北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

シーニックバイウェイの周辺~旭川の風景

2006-05-21 23:08:16 | Weblog
 昨日までのシーニックバイウェイフォーラムを終えて、今日は大雪富良野ルートで旭川の周辺視察です。
 さわやかな好天の一日で、格好の行楽日和でした。
 
【西神楽~旭山動物園】
 朝一番で知人のAさんに、西神楽地区周辺をご案内していただきました。

 ここではNPOが美瑛側の河川敷を借り上げて36ホールのパークゴルフ場を作り管理しています。

 グリーン上には健康そうなお年寄りがわんさかいて、皆楽しそうにパークゴルフに興じています。現在利用者からは一日500円をいただくことにして、利用の案内も芝生の手入れなどもNPOが行っているのだそうです。

 管理しきれない土地を地域が有効に活用して利用者に満足を与えるというのは素晴らしい関係です。

    ※    ※    ※    ※

 西神楽の丘の上をずっと案内していただきました。このあたりには道南の駒ヶ岳が噴火した際に移住してきた人達がそのまま農業を営んでいる地区があるのです。

 しかし次第にその人達も後継者がいないまま高齢化し、耕作が放棄されてしまう畑や田んぼが目立つようになりました。

 80歳くらいの一人暮らしのお婆さんがいて、「ちょっと娘のところで世話になって、暖かくなったらまた帰ってきます」と言って札幌へ出て行ったのだそうですが、なにか気持ちが切れてしまったのか「もう帰れません」という連絡があったのだとか。

 丘の上からは一軒一軒が離れている農家が見えます。こういうところでは、車の運転ができなくなると地域か社会が支えなければ生活できない人達が多いことでしょう。

 若い時は自分が支えて、自分が歳を取ったら若い者が支えてくれる。そんな社会が実現しないものでしょうか。丘越しに遠く大雪山連峰から十勝岳連峰へとつづく山並みは実に見事なのですが。

    ※    ※    ※    ※

 続いては旭山動物園です。こちらでは動物園を案内して回るNPOの「動物園クラブ」の皆さんに案内をしていただきました。

 このNPOでは、旭山動物園が有名になる前から動物園を地域で盛り上げたいという熱意を持って活動を続けてきたのだそうです。

 今では園内におみやげ屋さんの店を出してそこでの収益で自分たちの活動費をまかなうなど、人に頼らずに活動が続けられるようになったのそうです。今回の案内も無料でやってくださったのですが、こうしたガイド付きでツアーができると同じものを見ていても、まったく伝わり方が違うことに気付きます。

 NPOには共感する内地の人もいれば、病気のリハビリも兼ねるなどいろいろな思いの方がいるとか。

 前回は見られなかった猛獣館を見たり、オランウータン館では三頭の親子のオランウータンが空中のロープ渡りを見せてくれて、集まった多くの人達は大喜びでした。

 まだまだこの人気が続いて欲しいものですね。

 ガイドの皆さんもありがとうございました。
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フォーラム~コミュニティビジネスの可能性

2006-05-20 23:01:25 | Weblog
 今日一日は富良野市でシーニックバイウェイのフォーラムです。各地の活動が聞けて交流の幅を更に広げましょう。

【シーニック・調査研究発表会】
 今日の午前の部のメニューは、(社)北海道開発技術センターの公益事業として、全道各地で行われた支援事業の成果発表会でした。

 昨年度のこの公益事業で行われた調査事業は全部で16本にも及んでいますので、これを半日で発表するためには会場を「景観・地域づくり」部門と「観光空間づくり」部門の二つに分けて実施されました。

 私はといえば、観光空間づくりのほうに陣取ってそれぞれの皆さんの発表を聞かせてもらいました。

 観光空間づくりでは、地元紹介バスを走らせてみたり、それにエリア観光ガイドを乗せてお客さんの反応を見たり、スローフード創作料理の試みなど、アイディアに満ちた発表がなされました。

 しかし実験的な試みということもあって、採算面でビジネスになりきるような結果はほとんどありません。まだまだ、「自分たちに何が出来るか」という、経済学でいう「供給側」の立場に立ってしまっているからでしょう。

 売れる、ビジネスになるということは、買い手の側、つまり「需要側」が望むものを我慢できる価格で提供できるかどうか、ということにかかってきます。そのためには冷徹なマーケット調査を行うことも必要になるでしょう。
 買い手側に納得してもらうビジネスは結構大変なものですね。

