いくつもの組織を渡り歩いてきた私ですが、上司が部下に対する姿勢はずいぶん変わりました。
ある組織ではとにかく圧迫的な叱責を繰り返し、「お前の代わりなんかいくらでもいるんだ」というような指導をしている人も多く見かけました。
確かにその当時は職員もたくさんいて、目をかけられた人ほど厳しい洗礼を受け、それに耐え抜いて上に上がっていった人も多かったはず。
しかしではその人が上司の立場になったときにどうするかと言えば、「俺もこうやって育ってきたんだ」というのか、かつて虐められた鬱憤を晴らすかのように部下に厳しく当たる、代々伝わるしごきの世界のループに入っていくだけ。
そういう人のあだ名は「クラッシャー」とか「デストロイヤー」などと陰口をたたかれたものですが、そうやって「何人の部下を潰したか」が一つの勲章でもあったような、嫌な時代がありました。
逆に少数でしたが、「自分が上に立ったらこういうことは止めよう」と心に決めて、部下にやさしく接してくれる人もいました。
部下に厳しい人は陰では悪く言われ、優しく接してくれた人は評判が良かったは世の常。
ただし、部下も上司を見るもので、自信のない優しさだけではだめなのです。
周りに一目置かれる能力のある人が優しいことで始めて組織は活き活きとやる気に満ちて活性化しているのでした。
そんな中でも特に優れたリーダーは、最前線で戦う人たちの現場をしょっちゅう訪ねてはその人たちの声をよく聴き、理解しようと努めてくれたものです。
現場に立ってその現実を見て、風と匂いを感じることが物事の原点を理解するために一番大切であることを人生の師匠からは教わりました。
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最近の国会答弁を聴いていると、「…と報告を受けている」とか「と聞いている」という表現をよく聞きます。
それが問題になっているのなら、その場に立って現実を見てそのうえで堂々と自信をもって説明する方が説得力があるのに、と思います。
本やレポートをいくつも読んでわかったつもりになっていても、現場の人たちと話すことの方がよほどストンと腹落ちすることも良くある話。
コロナ騒動で現場を巡ることが長い間はばかられてきましたが、そろそろ開放してくれないかな。
現場を歩いていろんな人たちと話をしたくなりました。