「発信するスキル」でこちらから問いかけをしたところ、日頃から意識の高い方からはいくつかの反応が返ってきました。
コメントでお返しできる分量ではなかったので、本編にてお答えしたいと思います。ご意見ありがとうございました。長文ご容赦です。
【Hiroさんからのご意見について】
「…しかし、何分浅学非才の身で質問の組み立てを考えている内に早々打ち切られたり、今日は良い質問を考えたぞと思えば質問の時間が取られなかったり、うまくいかないものです。最初の質問は中々出しにくいものでもありますので、主催者側は「やらせ」でなくて、一つ二つ口火を切る質問を頼んでおくと、そこを切り口に活発な意見交換が始まるケースが良くあります。参加者、主催者両方の立場で意識したいと思います」
Hiroさん、ありがとうございます。一度や二度のすれ違いにめげず、その一瞬、一瞬が勝負だと思いましょう。
主催者の側が誰か口火を切るサクラを用意するというのは今流行の「ヤラセ」とは意味が違って、聴衆に優しい現実的な良策だと思います。榛村さんが市長当時は、まず自分から率先して口火を切る質問をしていましたよね。あれこそが実践者としての姿であって、今の私にとってもお手本になっているのです。
最初の質問をするのは恥ずかしい、ということですが、私は逆に、とにかくやり続けてみることで「あいつは一番に質問をする奴だ、と思われる」という型を作ってしまうのが良いと思っています。
一番に手を挙げることを繰り返していれば、いつしか「ああ、またあいつか」と、思われるようになることでしょう。もっともそのデメリットは、どうしても手を挙げられずにいると「あれ?あいつは今日はどうしたんだ?」と思われることでしょうか。まあ、それくらいはご愛敬でしょうがね。
【yashiyashiさんからのご質問について】
************【yashiyashiさんからの質問】****************
こんばんは
小学校の3年生を担任しております。
子供たちには、いつも考えを持たないこと考えないことは恥ずかしいこと、そして伝えないことはとてももったいないと話しています。だから、自分のクラスでは手を挙げない子は一人もいません。時にはありますが・・・。
というわけで自分も講演(人数が数百人いると尻込みしますがあまりにも目立つので恥ずかしさが・・・。)や授業を見させて頂いた時は、必ず礼儀として意見を述べさせていただきます。それがせめてもの礼儀だと考えます。
子供にもそうしていますし、後輩にもそう伝えて話せ話せとせきたてます。だから自分もそうするのです。
このような子供に育てているつもりですが将来どうなるかは未知数です。ただ、礼儀とか相手の気持ちとか考えることの大切さは学級経営の土台としてもっていますし、忘れることはありません。
ただ、講演した後、質問がでないと寂しい限りですがそれを求めるとなるとまた違う気もするのです。
子供たちにはそのように伝え自分もしますが、求める物ではない気がします。質問していただければさいわいですぐらいでしょうか。
もう一つ言えることは、自分もそんな教育は受けていませんが、自分の学校で教えられました。ある先輩からです。大人になろうがなるまいがそういうことが大切であることを伝えていくことが必要なのだと思います。
では、質問させていただきます。
毎日のブログをこれだけの量、そして質を保ちながら続けていく秘訣をお聞かせ下さい。
よろしくお願いします。
************【以上、yashiyashiさんからの質問】****************
yashiyashiさん、今晩は。コメントご参加をありがとうございます。
ご意見を読んでいて、yashiyashiさんの人生に立ち向かう姿、生き方のマインドはまさに私のものと同じだと感じました。良き先輩に恵まれて、そのよろしき薫陶を受け、自分のものとして実践し、それをご自身の学級経営の土台とされておられるご様子も立派です。
こういう先生に日々見守られている子供達は幸せですね。今はその価値が本当には分かってはいないかも知れませんが。(苦笑)
さて、私が人生の師匠榛村さんから教わった大事なことの一つは、「大事なことは何回でも言うことだ」ということです。
一度や二度言ったことがあるのでは不十分、「前にも言ったよね」は禁句、「まだ分からないのか」が当たり前、なのです。
しかし「伝えたい大事なこと」も、同じ表現で言い続けると刺激も薄れますから、どうやって手を変え品を変えて、メッセージを発し続けるか、ということが重要なポイントです。
間違うことが当たり前の子供達に、「間違うことは恥ではない。何度も間違うことでやっと間違えなくなるんだ。今の大人もみんなそうやって大きくなってきたんだ」と正直に言ってしまいましょう。
そして、「そのかわり、いつかは同じ間違いをしなくなるようにならなくちゃな」です。
さて、「ブログを高い質で続けられる秘訣を教えてください」という質問を受けましたが、大変核心を突いた質問です。