【講演会~コミュニティビジネスの可能性】
 午後はまさにそのような問題意識に触れる講演会が行われました。講演は二本でしたが、最初の講師は富士通総研の臼井純子さんでテーマは「コミュニティビジネスの可能性」ということでした。

 臼井さんといえば、総務省や国土交通省のアドバイザーも数多く務められるこの世界では知られた方です。こういう方が講演の前後は私などとも親しげに話をしているのですから、シーニックバイウェイはすごくなりました。

 さて、この臼井さんのお話のそのエッセンスは、多様な地域の中の細かな問題の中にこそ、実は地域で補い合えるようなコミュニティビジネスの可能性がある、というものです。

 ただしそこでは、私はこれが出来るという供給側の立場に立つのではなく、受ける側が何を求めているのかという需要側の立場に立つことが大事だ、というものです。
 「経営の視点」として臼井さんは以下の五点を指摘します。
①市場を知ろう
②競争相手を知ろう
③経営資源(人、金、モノ、情報)の棚卸し
④利益を生む仕組みを考える
⑤数字に明るくなろう

 『ビジネスは供給者でなく受けて(=お客様)から始まる』ということです。そしてそこにはいくつかのポイントがあります。

 コミュニティビジネスに進めるための5つのポイントとして臼井さんは、
①市民生活の視点から見た柔軟な発想
②地域の課題解決に向けた使命感
③地域と密着したニッチな事業に着目
④ボランティアとは異なる積極的な事業展開
⑤地域資源、人的ネットワーク等の活用
 を挙げます。

 「目標は売り上げ1千万円!」 それくらいが達成されなければビジネスにはならないのです。

 ボランティアではなく、志(=道徳)とお金(=経済)が両輪で回る、買い手に受け入れられる正しい関係を目指しましょう。

 日本人の心の中には道徳を経済より上に見る儒教の思想が強く根付いていますが、お金儲けを申し訳なく思う必要はないのです。
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シーニックバイウェイの交流会イン富良野

2006-05-19 23:58:40 | Weblog
 今日から日曜日までは、富良野でシーニックフォーラムです。アップが遅くなりすみません。

【シーニック・交流会】
 午後三時に職場を車で出発して、JR富良野駅の近くにある「ふらの広場」へ向かいました。

 明日ここ富良野で、シーニックバイウェイ北海道の全道の関係者が集まる全道フォーラムが開催されるのです。この全道フォーラムは、昨年は札幌で開催されたのですが、札幌に集まってもそれぞれ地域の皆さんの活動が見えないということで、活動の各拠点を訪れることにしたものです。

 そうすれば、少しでも地域にお金が落ちるということも期待できるという二重の意味合いを持たせているのです。

 現在シーニックバイウェイに指定されているのは、ここ大雪・富良野ルートと、支笏洞爺ニセコルート、東オホーツクシーニックバイウェイ、宗谷シーニックバイウェイの4ルートですが、候補ルートとしてこれまでの函館、釧路阿寒に加えて、今年からは南十勝、十勝平野山麓、天北の三つが加わり、候補ルートも5つになりました。

 全部で道内に9つの関係地域ができあがったことで、地域活動を熱心に行っている全道各地のそうそうたる人達が次から次へと集まり、知人になることで、活動の輪がますます盛んになっています。

 夜6時からの交流会へ全道から集まってくる人達の顔ぶれを見ると、さながら水滸伝を見ているようでなんだかわくわくしてきます。

 地域で活動をしている人達は、自分たちの故郷を生き生きとすることや売り込むことにものすごく熱心で真剣ですから、こちら側も役人面をした応対をしているわけにはいきません。

 こちらも真剣にコミュニケーションを重ねて、その思いを知り、各地域の現場を知り、この皆さん達の思いに答えるにはどうするかを考えて自らの行動に結びつけて行かなくてはなりません。

 強い人間力に立ち向かうにはこちらの人間としての総合力も試されるのです。 

 知らない人を少しでも少なくする事から始めなくてはなりません。見たことがあるけれど名前を思い出せないという人に会うのはつらいものですが、こんなときには大きな名札をつけて名刺を渡し、名前を教えてもらうしかないのです。

