北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

釧路湿原周辺の風景

2010-07-07 23:52:21 | Weblog
 本日も管内自治体等への挨拶回り。一日ではとても回りきれないので二日に亘っての挨拶回りです。

 まずは今は釧路市と合併をした阿寒地区(合併前は阿寒町)を訪問して現地の職員に挨拶。

 阿寒町と言えば、阿寒湖畔の温泉街が印象的なのですが、旧阿寒町役場がある阿寒本町地区は湖畔よりもずっと手前の釧路よりにあります。

 釧路から阿寒湖へ向かう半分より少し手前くらいにあるのが阿寒本町でここから阿寒湖畔まではあと40kmほど。釧路市の中心部から阿寒湖畔までは直線距離で約60kmほどもあるのです。

 阿寒丹頂の里ではタンチョウヅルについての博物館があり、生態や興味深い情報について教えてくれます。

 タンチョウヅルの頭が赤いのは、ずっと『赤い羽根が生えている』と思っていたのですが、実はぶつぶつの皮膚に毛細血管が浮き上がっているので赤く見えるのだと言うことが分かりました。よく見ると気持ちが悪いですねえ(笑)。

    ※    ※    ※    ※

 阿寒湖畔で地元のNPOの皆さんなどと昼食。最近こちらでは地元のエゾシカ肉を使った「阿寒やきとり丼」というご当地グルメに力を入れています。


 http://www.akan-yakitoridon.com/

 エゾシカ肉で「やきシカ」ならぬ「やきとり」というのも不思議ですが、室蘭の豚肉のやきとりということもあるので、串に刺して焼く肉料理は通称「やきとり」というシャレということで笑って済ませましょう。

 今回は「味心」さんのやきとり丼を美味しくいただきましたが、現在阿寒湖畔では五軒のお店でそれぞれ特色あるやきとり丼が食べられるそうですから是非食べ比べてみたいところです。

    ※    ※    ※    ※

 阿寒湖畔を後にしてさらに周辺の自治体の首長さんをお訪ねしての挨拶回り。

 このあたりは日本でも指折りの酪農地帯ですが、ある自治体で宮崎県の口蹄疫の影響を伺うと、「それは大変なことですよ」と心配顔。

 このあたりでは仔牛をわざわざ運んできてもらって預かり、何年か育成して成長させたところでお返しをし、その分の費用をいただくという仔牛育成ビジネスが盛んです。

 しかし口蹄疫騒ぎで念のためのリスク対策として一時仔牛の受け入れをストップしたそうです。

「年間数千万円の減収は覚悟の上ですが、騒ぎが早く収まって欲しいです」とは町長さんの弁。

「うちが預からないということは、うちの都合でそれは良いのですが、一方で出す側は困ってしまうわけですよね。経済というのはとにかく回っていることが大切で、回っているということはそれ自体に必要性と意味があるのですから」

「緊急事態が発生したら止めればよいと言うことではない、とおっしゃるのですね」
「そうです。牛ひとつ取っても、わざわざお金を掛けて遠くまで運んでくる意味とメリットがそこにあるから預けてくださるんです。そして経済というのは今日お互いが複雑に関係していますから、うちで預かることで今度は餌や燃料が動き周辺の人々の経済が回って行くんです。もちろんモノが動けば観光もそうですが『病気と犯罪』が一緒について来るものです。しかしそのリスクをできるだけ押さえつつ、経済循環はやはり回して行かなくてはならないのですよ」

 宮崎の口蹄疫が病気の伝搬ではなしに、日本の反対側に経済への影響として現れるというのも興味深い話でした。


 それにしても、挨拶回りをするだけで阿寒国立公園と釧路湿原国立公園という二つの国立公園を回ることになりました。一級の自然に当たり前に囲まれていることは幸せなんだけれど、あまりに日常で麻痺してしまいそうです。

 それを払拭するのがヨソ者の視点なのですが。

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釧路は炭鉱のまち

2010-07-07 23:39:58 | Weblog
 本日は主に市内の主要産業系の企業・団体への挨拶回り。

 釧路の三大主要産業と言えば、漁業、石炭、製紙の三つです。小学校の郷土教育では必ず教えられる項目で、今の大人ならまず知らない釧路市民はいないはず。

 さすがに最盛期ほどの勢いはないものの、地域を支える経済基盤としていまだに存在感を示しています。

 このうち石炭はかつて太平洋炭礦株式会社として産出していたものが、エネルギー政策の変化の中で2002年に閉山して、その後地元の経済界などが出資した釧路コールマインが採炭事業を引き継ぎ、年間70万トンの採炭をしています。

 道内では空知地方で露天掘りによる採炭が続けられているところもあるのですが、地下の坑道を掘り進んで採炭をしているのは日本ではここだけという生きている炭鉱=「生き山」になりました。





 掘り出された石炭が発電などの産業に貢献しているということは当然として、今ではベトナムや中国などのアジア諸国からの炭鉱技術を伝える研修炭鉱としても期待が大きく、今日施設を見せていただいたときにはベトナムからの研修生達が太平洋の地下数百メートルの坑道に入る準備をしているところでした。

 これは、国の「炭鉱技術海外移転事業」(2007年からは「産炭国石炭産業高度化事業」)を受託しているもので、アジアからの研修生受入・技術者派遣を受け入れている唯一の現場と言うことでもあります。

 この受託事業はとりあえず2011年度までは認められているものの、その後の成り行きが懸案でもあります。もはやエネルギー政策だけではなく技術移転による国際貢献の意味合いを持っているわけで、この事業継続にも頑張らなくては。

 ベトナムの研修生の人たちの目の輝きを消すわけには行きません。
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