北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

都市再生の現場(6)~新宿

2007-06-21 23:15:27 | 東京探検
 今日も夏のような暑い一日。一体誰が「晴れ男」なのか、梅雨時にもかかわらずとうとう現場見学では晴れが続きました。
 雨が降るよりは余程ありがたいことですが。

 今日の最初は、新宿6丁目にある日テレのゴルフ場跡地の見学。新宿駅から約1kmという至近の距離に約4haの土地があり、これを有効に活用しようというもの。

 イメージは超高層のマンションということのようですが、実はここは景観法に基づく規制がかかっているのだそうです。
「絵画館の規制がね…」「???」

 私も実はよく分からなかったので訊いてみました。「絵画館の規制って何ですか?」すると、「それは東京都の建築規制なのですが、青山にある明治神宮の絵画館のまえには有名な直線の園路があって、そこから見える絵画館の姿を景観的に保全しようと言うことになったのです。そのため、正面のポイントから絵画館を見て、絵画館の上に建物が出ては行けないという規制が行われているんです」http://www.meijijingugaien.jp/seitk/

「するとここの高さはどうなりますか?」
「約120mまでしか建てられないことになりますね」

 ネットで調べてみると、日経BPの記事でこんな事が書かれていました。

■ 国会議事堂など三つの歴史的建造物周辺で東京都が建築規制 (2006/03/30) nikkeibp.jp

 東京都は、国会議事堂など三つの歴史的建造物の周辺地域を対象として「眺望の保全に関する景観誘導指針」を策定。4 月1日から運用を開始する。
同指針の対象となるのは国会議事堂のほか、赤坂離宮迎賓館と明治神宮聖徳記念絵画館。これら三つの建物の背後で、(1)高度利用地区(2)特定街区(3)再開発等促進区を定める地区計画(4)総合設計――のいずれかの制度を活用して計画される建物に適用する。
 それぞれの歴史的建造物ごとに正面から見た「眺望地点」を1カ所ずつ設定。眺望地点から歴史的建造物を見たとき、背後に適用建築物が見えない高さにするよう規制する。 (記事終わり)

 特徴的な景観を保存しようとする先進的な取り組みですね。

 
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【番外編】ナチュラルなコンビニ

2007-06-20 23:59:55 | 東京ウォーク
 まちで見かけた面白い風景から。

 バスで都内をぐるぐる回っている内に、変わった色合いのコンビニを見かけました。

 コンビニエンスストアと言えば、普通はフランチャイズで、全国どこへ行っても全く同じロゴマークと色合いの看板を掲出しているものです。そのマークがどこへ行っても同じだと言うことで、だいたいが同じ品質の品揃えやサービスを提供できますよ、というブランドの安心感を消費者に与えていると言えます。

 しかしながらその一方で、そうしたアピールの仕方は都会だろうが田舎だろうがお構いなしで、周囲の町並みの雰囲気とマッチさせようなどとはこれっぽっちも考えていないような、ある種傍若無人なふうさえ感じさせるところがあります。

 便利さと傍若無人さの分かれ目は、「良い悪い」ではなく、あくまでも程度問題なのですが、フランチャイズでは個別店の意向は通じないようで、本社の方針が優先されているのでしょう。

 だから、(色合いの変わったコンビニなどない)と思っていたのですが、まちで見かけたのは、随分おとなしい色合いのローソンでした。その名も「ナチュラルローソン」→ http://www.natural-lawson.co.jp/

 (これは一体なんだろう?)と思ってホームページで検索してみると、今までのローソンとは異なるコンセプトをもったコンビニとして展開をしつつあるお店のようです。

 そこに書かれているコンセプトとは、

 ①安心安全の考え方
 ②ヘルシーで低カロリーなお惣菜&お弁当
 ③安心できる品質のラインナップ
 ④環境に配慮した”癒し”のライフスタイルグッズ
 ⑤肌に優しく安心安全な化粧品&スキンケア用品
 ⑥ナチュラルな店作り

 とされていて、ホームページにはそれぞれにさらに詳しい説明が乗っています。こちらでは、ロハスやヘルシー、高品質、安心・安全などといったワンランク上の品質をお届けするというコンセプトに満ちているようです。

 これを見て、「なるほど、いままではヘルシーじゃなくて高カロリーな総菜やお弁当だったのね」という野暮を言うのはよしましょう。要は少し高い対価を払っても高い品質のものを手にしたい、という客層に対して訴求している挑戦だとも言えるでしょう。