 どれだけ気持ちを強く持ち続けることが出来るかどうかが最大のポイントです。

 さて北海道から知らない人がいなくなるまで頑張るとしますか。

 
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ラベンダーの香り~おもてなしの心

2006-05-18 23:13:21 | Weblog
 夕方からオートリゾート協会の総会など外に出ました。日中は暑くても、夕方には涼しくなります。過ごしやすい季節になりました。
 

【義侠心】
 会合の最後にすすきので友人に会いにいき、地下鉄の改札口を出たところにある案内図の前で出口を探していると、旅行者とおぼしき4人組が同じく案内図を見ながらやはり悩んでいました。

 言葉が日本語ではないのでとりあえず「Can I help you?(どうかしましたか)」(以下つたない英語同士の会話)と訊いてみると、一枚の紙を取り出して説明を始めました。

「南の方にあるホテルへ行きたいのですが、ホテルへの無料バスの停留所がこの地図に描かれているのですが…」と言っているようです。

「どちらから来たのですか?」
「台湾です」

 台湾といえば北海道観光に訪れる外国人では一番のお客さんではありませんか。
 こうなると約束の時間に多少遅れていたものの、仕事で観光を所掌していると豪語している私にとって義侠心に思わず火がついてしまい、「なるほど、じゃ私が連れて行きましょう。どうぞついてきてください」と言ってしまいました。

 すすきのでも東豊線あたりはあまり普段通らないのでよく分からなかったのですが、まあ分からなければ誰かに聞けばよい話です。

 ねらいをつけた階段を上がって目指す停留所を探すのですが、地図が荒くてよく分かりません。こうなればホテルに電話して訊いてみれば良い、という事に気がついてホテルに電話をしてみました。

 すると、ホテル専用のバス標識はないものの、確かに立っている場所に間違いはないとのことでした。しかし残念ながら次のバスが来るのには30分ほど待たなくてはならないとの事。

 バスの色は青という事も聞いて、それらのことを説明してあげたところ、ほっと安心したようでした。

 私も約束の時間が過ぎていたのでバスに乗るところまで見極めてあげる事はできず、お別れしようとしたところ、「ありがとうございました」と、ラベンダーのドライフラワーを一房手渡してくれました。

「ありがとうございます。それでは良い旅を」
「本当にありがとう」


 片言でも英語が話せるというのは素晴らしい。あとはおもてなしの心だけ。

 ラベンダーの香りは心を少し暖めてくれました。


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「逝きし世の面影」完読~心の垣根

2006-05-17 23:40:51 | Weblog
 今日は早朝から東京出張です。最近エア・ドゥに乗ると必ずと言って良いほど機材トラブルに遭遇するのですが、朝新聞を広げてびっくり。
 なんとエア・ドゥの飛行機の主翼に、バードストライクという鳥が突っ込んで機材を痛めるアクシデントで穴が空いて欠航との事。

 やっぱり今日もエア・ドゥとの相性が悪いというのは、ご先祖様が「おまえはエア・ドゥに乗るな~」と囁いているような気がしてきました。う~、なむなむ。
 

【『逝きし世の面影』完読】
 電車に飛行機と移動時間が長いのは読書に最適です。ときどきは気を失いながらも読めるときは読めるのでページは進みます。

 あまりに進みすぎて読むという至福の時間を楽しんでいた『逝きし世の面影』をとうとう読み終えてしまいました。

 江戸末期から明治期にかけての、外国人の目に映った日本という国、いや徳川時代という完成された文明に対する、涙が出るような暖かい眼差しともお別れです。

 この本の最終章は「心の垣根」という章です。

 外国人の目に映った当時の日本は「人々を隔てる垣根は低かった」国でした。人々の顔は過度に機嫌が良く、暗い顔をしているのを見た事がない、とさえ書いているものもあります。

「彼ら(日本人)は面白い話が好きで、よく冗談を言う。路宇津舎は何かするときは必ず歌を歌う。また例えば櫓をこぐとか、思い荷をあげるといったような歌の調子に乗る仕事なら、皆が歌うのである」とロシア人で日本で囚われの身となったゴローブニンは書き記しています。

 しかし多くの外国人が賞賛し、褒め称える完成された江戸の文明は滅びる運命にもあった、と著者は感じています。

 それはまず徳川時代という幕藩制が制度的矛盾によっていずれは崩壊すべく運命づけられていたという点、そしてもう一つは世界の資本主義システムが最後に残った日本をも組み込もうとしていたという歴史の流れに読み込まれます。