答えのその1は、まず「続けることを覚悟すること」です。最初にこのようなブログ形式の情報発信を始めた時は、続けられるかどうかが分からなかったので、公表をせずに9ヶ月ほど書いてみる練習をしました。
9ヶ月とにかく続けてみて、なんとか日々続けることだけはできそうだ、と確信できたときから公開をして、それ以来多少の空白はあるものの、続いています。続けるという覚悟が今は自分のなかにあるということでしょう。
答えその2の「質と量」のうち、量は、多すぎると思っているのですが、「一行ごとに一行空ける」というパソコン画面ならではの書き方で読んでくれている皆さんに疲れを与えないように工夫しています。
「質が高い」と評価してくださってありがとうございます。質の善し悪しは自分では分かりませんが、幸いにして、職業柄や自分の性格として人に会う機会が多いので、そこから自分の知らない実に多くの良い情報が得られます。
ですからそんな良いお話しを自分だけのものにしておくのはもったいないことです。特に、良い話の中から、読んだ人が元気になって、心がふかふかに耕され、善の種が落ちた時にすぐに芽が出るようになってほしいと願っています。
いつまでも読むに値すると思われるように祈りながらこれからも書き続けますよ。
【kawaさんからのご意見について】
************【kawaさんからの意見】****************
現在小学校5年生の担任をしている教員です。
講演会後や授業を見させて頂いたあとに質問するということは、いろいろな面で大変意味のあることだと考えています。
一つは、わからないことを教えて頂ける。
二つは、それが他の人にとってもプラスになる。
三つは、講演してくださった方へのお礼の気持ちを伝えられる。
四つは、質問上手への道が開ける。
まだまだありそうです。
こんなにいいことばかりの「質問」なのに、参会者はどうして質問しないのでしょうか・・・。「日本人としての奥ゆかしさ」、質問の準備無く講演を聴く、「自分が質問しなくてもだれかがしてくれる」という責任逃れ、など理由はいろいろあると思いますが、私の頭をよぎるのは、「こんな質問したら、講師の先生、他の人がどう思うかな・・・」という「値踏みされることへの恐怖」です。
「質問したい」「でもできない」「えーい、だめでもともと、質問だ!」そんな葛藤を繰り返しております。
************【以上、kawaさんからのご意見】****************
kawaさん、ご意見をありがとうございます。
私は人に会う機会が多いのですが、かつて大勢の人と会っている時に「きっとみんな僕の名前を覚えていなくて、思い出すのに苦労しているんだろうな」と分かっていながらどうすることもできずにいました。
それがあるときに「もう自分がバカだと思われても良い」と覚悟をしました。そしてその時からひときわ大きな名札をつくり、人の集まる会合の時にはそれをつけることができるようになりました。
それまでは恥ずかしかったのですが、知らない人に話しかけることも平気になりました。自分なりにさんざん悩んだ後の覚悟でしたから、なんとかやれています。
最近、「武士道」という言葉をよく聞くようになりましたが、武士とは切腹することも含めて、武士として振る舞う覚悟のできた人種だと思うのです。
現代社会に生きる私達に求められる振る舞いとはなにか、を考えて、自分の中で修練を積んで、その期待に少しでも応えられるように覚悟すること。
覚悟すること一つ取っても習練が必要で、ある日突然できるようになるなどということはないのだと思います。
人生にはそうありたいと思わせる、見習うべきお手本が必要で、先生という存在は子供達にとって最も身近なお手本ですね。
そんなメッセージを発し続けてくださいね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
コメントでお返しできる分量ではなかったので、本編にてお答えしたいと思います。ご意見ありがとうございました。長文ご容赦です。
【Hiroさんからのご意見について】
「…しかし、何分浅学非才の身で質問の組み立てを考えている内に早々打ち切られたり、今日は良い質問を考えたぞと思えば質問の時間が取られなかったり、うまくいかないものです。最初の質問は中々出しにくいものでもありますので、主催者側は「やらせ」でなくて、一つ二つ口火を切る質問を頼んでおくと、そこを切り口に活発な意見交換が始まるケースが良くあります。参加者、主催者両方の立場で意識したいと思います」
Hiroさん、ありがとうございます。一度や二度のすれ違いにめげず、その一瞬、一瞬が勝負だと思いましょう。
主催者の側が誰か口火を切るサクラを用意するというのは今流行の「ヤラセ」とは意味が違って、聴衆に優しい現実的な良策だと思います。榛村さんが市長当時は、まず自分から率先して口火を切る質問をしていましたよね。あれこそが実践者としての姿であって、今の私にとってもお手本になっているのです。
