北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

基礎学力保障論~北海道教育の進む道

2014-03-19 23:50:43 | Weblog

 学校の先生たちの勉強会「エデュケーション・アゴラ」という会があって、そこでの講演会に出席してきました。

 今日の講師は道教委学校教育次長の武藤久慶さん。彼は文科省から道教委へ出向して三年目となりますが、この間一貫して北海道の教育レベルを引き上げたいという思いで精力的な活動を続けています。

 この春で満三年となることから、もしかしたら最後の講演になるかもしれないという危機感もあって教師でもない私ですが参加してきました。

 会場は札幌駅近くの紀伊国屋書店が入っている55ビルの四階にある道教育大学札幌駅前サテライト"hue pocket"。本来募集定員40名のところを120名以上の参加希望者があり、後ろの方は机のない椅子だけの席で満員御礼です。

 さて、今日の講演タイトルは『基礎学力保障論~基礎学力軽視のディープインパクト』。北海道の学力はどう上がるでしょうか。


    ◆   ◆   ◆


 全部で二時間に亘るプレゼンの前半は、北海道の教育レベルの情報共有です。毎年春になると北海道の子供たちの学力は全教科で全国平均以下と言う話題が持ち上がります。

 しかし言われっぱなしではいられない。この問題に対する道教委の基本スタンスは、「生まれ育ったところによって学力に差があるなら埋めなくてはならない」という極めてシンプルなもの。

 そこで平成26年度の全国調査までに学力を「全国平均以上」にすることを目標として掲げ、授業改善と同時に、家庭学習を含めた望ましい生活習慣の定着を車の両輪と位置付け、学校・家庭・地域が一体となった取り組みを進めることとしています。

 しかしそういう道教委の意気込みに冷や水をかけるリアクションも数多くあったのだそう。

 それは学力を高めることを数値目標にしているために、詰め込みにならないかという懸念や、知識より思考力ではないかというアプローチのブレ、また知識よりも豊かな心や健康な体が大事という価値観の相違などが教育的視点からありました。

 また一方で、学校の数が多いのだから差があって当たり前だ、という投げやりな意見や、親と家庭に問題があるというすり替え、果ては学力をつけると地元に居ついてくれない、という親の実は切実な声なども帰ってきたのだそう。

 しかし、武藤さんの主張は、そんなに高いレベルの学力を求めているわけではありません。

 逆に、下位25%の範囲にいる子供たちの学力のあまりに低すぎる現実、つまり教育的惨状を見て、これでもそのままでいいというのだろうか、という投げかけです。

 基礎的な読み書きが不自由で、数の概念が形成され定着していない子が全国平均よりもかなり多くいるのが北海道全体の教育水準。

 小学校中学年~高学年での躓きは、中学ではとりかえせずあとはそこに留まるしかなく、学校生活は苦痛そのものでしかありません。

 

    ◆  


 武藤さん曰く、「こういう話をすると、聞いてくれる人たちの7割以上は『そうだ、その通りだ』と言って下さるのですが、それでも残りの二割ほどは、『それでも知徳体のバランスが大事だと思う』と思っている」のだそう。

 そして各種調査から見える道内の子供たちは、夜10時間以上寝るという子が全国平均よりも格段に多く、体力では劣り、肥満で虫歯も多い。

 さらには自尊意識や規範意識もそれほど高くはない、ということは豊かな心でいるわけでもありません。

 まさに学力と生活というこの両輪を立て直さなくてはいけない危機的状況だということです。


    ◆   


 実は、テストの採点を請け負っている業者から道教委に頼みもしない情報が提供されたとのこと。

 それは、「テストの解答用紙に読めない文字が多すぎる」ということ。すでにそこから何かが崩れているのです。

 生活が乱れるということは、生活に気を付けていられない心理的変化がその子の中に起きている、と考えることは重要で、下駄箱に正しく靴が置かれているかどうかを一日に二回も見に行く生活指導の先生もいるくらいだそう。

 筆箱一つにも鉛筆以外にキャラクターアクセサリーがちゃらちゃらついていて平気なクラスがあり、子供たちの服が散乱し、教室がゴミで汚れているところもあります。

 武藤さんは「隠れたカリキュラム」という言葉があるのだ、と言います。

 それは教科書で学ぶ以外のところで、ごみが散乱している教室が平気なら、「掃除などしなくたっていいんだ」ということを子供たちは学校の授業を通じて学んでしまっているのではないか、学校や教師にはそんな狙いはないのに、子供たちの中にその手の思いが宿り学習してしまっているとしたら、これはゆゆしい問題です。

 

    ◆   ◆   ◆

 

 さて、基礎学力が身についていないということはどういうことかというと、世の中で働くことができないということに繋がります。

 道央のマクドナルドの店長のエピソードとして、こういうことがあったそうです。

 基礎学力のない子供をレジに立たせるとどうなるか。マニュアル通りの挨拶ができない、注文を復唱できない、19時からのタイムサービスが夜7時からということがわからない…。

 また別な話で、道東のある田舎で、中学生が一人バス停の前にずっと立っている姿が見かけられたのだそう。実はその子は、時計が読めないのでいつバスが来るか分からず、ただただバス停の前で待っていたという話。

 これらは極端な例なのだとしても、日常生活に加えて働き収入を得るという道さえ切り拓けない次世代を作り上げてしまうことのマイナス面は極めて大きいと言えるでしょう。

 武藤さんは、「まず行動しているかどうかを大切にしたい。理想が分かっているかどうかは心の問題として、それを具体に実践しているかどうかなら外から見ても分かる。そうして学ぶときの体の姿勢や整理整頓の心構えといった面を鍛え、学習は定着させるということをきっちりと行うべきだ」と言います。

 北海道の子供たちは高校を出てから地域に残る率が九割近くいるのだそう。そういう子供たちの学力レベルはそのまま地域のレベルに繋がっているのだから、地域でもしっかりと支えていきたいものです。


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 話の途中で、今川義元の『むごい教育』という話がありました。

 どこまでが歴史上の史実かはわかりませんが、今川義元の逸話としてこういう話が残っているそうです。

 それは、今川義元は後の徳川家康こと幼名竹千代を人質として預かった時に、家来に対して「竹千代にはむごい教育をせよ」と命じたのだそう。

 その命を受けた家来は、竹千代に粗末な食事を与え、ほとんど休みなしで武術を教え込むような生活をさせました。

 ところがこれを聞いた義元は大いに怒り、こう言いました。「人質の竹千代には朝から晩まで、海の幸や山の幸あふれる贅沢なご馳走を好きなだけ与えてやれ。寝たいと言ったらいつでもいくらでも寝かせてやれ。夏は暑くないように、冬は寒くないようにしてやれ。学問が嫌だと言うならやらせるな。何事も、好き勝手にさせたらよい」と。

 そしてそれこそが、大名同士が争い他家を没落させる最良の手段であることを今川義元は知っていた、というお話。

 これを私たち道民は笑えるでしょうか。

 厳しくも温かい目と、子供を育てるという高いスキルでより良い次世代を支えてあげたいものです。

 幸い、道教委の動きには刺激され勇気を与えられた先生たちも増え、少しずつ学力の程度は上がっていると言います。

 教育者でなくとも、この問題には関心を持って、様々な局面で支えたいものですね。

 武藤さん、ありがとうございました。 

 

コメント
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