 そして「その後に続く明治という時代を通じて、なぜ日本人がこの完成された
よき美しき文明と徐々に別れを告げねばならなかったのか」ということについて、著者はいくつかの考えを述べてくれます。

 日本をさんざんに褒めてくれたオールコックもこと道徳や精神の質に関しては「日本人の賞揚すべき美徳とは社会生活の次元にとどまるもので、より高次の精神的な志向とは無縁のものだと言いたかった」のではないか、と著者は考えています。

「観察者たちは日本の庶民のうちに数々のよきもの美しきものを発見した。だが同時に、彼らのあっけらかんとした表情のうちに、なにか野卑なもの、ほとんど白痴制にいたりかねないものを嗅ぎつけてもいた」

「ある種の子供っぽさ」を感じていたのだとも言えます。

 著者は「おのれという存在にたしかな個を感じるというのは、心の垣根が高くなるということだった」と書きます。

 日本人同士では心の垣根が低いので、(まあおれもあいつならそれくらいのことはするだろう)という観念は、西洋人の感覚では個人同士のマナーやルールを逸脱しても平気な社会の所産だったというのです。

 個人の社会という、心の垣根の高さに疲れた人たちは日本人の心の垣根の低さに癒されて惚れ込んでしまったのだ、と著者は言います。

 そしてこの心の垣根の高い個人の社会こそ、「個である事によって、感情と志向と表現を、人間の能力に許される限度まで深め拡大して飛躍させうるということ」であり「オールコックやブスケは、そういう個の世界がかのうならしめる精神的展開がこの国には欠けていると感じた」のだと著者は指摘するのです。

 文明は断絶しても、この子孫である現代の私たちはどうでしょうか。心の垣根が高すぎて疲れてはいないでしょうか。だから垣根の低い無償の笑顔に接するときに癒されるのではありませんか。

 しかし同時にそのような個の世界で生きざるを得ないという決心をしたからこそ、近代工業社会を乗り切り、その中で世界の中に一定の存在感を示せたのでもあるのでしょう。

 日本人が心のなかのDNAに従うように日本人であろうとするときに、子供っぽく、野卑に陥っているということはありませんか。
 
 帰国子女が日本に感じる一種我慢のならない雰囲気も、個をあまり真剣に考えない風潮と無縁ではないように思います。

 しかしそれでも個の尊重を絶対視することには拒否感を感じている人も多い事でしょう。西洋の個に対する考え方も唯一絶対ではないのです。

 今の私たちの心の垣根はこの西洋と江戸時代の日本人のそれらの中間に位置しているのでしょう。しかしそれがどのくらいどちらかに近いと思うかのバランスには個人差が広がってもいるようです。

 しかし今日のグローバルスタンダードを一つの価値標準と思いながらも、思いきり対極に位置する、今は滅びてしまった江戸時代の日本文明を知る事は、心のバランスを保つ上で必ず役に立つに違いありません。

 まだまだ文明は滅びても、DNAとしてときどき表に出る感覚にその名残が伺えるのですから。
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日本人の生き物感

2006-05-16 23:10:41 | Weblog
 今日の札幌は日中の気温が25℃まで上がったのだそうです。急に初夏の陽気になられても体がついていきません。

 帰りの道すがら、発寒川の横を歩いていると夜桜がきれいでした。今がまさに北海道の桜の満開です。

【動物と人間の関係】
 先に紹介した渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)を読み進めていて、さらに面白い章に出会いました。「生類とコスモス」という章がそれです。

 ここで著者は江戸末期から明治時代に外国人の目に映った風景として「日本の馬が調教されていない」ことの驚きを記しています。

 西洋人にとって馬というものは幼いときからしっかりと調教され、訓練され、牡馬は去勢されておとなしくした上で人間の役に立つ動物として認識されていたのでした。

 これに対して当時の日本では、馬に一人で騎乗するのは武士の特権であるばかりかその武士でさえ多くは馬丁に口綱を曳かせて乗っかっているばかりであったので、騎乗技術が発達せず、それゆえ馬も一人で乗られるように調教されるという事が考えられなかった、というのです。

 調教されていないという事は、すぐに怒り、噛みつき暴れ回り、あたりを蹴散らすことがごく普通の事だったということです。

 馬には馬方が手綱を引いて前を歩けばそれについて行くように慣らすだけでよく、それくらいであれば飼い主も面倒な調教などせずに済んだからです。

「実際、馬は楽をしていたのである。彼らは十分にあまやかされていた。癖が悪いというのは、十分調教されぬままに本来望んでもいない仕事をさせられるのだから、したい放題をするのである」と著者は指摘するのです。

