北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

神社の参拝の所作もかわるのか ~ コロナでひしゃくもない神社

2020-06-15 21:43:14 | フライフィッシング

 先日職場の同僚と市内を車で走っていて、彼が突然「あの大きな鳥居はなんですか?」と聞いてきました。

 彼はこの春に本州から転勤してきたので、札幌市内の事はまだあまり詳しくないのです。

「あれは"円山第一鳥居"と言って、すぐ後ろにある北海道神宮の表参道にあたるんですよ」

 そう言ってから「そういえばあなたは転勤してから北海道神宮にお参りに行きましたか?」と訊くと彼は、「いいえ、まだいろいろあってお参りに行っていませんでした。神社は近いんですか?」と答えました。

「近いも何も今すぎたばかりだからね。折角だからお参りに行きましょう」

 そういって北海道神宮の駐車場に車を止めて、参拝に行ってきました。

 ちょっと行かないでいるうちに神社のシステムもいろいろと変わっています。

 まず驚いたのは、駐車場入り口で渡される駐車券です。

 参拝客は1時間まで無料なのですが、参拝の証は神門と拝殿に設置された認証機に駐車券を入れて認めてもらいます。

 これで一時間は無料です。

 次には手水舎の様子。

 以前ならば水屋のところにはひしゃくが置いてあったのですが、ひしゃくはコロナ対策なのでしょう、すべて撤去されています。

 そして何本もの細い竹ずつから水が噴き出しているところへ手を当てて手や口を清めるのですが、こうなると所作もなにもあったものではありません。

 しかし久しぶりに訪れた神社へご挨拶をして気持ちはすっきり。

 清々しい気分で職場へ戻ってみると、「朗報です、公共の工事が一本取れました!」という嬉しい知らせが舞い込んで来ました。

 ライバルも多かったので半ばあきらめていた案件でしたが、他社との競り合いを押さえてなんとか落札することができました。

 一緒に神社へ行った同僚と、「霊験あらたかとはこのことですね。こんなにすぐに効果が現れるとは!」と驚いたのでした。

 ウィズ・コロナ時代には思いもよらない所作を求められたり、常識的な振る舞いが通じない場面もしばしばあることでしょう。

 しかしそれでも寺社仏閣でお参りをすることで心が清らかになることに変わりはありません。

 油断はしないながらも日常生活に必要なことを少しずつ取り戻してゆきましょう。

 

コメント
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