最初の質問をするのは恥ずかしい、ということですが、私は逆に、とにかくやり続けてみることで「あいつは一番に質問をする奴だ、と思われる」という型を作ってしまうのが良いと思っています。
一番に手を挙げることを繰り返していれば、いつしか「ああ、またあいつか」と、思われるようになることでしょう。もっともそのデメリットは、どうしても手を挙げられずにいると「あれ?あいつは今日はどうしたんだ?」と思われることでしょうか。まあ、それくらいはご愛敬でしょうがね。
【yashiyashiさんからのご質問について】
************【yashiyashiさんからの質問】****************
こんばんは
小学校の3年生を担任しております。
子供たちには、いつも考えを持たないこと考えないことは恥ずかしいこと、そして伝えないことはとてももったいないと話しています。だから、自分のクラスでは手を挙げない子は一人もいません。時にはありますが・・・。
というわけで自分も講演(人数が数百人いると尻込みしますがあまりにも目立つので恥ずかしさが・・・。)や授業を見させて頂いた時は、必ず礼儀として意見を述べさせていただきます。それがせめてもの礼儀だと考えます。
子供にもそうしていますし、後輩にもそう伝えて話せ話せとせきたてます。だから自分もそうするのです。
このような子供に育てているつもりですが将来どうなるかは未知数です。ただ、礼儀とか相手の気持ちとか考えることの大切さは学級経営の土台としてもっていますし、忘れることはありません。
ただ、講演した後、質問がでないと寂しい限りですがそれを求めるとなるとまた違う気もするのです。
子供たちにはそのように伝え自分もしますが、求める物ではない気がします。質問していただければさいわいですぐらいでしょうか。
もう一つ言えることは、自分もそんな教育は受けていませんが、自分の学校で教えられました。ある先輩からです。大人になろうがなるまいがそういうことが大切であることを伝えていくことが必要なのだと思います。
では、質問させていただきます。
毎日のブログをこれだけの量、そして質を保ちながら続けていく秘訣をお聞かせ下さい。
よろしくお願いします。
************【以上、yashiyashiさんからの質問】****************
yashiyashiさん、今晩は。コメントご参加をありがとうございます。
ご意見を読んでいて、yashiyashiさんの人生に立ち向かう姿、生き方のマインドはまさに私のものと同じだと感じました。良き先輩に恵まれて、そのよろしき薫陶を受け、自分のものとして実践し、それをご自身の学級経営の土台とされておられるご様子も立派です。
こういう先生に日々見守られている子供達は幸せですね。今はその価値が本当には分かってはいないかも知れませんが。(苦笑)
さて、私が人生の師匠榛村さんから教わった大事なことの一つは、「大事なことは何回でも言うことだ」ということです。
一度や二度言ったことがあるのでは不十分、「前にも言ったよね」は禁句、「まだ分からないのか」が当たり前、なのです。
しかし「伝えたい大事なこと」も、同じ表現で言い続けると刺激も薄れますから、どうやって手を変え品を変えて、メッセージを発し続けるか、ということが重要なポイントです。
間違うことが当たり前の子供達に、「間違うことは恥ではない。何度も間違うことでやっと間違えなくなるんだ。今の大人もみんなそうやって大きくなってきたんだ」と正直に言ってしまいましょう。
そして、「そのかわり、いつかは同じ間違いをしなくなるようにならなくちゃな」です。
さて、「ブログを高い質で続けられる秘訣を教えてください」という質問を受けましたが、大変核心を突いた質問です。
答えのその1は、まず「続けることを覚悟すること」です。最初にこのようなブログ形式の情報発信を始めた時は、続けられるかどうかが分からなかったので、公表をせずに9ヶ月ほど書いてみる練習をしました。
9ヶ月とにかく続けてみて、なんとか日々続けることだけはできそうだ、と確信できたときから公開をして、それ以来多少の空白はあるものの、続いています。続けるという覚悟が今は自分のなかにあるということでしょう。
答えその2の「質と量」のうち、量は、多すぎると思っているのですが、「一行ごとに一行空ける」というパソコン画面ならではの書き方で読んでくれている皆さんに疲れを与えないように工夫しています。
「質が高い」と評価してくださってありがとうございます。質の善し悪しは自分では分かりませんが、幸いにして、職業柄や自分の性格として人に会う機会が多いので、そこから自分の知らない実に多くの良い情報が得られます。
ですからそんな良いお話しを自分だけのものにしておくのはもったいないことです。特に、良い話の中から、読んだ人が元気になって、心がふかふかに耕され、善の種が落ちた時にすぐに芽が出るようになってほしいと願っています。