 東北を一人旅したイザベラ・バードは「…人々は馬を大変こわがっていてうやうやしく扱う。馬は打たれたり蹴られたりしないし、なだめるような声で話しかけられる。概して馬の方が主人より良い暮らしをしている。おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ」と書き、日本の馬があまやかされて増長しているという印象を書き記しています。

 このような外国人の見方に対して著者は、それこそが人間とそれ以外の動物を質的に断絶させる西洋キリスト教による考え方である、と指摘するのです。

「徳川期の日本人にとっても、動物は確かに分別のない畜生だった。しかし同時に、彼らは自分たち人間をそれほど崇高で立派なものとは思っていなかった」
「草木国土悉皆(しっかい)皆成仏という言葉があらわすように、人間は鳥や獣と同じく生きとし生けるものの仲間だったのである」

 誤解のないように言うと、この章で筆者は「私の関心は日本論や日本人論にはない」と言い切っています。筆者の関心はあくまで「近代が滅ぼしたある文明の様態にあり、その個性にある」としています。筆者は当時の日本人の考え方と近代を経験した後の現代人との間には、心の断絶があると考えているのです。

 しかしやはりこれらの事は現代に生きる我々の心性にも残り火のように消えずに残っているある種のノスタルジックな感傷を湧き起こすでしょう。

 ついついペットを猫かわいがりしてしまう私たち、子供を叱る事が出来ずに放任状態になってしまう親たち、動物はおろか、花や機械にまで話しかけるお年寄りたち…。

 私たちはどこかで「植物も動物もみな同じ生き物」、「自分以外のものを見下してはならない」という心根を持っているように思うのです。だからこそそういう精神に反して、居丈高で偉そうに振る舞う人間に嫌悪感を抱くのでしょう。

 私は近代化された今を、世界を相手にして暮らさなくてはならない我々日本人は「日本人で行くかグローバルスタンダードで行くか」という二者択一の生き方ではなく、世界を相手にするときは世界標準で考え行動し、日本で生きるときは日本人の心性を大事にすると言うダブルスタンダードがあって良いように思うのです。

 大事な事はこの両方の感性を持ちながら、これを時と場所と場合によって使い分ける能力を身につけなくてはならないということだと思うのです。

 機械にすら生命を感じる日本人だからこそ鉄腕アトムや鉄人28号のようなシンパシー溢れるロボットの物語が描けるのでしょう。その感性を誇りにすればよいのではないでしょうか。

 やはり私の場合は「失われた文明の有り様」よりは「日本人論」に興味を持ってしまうようです。

 日本人ってどういう民族なのでしょう?

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サッカー日本代表決まる

2006-05-15 23:21:25 | Weblog
 暖かいとなると急に暖かくなるものです。今日の日中の最高気温は20℃を超えて暑いくらいです。
 寒くても暑くても文句を言わない事ですね。

【そういえばいよいよワールドカップ】
 昼に所用で外へ出ていたところ、テレビでジーコ監督の代表選手記者発表のシーンでした。

 四年前には選ばれずに今回晴れて代表となった中村俊輔選手や、前回同様選ばれずがっくりの久保選手、最後の最後に名前を呼ばれて会場を沸かせた巻選手など、選手の悲喜こもごもが伺えました。

 選ばれた選手には国を背負う重圧に耐えて頑張って欲しいものです。

 ジーコ監督の会見の中で印象的だったのは、サッカーの地位が向上した事に対する感謝の気持ちを監督が述べた事です。

 インターネットで昨日の会見の一問一答を拾うと、「今日この場にはたくさんの方々がおられるが、日本中の方々が今日という日を待っていたということで、日本においてここまでサッカーの社会的地位が上がったのかと、自分はとてもうれしく思う」という発言をしています。

 日本サッカーも急に強くなったのではなく、Jリーグ以来日本社会の中でサッカーを強くする環境が次第に整ってきたということです。

 私の知人にも中学生の息子がナショナルチーム要請のための北海道代表となっている人がいますが、小さな子供の時から将来を支える選手に目をつけ、選抜し、切磋琢磨の機会を通して育て上げるという地道な努力の結晶が今回の23人ということなのでしょう。

