NPO法人スローライフジャパンからの要請で、2002(平成14)年から掛川市が取り組んでいたスローライフ運動について「さんか・さろん」という集まりでお話をする機会をいただきました。
掛川市では平成14年に市の予算にスローライフ事業として500万円を盛り込み、準備をしていたところにその4月から助役として赴任したのが不肖この私でした。
右も左もわからない静岡県掛川市に単身赴任して最初に榛村市長から言われたことが「スローライフをやってほしいんだ」というミッション。
そして怒涛のような準備を進めてその年の11月には一か月間にわたって、スローをテーマにしたイベントを100以上行い、華々しく世間にゆっくりの価値を問うたのでした。
その後に、掛川ではこの活動を担うNPO法人スローライフ掛川が誕生し、またこのスローライフをオールジャパンで進める団体として川島正英さんを中心にしてNPO法人スローライフジャパンが誕生したという経緯になっています。
今日はその日本全体のスローライフNPOからのご要請で、「さんか・さろん」という勉強会で、掛川のスローライフと今日の状況をお話しすることになったのです。
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スローライフジャパンの川島さんは冒頭の挨拶で、「掛川は我々の活動の源であり聖地です。その掛川のスローライフが今日どうなっているのかを今日は知りたいと思います」と挨拶。
話が掛川の人たちに振られたところで、前半として長谷川八重さんからのプレゼンが始まり、1979年の生涯学習都市宣言と2002年のスローライフシティ宣言とイベントの動き、そしてその後のNPO法人スローライフ掛川とスローライフカレッジという活動が説明されました。
続いて、NPO法人誕生とスローライフ活動を支えた市民の繋がり、スローライフの食へ展開した栗焼酎「自ら」づくりの活動などスローライフ運動の変遷が紹介されました。
後半は、そこから派生した「互産互生」運動について、佐藤雄一さんからの説明がありました。
曰く「掛川でスローライフを味わいながら地方へ出向いたところ、地方にはローカルなスローライフがあって、互いに持ち合わせていないものがあることに気が付いた。はじめはモノを売り合う交換だったのが、やがてスローなライフスタイルをお互いへの旅・ツーリズムという形で交換できるようになった」
掛川が言い出して始めたスローライフは今やその価値がわかる人にはしっかりと根付いているし、各々の価値あるスローライフを互いに分け合うことで、最後には人と人、友と友の繋がりになり、新たな幸せの種を生み出していると言えるでしょう。
行政が言い出してやり始めたことだけれど、掛川はその精神を今や市民が受け継いで面白がって発展させていることがすばらしい。
今回はzoomに全国から40名以上が参加してくれました。
私もチラリと登場して当時の掛川の様子をお話ししましたが、聞いてくださった人たちの中には、当時掛川へやってきて面白がってイベントに参加してくださったオピニオンリーダーの皆さんの姿もありました。
その中のお一人がこう言っていました。
「コロナも大変だけれど、そのおかげでZoomの会議が普通になって、だからこそこうやって皆さんの顔が見られるということもあるんだねえ」
辛くて大変な時にも前向きな何かをみつけられる人は素敵です。
掛川のスローライフは、中にいてサポートするのは大変でしたが、今ではほのぼのとした思い出です。