北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

お爺ちゃん、倒れてますよ

2020-11-21 23:21:43 | Weblog

 

 昨夜に実家の両親のところによく出入りしている弟からメールがあって、「親父がちょっと大変だわ」とのこと。

「なんだ、どうした?」と電話すると、「バスで病院へ行った帰りに歩いて帰ってきて、家の近くで行き倒れ状態になって通りがかりの人に助けられたんだって」とのこと。

 そのうち母親からも電話が来て、「いや、病院へ行ったきりなかなか帰ってこないな、と思っていたら玄関のチャイムが鳴ってさ。『奥様、おじいちゃんが倒れてますよ』って言うから慌てたよ。バスで帰ってくればいいものを歩けると思ってるんだね、歩いて帰ってきて、あと少しというところで力尽きて倒れたんだって。車道で倒れていたら轢かれていたところだよ」とまあ愚痴ることしきり。

 母の電話では要領を得ず、父の様子を見に今日は実家を訪ねました。

 父は案外普通でしたがちょっと元気がなさそう。

「本当のところは一体どうしたっていうの?」

 父は力なく、「あとほんの少しだったのさ。あとほんのちょっとで家に着くというところで歩けなくなっちゃった」

 今年90歳になった父は月に一度、持病の薬をもらいに4kmほど離れた病院へ行くのですが、普段はバスで往復しているのです。

 本人は人生で一度も入院したことがないということが自慢で、実際まだ歩くことには自信があるのです。

 その日は病院まではバスで行ったのですが、帰りのバスが1時間に一本しかなく、(4キロくらいなら歩ける)と歩き出したのですが、思いのほか疲労が蓄積。

 そして家まであと50メートルというところで本人曰く「精魂尽き」て、歩くことができなくなり、倒れてしまったとのこと。

 するとちょうど車で通りかかった親切な男性が「どうしましたか」と尋ねてくれたので、「家はすぐそこなんですが、一歩も歩けなくなりまして。妻を呼んでいただけないでしょうか」と母を呼んでくれるように頼みました。

 母が驚いて迎えに来たものの、動けない父を抱えて歩くこともできず、その親切な男性が一緒に抱えてくれてようやく家まで連れ戻すことができました。

 途中で何度も転んだらしく手がすりむけていたそうですが、それすらも覚えていないのだそう。

 母曰く「ちょっと前のこともしょっちゅう忘れるようになっているんだよ」。

 その病院では事前に送迎バスの予約もできるそうなので、そうすればよかっただけのことですが、本人はまだまだ自分は元気だという過信があったのでしょう。

 とりあえずは大きなけがもなく元気そうでしたが、そろそろ日常生活にまだらに支障が出始めているようです。

「まずは病院の送迎を使うか、バスで行くことにして、もったいないと思わないでタクシーも使ってくださいよ」と言っておきましたが、さてどれくらい身に染みているのやら。

 母は母で、「もう終活で片づけをしようとは思うんだけど、ちょっと始めたらすぐ疲れちゃってできないのさ」とこちらは悲しそう。

 母もだんだん歩くのが辛くなってきていて、買い物などは弟が車を出しているのですが、そろそろ我々子供の総力を結集しないといけないステージが近づいているようです。

 これも自分の行く道ではあるのですが。

コメント
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