いつまでも読むに値すると思われるように祈りながらこれからも書き続けますよ。
【kawaさんからのご意見について】
************【kawaさんからの意見】****************
現在小学校5年生の担任をしている教員です。
講演会後や授業を見させて頂いたあとに質問するということは、いろいろな面で大変意味のあることだと考えています。
一つは、わからないことを教えて頂ける。
二つは、それが他の人にとってもプラスになる。
三つは、講演してくださった方へのお礼の気持ちを伝えられる。
四つは、質問上手への道が開ける。
まだまだありそうです。
こんなにいいことばかりの「質問」なのに、参会者はどうして質問しないのでしょうか・・・。「日本人としての奥ゆかしさ」、質問の準備無く講演を聴く、「自分が質問しなくてもだれかがしてくれる」という責任逃れ、など理由はいろいろあると思いますが、私の頭をよぎるのは、「こんな質問したら、講師の先生、他の人がどう思うかな・・・」という「値踏みされることへの恐怖」です。
「質問したい」「でもできない」「えーい、だめでもともと、質問だ!」そんな葛藤を繰り返しております。
************【以上、kawaさんからのご意見】****************
kawaさん、ご意見をありがとうございます。
私は人に会う機会が多いのですが、かつて大勢の人と会っている時に「きっとみんな僕の名前を覚えていなくて、思い出すのに苦労しているんだろうな」と分かっていながらどうすることもできずにいました。
それがあるときに「もう自分がバカだと思われても良い」と覚悟をしました。そしてその時からひときわ大きな名札をつくり、人の集まる会合の時にはそれをつけることができるようになりました。
それまでは恥ずかしかったのですが、知らない人に話しかけることも平気になりました。自分なりにさんざん悩んだ後の覚悟でしたから、なんとかやれています。
最近、「武士道」という言葉をよく聞くようになりましたが、武士とは切腹することも含めて、武士として振る舞う覚悟のできた人種だと思うのです。
現代社会に生きる私達に求められる振る舞いとはなにか、を考えて、自分の中で修練を積んで、その期待に少しでも応えられるように覚悟すること。
覚悟すること一つ取っても習練が必要で、ある日突然できるようになるなどということはないのだと思います。
人生にはそうありたいと思わせる、見習うべきお手本が必要で、先生という存在は子供達にとって最も身近なお手本ですね。
そんなメッセージを発し続けてくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
私も新卒の頃良き先輩に出会い、「会議や研修会に出たら必ず一番最初に質問してこい」と言われて育ちました。
仲間と競うようにして質問した20数年前が懐かしいです。そして、良い質問を出し続けるには普段の鍛錬が必要なのだと身に染みています。
「子供の質問力を鍛える」というテーマで授業開発・研究をしてみたいものです。これは日本のどこの学校でも・研究団体でもやっていないようですね。北の教師が全国に先駆けますか!
「子供の質問力を鍛える」ですか、いいですね。質問力が大事だと言うことと、それは鍛えられる、という両方を世間が認識してくれるきっかけになるかも知れませんね。
質問力を、ごく一部の志ある人のパフォーマンスにしてはいけません。誰でもごく自然に、質の高い発言が出来る、という北海道にしたいものですね。
講演の後の質疑応答に当てる時間の取り方が難しく(想定出来ない)、ほどほどで設定しますが、折角設定した時間を潰すほど講演が延びる場合が多く、講演者は質疑時間をどう考えているのか分からないのです。
これは、パネルディスカツションでも同じで、質問予定が狂う場合が多く見られます。
講演も質疑も質の高いものにしたいと常々考えていますが、準備段階での密な打ち合わせが大事と言うことでしょうか。
質問の取り方にも様々な工夫があって、思想や利害に対立のあるような話題だと、対立する人たちが潜んでいて、とんでもない質問が出てくることもあったりします。
そんなときは休み時間中に書面で質問を取り付けて、コーディネーターや司会者が取捨選択したうえで質の高い質問を講師に問うというようなスタイルを取るときもあります。
聞いてくださる人たちという現実に合わせた臨機応変なやり方がのぞまれると思います。
また私がお話をさせていただくときには、その後にできるだけ懇親会と称してお酒の一杯も入れながらの意見交換をさせてもらうようにしています。
「会場で大勢の前では質問や意見が言えなかったけれど、一対一なら言いたいことが言える」という人の方が圧倒的に多いからです。
実は講演なんて単なるネタ振りで、本当に大事なのはその後に一人一人と議論を交わして念押しをする復習の時間なんですね。
一つのことを心に焼き付けるのには多少の時間がかかるのです、やっぱり。