この北の心の開拓記の記事数が2000話を超えました。
そろそろだなあ、と思ってはいたのですが確認もしないままに日々書き連ねてしまいました。
先ほど確認をしてみたところ、この記事が2005話目ということになりました。とっくに2000話めを過ぎていたのですね。
北の心の開拓記としては、2005年4月7日の記事が最初ですが、掛川から帰ってきてから札幌でブログとして書き始めたのが始まりです。
「北の心の…」になる前には掛川で「掛川奮闘記」というタイトルの日記をつけていましたが、当時はまだブログという形式が一般的になる前でした。
テキストを打ち込めばすぐにホームページになるという便利なツールは「エンピツ」という日記サイトくらいでしたが、その後にブログという形式が出てきて世間を席巻しました。まさにその過渡期にあったわけです。
掛川時代の「エンピツ」サイトには約700話ほど書いていた計算ですが、今思えばブログに移行するための良い練習になりました。
最初は日々書くような自信がなくてこっそりと書いていましたが、毎日その日のうちに感動したりインスパイアされたことを探してそれをテーマにすることと、自分なりの文体が固まってきたことで、毎日書く自信がついてきたものです。
それでもやはり現場にいて、生のルポルタージュのネタに触れられるような所にいると感動の度合いが違う分、書く記事にも力が入ってくるようです。
次の目標は読者が倍増することと、三千話をめざすことに置きましょうか。
まずは日頃のご愛読に感謝申し上げます。コメントのあるなしは気にしなくて良いので、日々覗いてみてくださると嬉しいです。ありがとうございます。
そろそろだなあ、と思ってはいたのですが確認もしないままに日々書き連ねてしまいました。
先ほど確認をしてみたところ、この記事が2005話目ということになりました。とっくに2000話めを過ぎていたのですね。
北の心の開拓記としては、2005年4月7日の記事が最初ですが、掛川から帰ってきてから札幌でブログとして書き始めたのが始まりです。
「北の心の…」になる前には掛川で「掛川奮闘記」というタイトルの日記をつけていましたが、当時はまだブログという形式が一般的になる前でした。
テキストを打ち込めばすぐにホームページになるという便利なツールは「エンピツ」という日記サイトくらいでしたが、その後にブログという形式が出てきて世間を席巻しました。まさにその過渡期にあったわけです。
掛川時代の「エンピツ」サイトには約700話ほど書いていた計算ですが、今思えばブログに移行するための良い練習になりました。
最初は日々書くような自信がなくてこっそりと書いていましたが、毎日その日のうちに感動したりインスパイアされたことを探してそれをテーマにすることと、自分なりの文体が固まってきたことで、毎日書く自信がついてきたものです。
それでもやはり現場にいて、生のルポルタージュのネタに触れられるような所にいると感動の度合いが違う分、書く記事にも力が入ってくるようです。
次の目標は読者が倍増することと、三千話をめざすことに置きましょうか。
まずは日頃のご愛読に感謝申し上げます。コメントのあるなしは気にしなくて良いので、日々覗いてみてくださると嬉しいです。ありがとうございます。