昨日までのブログで、キャンピングカーを借りた旅の顛末を書きました。
居住スペースのバッテリーの調子が悪くて夜停電になったという話も面白おかしく書いたつもりでしたが、取りようによってはネガティブな話題に見えたでしょうか。
ある友人から、「そんな不具合があったのなら、言われたことと違うと言ってクレームをつけたらどうですか?」という意見がありました。
「そうかな」と私。
「だって、ホテルだと思ったらホテルが停電したみたいなものですよ」
「まあ快適とは言えないけれど、なんでも文句をつければよいというものでもないのじゃないの?」
「そうかなあ、お値段も高そうだし、少しはお金が戻ってきたかもしれませんよ」
契約って確かに相互の約束事ですが、それからはずれたらなんでもクレームにするというのはどうなのでしょう。
ましてそれをお金で解決しようとすることもどうなのか。
程度にもよりますが、これくらいのことだったらもう少し寛容の精神に立脚する方が世の中は豊かになるのではないでしょうか。
日本もネット社会が深化して年年歳歳、自分の意見を発信しやすくはなっています。
しかしその手軽さと気安さと匿名性が他人を非難し批判することへのハードルを下げているのだとしたら、文章を書いて最後にEnterキーを押す前に一呼吸おいて自分自身を顧みてはどうでしょう。
感情が高ぶりすぎていないかどうか、収まらない怒りを発散しようとしてはいないか、特定の誰かに対する攻撃性が強くなりすぎていないか。
そんなセルフチェックをしてみると、そのうちに怒りも収まったりするものなのですが。
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時あたかもアメリカでは大統領選選挙の開票が進んでいます。
どこか寛容の精神を失いかけているように見えるアメリカの国民はどのような判断をするのでしょう。
人のふり見て我がふりを直しましょう。