き、子も同様に生きていく。
自分の一族の一員。長い家系の一こまだった。
しかし、現実は教育を追いこして先に行ってしまった。
人は郷里を後にして、異郷の都会へ集中するようになった。
そこでは自前のアイデンティティはない。
人は不安になる。不安定になる。
このような事態に東北の被災地がなりうるというのが、伊藤正治さんだ。
伊藤正治さんは大槌町の教育長という職についている。
「津波は、ふるさとの街並みも自然も奪った。今の子どもたちは、廃墟を見ながら成長する。これから生まれる子は、津波の前の大槌をどう知ればいいのだろう」
故郷を喪失したといってよいだろう。
67年前に日本の多くの都市は焼け野原になった。しかし、同じ場所に再建することは可能だった。阪神淡路大震災でも同様だった。
しかし、今回の大震災は、それができない。
被災地には新しい教育が必要だと伊藤正治さんは活動を開始する。
『ふるさと科(目)』をつくりたい。『教育復興の柱にしたい』」と。
※1月21日朝日新聞 文化欄 人・脈・記を読みながら。
「人としてどうあるべきか」を教える教育のが日本の教育であり
「自分とは何か」を迫る教育がアメリカの教育だと話す。
このような視点で教育を考えたことのない私にはとても新鮮な対比だった。
日本の教育が、人はどうあるべきかを教えていることはよくわかる。
江戸期の藩校や寺子屋以来の伝統だ。
人としての道を示し、導くという教育だ。
その日本で「自分とは何か」と問う教育はなかったのだろう。
アメリカの教育が「自分とは何か」を迫る理由は、やはり移民の国だからかもしれない。
その結実が「ルーツ」という小説だろうか。
自分たちは「なにものか」と問い続けて、奴隷船に載せられる前のアフリカの村まで辿る。
それはアイデンティティの確立であり、自らの誇りとなる。
「自分とは何か」とは、確固たる自己の確立のための欠かせない問いと思われる。
一方、日本人は「自分とは何か」を問う必要はなかった。
親が生きたように生き、子も同様に生きていく。
自分の一族の一員。長い家系の一こまだった。
しかし、現実は教育を追いこして先に行ってしまった。
人は郷里を後にして、異郷の都会へ集中するようになった。
そこでは自前のアイデンティティはない。
人は不安になる。不安定になる。
このような事態に東北の被災地がなりうるというのが、伊藤正治さんだ。
伊藤正治さんは大槌町の教育長という職についている。
「津波は、ふるさとの街並みも自然も奪った。今の子どもたちは、廃墟を見ながら成長する。これから生まれる子は、津波の前の大槌をどう知ればいいのだろう」
故郷を喪失したといってよいだろう。
67年前に日本の多くの都市は焼け野原になった。しかし、同じ場所に再建することは可能だった。阪神淡路大震災でも同様だった。
しかし、今回の大震災は、それができない。
被災地には新しい教育が必要だと伊藤正治さんは活動を開始する。
『ふるさと科(目)』をつくりたい。『教育復興の柱にしたい』」と。
※1月21日朝日新聞 文化欄 人・脈・記を読みながら。