北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

湿原のタンチョウヅル

2010-07-26 23:48:15 | Weblog
 昨日の湿原の話題をもう一つ。

 鶴居村のどさんこ牧場へ向かう車の中。牛がのんびりと草を食べているような農家の脇を走りながらSさんが「このあたりの農家には大体一軒に一つがいのタンチョウヅルが居候をしているんですよ」…と言っている矢先に、「あ!ほらほら、いましたよ!」

 Sさんが指さす方には牛のために積まれた干し草の回りに二羽のタンチョウがこちらを見ています。




「本当だ、すごいですね。それにしてもタンチョウヅルというのは本来渡り鳥ではないのですか?」と私。実はツルのことはほとんど知らないのでなんでも訊いてしまいます。

「渡るのもいれば、留鳥となって動かないのもいたのでしょうね。結果として動かなかったタンチョウが乱獲を逃れて生き延び、保護運動もあって今日に至っています」
「農家に一つがいというのはテリトリーなんでしょうか」 

「おそらくそうだと思います。この時期は彼らはカエルやミミズなどの動物を好んで食べます。冬になるとトウモロコシ畑の落ちた実などを食べていますが、給餌は穀物でやっていますね。今干し草にいるタンチョウもおそらくはミミズなどを食べているんだと思いますよ」

 なるほど、と思いながら車を走らせると今度は子供を連れた家族が草原を歩いています。親は白いのですが、子供はまだ茶色で遠目にもほのぼのとしています。




「ツルに給餌をするというのは飼い慣らすことに繋がって、本来の自然ではないという意見はありませんか」
「そういう考えの方も確かにおられます。でもこのあたりの農家の方はもっとゆるく考えています。ある方は『このあたりに入植した時に、回りに誰もいなくて心細かった時にその姿を見て慰められることもあった。数が減った今、餌をあげるのはその頃への恩返しみたいなもんなんだよ』と言っていました。助けてやっているという上から目線ではないところがゆるくて良いんですよ」とSさんは笑います。

「農家の人たちはタンチョウをありがたいと思っているのでしょうか、それとも疎ましく思っているのでしょうか」
「その中間ではないでしょうか。やはりある農家の方が『タンチョウは子供みたいなもんだよ。いればいるで可愛いけれどときどき憎たらしくもなる。わしらの作業の邪魔になるような時は叱ってもやらなきゃならん。でもいなくなれば良いと思うことはないね』とおっしゃっていました。このあたりが皆さんの共通な思いじゃないでしょうかねえ」

    ※    ※    ※    ※

 このタンチョウヅル、昔は本当に少なかったのですが、熱心な保護政策の甲斐があって、少し前の調査では生息数が概ね1000羽を超えた、ということが話題になっていたのだそう。
 これが本当の千羽鶴でなんだかおめでたいのです。

 こんな風景が当たり前に見られるというのはなんと幸せな大地であることか。 
コメント
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