北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

中学校の時のある事件

2014-03-17 22:37:43 | Weblog

 もう時効だと思いますが、私が中学生だった時にクラスでちょっとした事件がありました。

 一日の最後の教科が終わって先生が教室から出ていき、クラスメートが放課後を過ごしていると、さっき出て行ったばかりの先生が怖い顔をして教室に戻ってきました。

「さっきドアをバタンと閉めたのは誰だ?」

 皆何を言われているのかよくわかりません。

「誰がドアを強く閉めたんだ?君か?何か不満があるのか?」

 その先生は教室の前の扉の一番近くに座っているA君を指さして睨みつけました。

 どうやら先生は、教室を出た際にクラスの誰かが先生に対する反抗心からドアを強く締めただろうと思ってそれに腹を立てている様子です。

 そんな事実はないので、クラスメートは声も出せずに固まってしまい、先生は一方的にAを犯人と決め付けて、「今度やったら許さないからな!」と言い放って教室を出ていきました。

 皆とりあえずほっとしたものの、悪し様に言われたA君は半泣きで、「僕じゃないよね!」と周りに訴えています。もちろんA君がそんなことをしていないのは皆知っているのですが、先生の勘違いはどうしようもありません。

 なんだか嵐が過ぎ去ったように思っていると、クラスの一人のKが、「俺、行ってくる」と言って教室を出ていきました。

 どうやら先生の誤解を解こうと勇気を奮って職員室に向かっていったようでした。


 そして10分後に戻ってきた彼は、鼻血を出して頬は腫れているのが分かりました。明らかにその先生に殴られたようだということが誰の目にもわかりました。

「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」

「殴られたのか?」
「…」

 その後のことは私の記憶から飛んでいます。ただ、Kが意を決したようにして教室から出ていき、顔を腫らして帰ってきた印象だけが強く今でも映画のワンシーンのように思い出されます。


   ◆   


 一か月くらい経った頃に、私と一人の女子生徒が担任の先生に呼ばれました。

「ちょっと二人に話があるので放課後に職員室に来てくれないか」
「はい、わかりました」

 そのとき私は学級委員長をしていて、もう一人の女子生徒は副委員長でした。

 言われた通り、放課後に職員室を訪ねると先生は我々を誰もいない隅に連れて行き、そこで「一か月くらい前のK君と先生のことなんだが…」

 それまで私はそのことすら記憶から飛んでいたのですが、どうやら先生がKを殴ったということが他の先生も知るところとなり、問題になりかけているようなのでした。

「あの先生もやりすぎたと反省しているんだ」そう担任の先生は言いましたが、私も「ですが、A君は本当に何もしていないのに、君がやったのかと決めつけました」と意見を述べました。

「…うん、で、そのことなんだが、あの先生がクラスの皆に謝った方が良いだろうか。君たちは学級委員なのでまず意見を聴きたいんだが」

 突然の申し出でしたが、先生の理不尽さと共に、一方で(こんなに時間が経ってからいまさら何を言うか)という思いもしました。

 第一私自身、そういわれて改めて思い出したくらいで忘れいたのです。

 少し考えてから私が出した結論は、「僕はK君に対して先生が謝ってくれれば、クラスに対してはもういいと思います。皆もう忘れていると思います。今更いやなことを思い出したくはないのじゃないでしょうか」

 するともう一人の女子も「わたしもそれで良いと思います」と言ってくれました。

「…そうか…。分かった。うん、もういいよ、ありがとう」


 そうして私たち二人はその後は無言で教室へと戻りました。

 結局、その先生がクラスの皆に対して謝罪をすることはありませんでした。風の便りにその先生が数か月後に他校に移って行ったことも知りました。

(あれで良かったのだろうか…)

 今でも時々、あの時の私自身の判断が良かったのかと考えることがあります。

 最近も新聞やテレビでときどき、暴力をふるった先生のことが取り上げられて、「もうそんな時代ではない」とか「誤った教育方法」といった論調が書かれているのを見ると、指導や教育ということと全く違っていいがかりをつけられたように被害を受けた皆が感じる不条理を思い出します。

 今日のこの時代ならばマスコミ大きく取り上げかねないような出来事でしたが、そのときの始末の付け方を中学校に入ったばかりの私たちに問われて、思わず波風を立てない方が良い、忘却の彼方に置いておこう、と考えた私の考えは良かったのか、と。

 
 その後中学校も転向した私で、その地域の友人たちともすっかり疎遠になりました。今では他の思い出もほとんど残っていません。 

 しかし突然ある種の判断を求められた時に人は、自分自身の魂が言葉となって出てくるという経験をしたのだと思います。

 私は誰かの悪事を殊更にあげつらってさらに波風を立てることを嫌ったのだ、と。

 それが子供の未熟さゆえだったのか、それとも大人の判断だったのかもわかりません。でも判断を下すことの厳しさを知った貴重な経験でもありました。

 中学校は子供と大人の間にありました。
 

コメント
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