 大事なものは見えないものです。見えなくとも気付いていて支える気持ちを持ち続けていることが大事なのです。

 ワールドカップまであと25日と迫りました。

 うーん、新しいテレビが欲しいなあ。

 
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日高地方の観光巡り

2006-05-14 23:40:06 | Weblog
 静内の二十間道路の桜並木が今日あたり満開という情報で、家族を連れてドライブに行ってきました。
 「うちの時間」は予定よりも常に1時間遅れる事を言うのですが、今日少しだけ早出で6時過ぎには家を出る事が出来ました。やればできるんです、はい。

【日高エリアを満喫】
 朝6時過ぎに家を出て高速に乗れば、ETCを搭載した我が愛車には通勤割引が適用になります。通勤割引は朝なら6~9時、夕方なら17時~20時に引っかかるように、100km以内で走行すれば高速代が半額というサービスです。

 苫小牧方面は札幌のわが家からならまさに条件にかなっていますので、大いに利用して日高方面へ向かいました。

 天気はあいにくの小雨でちょっと残念でしたが、日高自動車道路の無料区間も最大限利用して、9時過ぎには現地に到着出来ました。

 現地では道路の片側の路肩を駐車スペースにしていますがすでに満杯です。それでも少し車を進めていると出て行く車も多く、朝がまだ早い事もあって回転がよいようで楽に車を止める事が出来ました。

 現地には出店も出ていましたが、雨でぬかるんでいてかなり足下が悪くはないっていてこれまた残念な限りです。

 少しでも地域経済に貢献を、と思ってギョロッケとびっくり揚げを買い求めました。ギョロッケとは聞き慣れませんが、魚の練り物をコロッケ風に揚げたもののようです。びっくり揚げの正体はとうとう分からず仕舞いです。

 鹿の肉が売っていました。ほとんどクセがなく、美味しく食べられましたので、ジンギスカンの味付けされたものを買いました。こちらの鹿肉は狩猟で獲ったものを血抜きを完全に行っているので美味しいのだとか。
 確かに次の時代の北海道の名物になる予感がします。頑張って欲しいものです。

 さてこの二十間道路ですが、北海道開拓史の黒田清隆が明治五年に静内町を訪れたところから始まるのですからもう百年以上も前の事が由来になっています。
 黒田清隆の考えの基に、このあたりが産場改良に最適ということから大規模な牧場が作られ、そこを皇族が行啓されるというのでできたのがこの二十間道路というわけです。

 確かに幅36メートルで二十間あるところからの名称ですが、はじめは中央道路といったのだとか。ただし最初から桜があったのではなくて、大正5(1916)年から3年をかけて近隣の山々からエゾヤマザクラを移植したのだとか。

 なにしろこの二十間道路の桜並木は、幅もさることながらこれだけの桜並木が延長約7キロにもわたっているのですから、いかにも北海道らしい雄大な景観になっている事は間違いありません。

 一つの観光名所を作るのにも五十年から百年はかかるということを思い知るのにも最適の場所と言えるでしょう。一朝一夕に名所などは作られる事はなくて、やはり時間をかけるという気の長い意志の強さが必要なのでしょうね。

    *   *   *   * 

 その後は近くのアイヌ記念館を訪ね、新冠町の道の駅「サラブレッドロード新冠」を見て回りました。

 案外良かったのは、この道の駅に併設しているレコード館でした。日本中からレコードの寄付を受けて、今のところ六十数万枚を保管しているという事ですが、目標は百万枚だそうです。手元に眠っているレコードがあれば捨てるくらいならここへ寄付してはいかがでしょうか。

 このレコード館ではアトラクションとして素晴らしいスピーカーシステムでレコードのリクエストに応えてくれたり蓄音機を聴かせてくれたりというサービスをしていますが、これがなかなか上手に作られていて感心しました。
 一度行ってみる事をお薦めします。

 また富川の泉食堂で半端でなく太い手打ち蕎麦を豚肉山菜蕎麦で美味しくいただきました。

 こうしてじっくり見てみると牧場も数多くあったり、今日は行けなかった温泉もたくさんあります。日高地方の観光地も案外知らない要素がたくさんあってまだまだ勉強が足りない事を思い知りました。

