ある縁がつながってまだ20代のOA機器社員の友達がいます。
かなり年下ですが何かとウマが合うので話していて楽しいのです。
「でもよく考えたら、自分が20代の時の60過ぎのおじさんって、社長の年齢なんじゃないか?」
そういうと彼は屈託なく「会長…かもしれませんね(笑)」と笑います。
そんなタメ口も楽しいから良し。
彼はOA機器メーカーなので、コロナウィルスの影響はどうなのかと訊いてみました。
すると彼は「いやあ成績がひどいですね。我々のビジネスってコピー機などのOA機器を使ってもらったカウント数と消耗品がビジネス単位なので、オフィスに出てこない在宅勤務やリモートが増えるとそういう消費が減ってしまいまして」
「在宅やリモートが増えたから拡大するビジネスチャンスもあるのじゃないの?」
「はい。確かにネットワーク構築のニーズなんかもあってご用命もあるのですが、それってビジネスのシェアがメインとなる消耗品関係の10%くらいですからメインストリームにはなれないんだと思います」
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デジタル化やリモート化って、新たな需要を生み出すよりは今の需要を減らす方に強く働くことでしょう。
それは一面をとらえれば「節約」ということになるのかもしれませんが、実需要を減らすということは、ただでさえデフレ気味の経済をさらにデフレに追い込みそう。
デジタル化の時代は需要を減らしつつあり、その一方でその需要が減ったことを補うために「経済を支えてください」と借金をして一人10万円の給付金を配る。
受けられるサービスは、負担に見合ったものであるべきというバランス感覚がちょっと怪しくなっています。
わが心の教えである二宮尊徳先生の「報徳の教え」は至誠・勤労・分度・推譲を4つの徳目としていますが、その中に「父母の子を育てる道」という話があります。
曰く、父母が子を育てるには、もっぱら慈愛を尽くし、たとえ無頼の子になっても養育費を損したとは思わない。農夫が他を作るには、ひたすら耕作に努め、たとえ凶作という災いにあっても培養費を損したとは思わない。
舜や禹(古代中国の伝説の名君)はひたすら天下を治めて、これをわがものとせず道を万世に伝えたし、釈迦は王位を避けてもっぱら人を導き、法を万年の後までも残した。
これらはちょうど、物を買うのに財布のひもを解くように、当然の「譲」であって我が道を行うものは、よろしくこの心がけを持つべきである。
財布のひもを開くことが全て散財で怠奢ではありません。
何もかもを「消費した」「損した」と思わずに賢く「譲った」と考えをきりかえてはいかがでしょう。
若い人たちの給料の源が細らないことを祈りたいなあ。