日本最北のまち、稚内にゆかりのある人たちの集まりが札幌で開かれました。
名付けて稚内FTC札幌会というのですが、FTCとは"Free Talking Club"の頭文字をとって、好き勝手なことを言い合おうということからこの名がついたもの。
元々は稚内信用金庫の伝説的経営者であった井須孝誠(いす・こうせい)さんを囲んで、市内の様々な職場のトップの皆さんが集まった会合でした。
しかし稚内は転勤族が多く、皆さんやがて稚内を離れて行ってしまいます。でも「転勤してしまう」ということは、次の方がまた稚内へ来るという事です。
稚内を離れていくときに、良い思い出をもっているのならそれは毎年のように『ファンが増える』ということと同じです。稚内を出た人たちが他の地で活躍して、稚内のファンとしていてくれるなら素晴らしいことですね。
稚内を離れた人は、やはり札幌に多く集まるので今日のFTC札幌の会には多くの方が集まって私もまだ離れたばかりなので知り合いも多く、旧交を温めました。
稚内の産物の宣伝やふるさと納税のすすめなどもあって、一宿一飯の恩義が呼び起させます。稚内のファンをもっと増やしましょう。
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ところで、稚内信金は日本最北の信用金庫ですが、経営の安定度を示す数値である自己資本比率は63.99%(2015年3月現在)と信用金庫では他に類を見ない驚異的な数字で、これは国内金融機関でも最高レベルを誇っています。
今日のこの姿に繋げるような組織経営を長年にわたってリードしたのが、この会のきっかけになり稚内信用金庫の井須孝誠さんです。
経済人としての徳性を重んじ、人脈を形成せよ、と勧め、若い女子行員にも優しく語り掛けるような、経営陣であり人格者でした。
そんな井須さんですが、平成26年12月に亡くなられ、その生前の遺構を集めた遺稿集が「やせ我慢の経営」というタイトルで一冊の本になりました。
【非売品】
井須さんを慕う多くの人たちの手による本で、これを読むことで生前の遺徳がしのばれます。
井須さんと稚内信金にとって大事件だったのが、昭和52年の200カイリ問題でした。魚が取れなくなることは当時の稚内にとっては死活問題で、水産業が大きく動揺しました。
不安になった多くの水産業者が融資を求めて来たのに対して多くの稚内の金融業支店はそれを渋ったのに対して、稚内信金だけは積極融資を行いました。
「人々の不安を解消しさえすれば動揺は収まる」そう確信しての積極融資でしたが、目論見通り不安はやがて収まります。残ったのは稚内信金の絶大なる信用だったのです。
このいきさつを、この本はじつにさらりと書いています。結果を知っている私たちもさらりと読み流しそうですが、決断を迫られたその時の心情を慮ると、ぞっとします。
優れた経営者を偲び、後に続くものの背中を押してくれるような言行録はちゃんと残しておいて欲しいものです。
もしも目に留まるような機会があればぜひご一読をお勧めします。