 まずは道産子自身が北海道をどれだけ楽しめるかが、外から見たときの評価に直結するのでしょうから、頑張って地元視察を楽しく続けたいものです。

 それにしても、ガソリンの値上げは痛いなあ…。

 
 
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魂の蓄え

2006-05-13 23:02:17 | Weblog
 札幌市内でもシラカバの花粉が飛んでいる地区とそうでもない地区がありそうです。やたらに目がかゆくなるところがあるんです。
 今日は地域活動への参画で過ごした一日でした。

【魂の蓄え】
 今日の始めは娘の高校の参観日へ夫婦揃って出席です。高校ともなるとあまり親の出番もないようですが、まだまだ細かいところで子供に対しては目が離せないものです。

 娘のクラスの場合は、親が全員で10人ほどの出席でそのうちの父親は私ともう一人の全部で二人でした。もっとももう一人はおやじの会の会員の知人でした。やはり子供に関して同じような態度をとるものなのでしょうか。ちょっと笑ってしまいました。

    *   *   *   * 

 午後には、中学校の吹奏楽の演奏と吹奏楽講演会の総会に妻が出席するというので演奏会だけを聞きに中学校まで出かけました。今年は例年になく一年生が多く入部したとの事で総勢が60名にもなるのだとか。
 
 吹奏楽の大会に出るにはいわゆるA編成といって50人までが出られるランクがあるのですが、これまでわが中学校は人数が40人弱と足りないのにA編成にこだわって誇りを持ち続けて参加してきたのですが、60人であれば音量としては充分に迫力をだせるだけの人数が揃ったことになります。

 あとは先生の指導で、一人一人をどう育て上げるかという力量が問われる事になります。

 中学校の吹奏楽の大会も、優勝する学校には大抵中学校音楽会の名物先生がいて、「ああ、あの先生がいるから強いんだよ」と良く言われます。

 ほとんどの子供達は小学校では楽器に触った事もないのですから、まったく白紙の状態から育て、鍛え上げて、学校単位で演奏を行うのですから、指導する先生に与えられる条件はほとんど同じと言って良いでしょう。まさに先生の力量が問われる場面です。

 仕事だって同じで、上司も部下もお互いに知らない事を学びながら切磋琢磨して互いにより優秀なチームになろうとすべきなのです。優秀な部下が欲しいなんて贅沢は言いっこなしです。
 自分を育ててくれた上司にはいくら感謝しても、し足りることはないでしょう。しかしその恩義は上司にではなく、今度は自分自身が部下を育てる事で返されるべきでしょう。

 親から受けた恩義を親ではなくて子に返すことで、我々人間の社会は連綿と受け継がれてきたのです。親不孝はまだ良いのです。でも親として子供を不幸にするような行動やあるいは子育ての放棄・無視は許されるべきではないと思うのはそういう理由だからです。

 誰も条件は同じです。自分だけが与えられすぎていたり、自分だけが不足しているわけではないと考えましょう。

 1日が24時間という事も誰にも等しく同じなのです。早く物事に気付く事、早く始める事、誰よりも長く続ける事が自分を成長させて行きます。

 最近「オーラの泉」というテレビ番組を好んで観るのですが、「魂の成長」ということが良く言われます。果たして前世が本当にあるのかどうかも私にはよく分かりませんが、それでも今自分が一定の時間を与えられて生きているということだけは真実です。

 仮に魂に再生があるのならば、この今を生きている時間を使って自分自身の魂を成長させておくべきでしょう。前世の蓄えをむさぼるのでもなく、次への蓄えを自分が少しだけでも増やせるように、です。

 そして魂に再生が無くっても、回りを朗らかにしながら一生懸命に生きる事は意味のある事だと思うんです。

    *   *   *   * 

 夕方にはおやじの会の今年初めての役員会がありました。さて、今年も楽しみましょう。
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よさこいソーラン祭りの先取り変化

2006-05-12 23:57:41 | Weblog
 札幌ではもう桜が散り始めています。本当に桜の花の盛りは一瞬です。

【異業種のパーティ】
 札幌在住の各界の面白い人たちが集まるパーティに誘われて参加してきました。

 この会は年に三回くらい行われて、昨年から参加させてもらっていますが、なかなかの方ととても気さくに話し合えるので喜んで楽しんでいるのです。

 昨日の会ではよさこいソーラン祭りを発案しここまでに仕立て上げた長谷川岳さんにお会いしました。かねてより会ってみたかった人の一人です。

 よさこいソーラン祭りは、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる性質のイベントで、好きな人は観て参加して面白がっているのですが、嫌いな人は「開会中は耳を塞いで寝ています」とさえ言うような両極端なのです。

 私としては確かに「イベント」ではあるけれど「祭」ではないので、なんとかそこに近づける事が出来ないものか、と思っていたのでその疑問をぶつけてみたかったのです。

「長谷川さん、この好き嫌いのはっきりするようなイベントを柔らかなものにするには、本当の祭りに近づけるようなアプローチが必要に思うのです。例えば祭りで優勝したチームだけが神社に感謝の奉納の舞をするというようなアイディアをどのように考えますか」
「そうですね、確かに今のよさこいはカーニバルのようになっているとおもいます。それはちょっと本意ではないのでいろいろに足りないものを補っていきたいとは思っています。しかし神社との関わりは7回目くらいの時に一度試みてみたのですが、例えば北海道神宮の例大祭の時期とはずれがあったりして、なかなかうまくいかなかったというのが正直なところです」

「そうですか、既に試みられているのですね。なんとか融合を図ってみたいものですが」
「私たちなりに足りないものを考えてみました。そうして歴史はない中での北海道の歴史や賑わいなどのノスタルジー、郷愁なのではないか、という考えに至りました。ところが今の音響を大きく発して踊るようなスタイルには郷愁はあまり伺えませんよね」

「確かにそうです。大きな音と踊りのスタイルで気持ちが引いてしまう人は多いと思います」
「はい。そこで私たちは昨年から郡上踊りや北海盆歌のようにやぐらを囲んで輪になって踊る『輪踊り』というスタイルを打ち出しました。今年はその輪踊りのところだけは大きな音を立てないようにして、これまでのスタイルとは一線を画した参加型のものを確立したいと思っているのです」

「なるほど、よさこいも常に変化しているのですね」
「はい、そうです。それに今年は桟敷席も改良を加えています」

「桟敷席ですか?」
「はい、踊りを有料で観てもらうための桟敷席を設けて運営費用に充てているのです。この桟敷席は実は道内では稼働率が悪いために高上がりになるという事から、博多どんたくの業者さんから持ってきてもらっているのです。しかしそれではあくまでも本州の夏仕様で、北海道らしさがないと思いました。そこで、今年は断熱材を敷き詰めることで冬の屋外でも利用出来るようなものを作りました。これが北海道で何度も使われるようになればレンタル料だって下がるんです。こんな北海道の屋外イベントのスタンダードを作れないかなあ、と思っているんです」

 やはり噂通り、爽やかな青年であります。よさこいに対する思いももう少し柔らかく伝わると良いのに。

「ところで、これだけのイベントを大通りを借り切るのに警察とはどのような協議を行ったのですか?」
「はい、それはローラー作戦です。大通りにはここに隣接する地主さんが約2700件あるのですが、その人達すべてから、ここを貸し切りにしても良いよという承諾書をいただいたんです。学生が一番力を発揮出来るのがこういうローラーであり、その有利さを最大限に生かせたと思っています」

「なるほど、そういう地ならしがあったのですね。簡単に警察に『許可してください』と言っても駄目だと思ったのですが、そういう裏付けがあれば警察も動かざるを得ないのでしょうね」
「アンケートをしろ、とかいろいろな条件を付けられましたがそれらをすべて実行して持ち込みましたので、警察も軟化してくれました。最後にはこっそり『高いレベルで頼まれると弱いよ』というようなアドバイスももらえましたよ」

 なるほど、お願い事をするからには先方にも願いを聞くためのセリフと理由を充分に与えなくてはいけないという見本のようです。学生さんの数と行動力がこういうところで効いてくるのですね。
 
 我々も大通りを使うようなイベントの時には見習いたいものです。

    *   *   *   * 

 この会合には芸術家をサポートする企業の女性関係者も来られていて、話が弾んでもう何年も昔に滝野公園にある青少年山の家の土留め擁壁に彫刻を施してもらった藤倉英幸さんの話になり、「あら、藤倉先生なら良く存じ上げていますよ」と言われました。

 藤倉さんは今ではちぎり絵のような独特のトーンの多色刷りの版画でも有名です。是非とも一度お会いしたいものです。

 やはりこういう知らない人の多い会合は楽しいものですね。そうだ、銭函の漁師さんのところへも行かなくちゃ…。
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