 既存の店舗の商品陳列の中で差別化した商品を置くという路線ではなく、店構えごと別な店舗展開を行って自社の系列のなかで差別化を図るというのは面白い試みです。

 またこちらは店の色合いやトーンが落ち着いていて、原色の青や赤、緑と言ったけばけばしさがなく、地味で周囲に気を使っているようにも感じられて好感が持てるというものです。

 この店舗形態は現在京都・大阪・横浜・東京を中心に店舗展開を進めているようですが、消費者の支持が得られればさらに拡大してゆきそうです。

 傍若無人さを秘めていながらそれを押さえることで好感をもたれるというのを私は、聖書にある「放蕩息子」になぞらえて「放蕩息子効果」と名付けていますが、面白い取り組みだろうと思います。

 滅多にコンビニには行かないのですが、ここは一度のぞいてみようかなあ。  
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都市再生の現場(5)~北区と足立区

2007-06-20 23:36:19 | 東京探検
 今日も晴れて暑い一日。バスの車中のお茶が美味しいこと。

 今日の現場は北区と足立区。ここは港区や品川区などのような経済最前線的な活気とはまた違った庶民の活気に満ちています。

 北区でまず見学したのは、東京外語大学の移転跡地に建設中の西ヶ原防災公園。ここでは約4.5haの土地が大学の移転によって空きました。

 そこで北区からの依頼を受けて、当社が土地を取得したあとに、区の要望を聞きながら土地全体の計画を立てて事業を進めているものです。決まった計画では、防災のための避難地となる公園として約2.1ha、福祉施設・特養老人ホームとして0.6ha、民間の住宅事業者に対して住宅のための土地として提供する分として1haなどが決まっています。

 またこの土地の周辺は密集地区で外周道路が大変に細かったので、この土地の周囲を一回り約0.3ha提供して道路拡幅も行われました。こうした種地を開発する際に、周辺の住民や行政と一体となって問題・課題を解決するというのが「まちの再生」の理念ということです。

 その昔を知らない人ができあがった姿を見れば、何の変哲もないただの広い道路のように見えますが、ここに至るために計画を練り、多くの調整を行った縁の下の力持ちがいるのです。

    ※    ※    ※    ※

 続いては東部伊勢崎線の西新井駅西口近くでの大規模な面開発の現場です。ここは日清紡の工場跡地約15haのうち約11.6haの土地を取得しての住宅開発事業です。

 ここでは、我々の事業の外でイトーヨーカドーが約38000㎡のショッピングセンターを建設中で、今年の11月にはこれがオープン予定。ここには10スクリーンからなるシネマコンプレックスも導入されるそうですが、なんと足立区にはこれまでこの手の映画館がなかったのだそうです。

 かつては足立区にないもの三つ、と言われていて、一つ目が大学、二つ目が映画館、三つ目がちゃんとしたホテルだったのだそうです。

 このうち大学は東京芸大がこの地に移転してきたので念願が一つ叶い、今回のシネコンで二つ目の念願も叶いつつあるところ。三つ目のちゃんとしたホテルというのが叶っていないそうですが、東京の特別区でもそんなところがあるとは意外でした。

 北千住駅周辺では、JTの社宅から取得した土地を活かして、駅前広場を作りつつ既存の駅前商店街をできるだけ残すという計画も進められています。都市計画の変更手続きや各種補助事業の投入など、まちづくりの様々な知恵を盛り込みながら、地元にとっても長続きするようなまちづくりが行われなくてはいけません。
 そのあたりが、単なる儲けだけを至上命題とする民間事業者とは違うところですね。

 今日はバスでの移動距離が長く、上記以外にもたくさんの現場をみせてもらいました。港区などとは違った庶民的な活力が伺えましたよ。

 東京は広くて多様ですね。

 
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都市再生の現場(4)~墨田区の新東京タワー

2007-06-19 23:05:20 | 東京探検
 一時は暑かったものの、夕方には涼しくなりました。雨が降らないのは現場視察のためには助かります。

 今日の現場は葛飾区、墨田区そして江東区。東京の北東地区。なかでも墨田区の押上・業平地区では地上610mの新東京タワー建設が決定していて、2011年7月24日に予定される地上アナログテレビ放送の終了に備え、2008年半ば着工、2011年半ば竣工予定とされています。

 ここでも生コン工場の移転問題や、土地開発などに当社の技術者が協力をしています。

 新東京タワーができると、大変な観光資源になるであろうことは想像に難くありません。当然周辺の人の流れが変わることで様々な影響を与えることでしょう。
 今からそういうことを目論んだ周辺の再活性化も始まっています。先々を読む力と、それを実行に移してこのまちも面目を一新しようとしていますよ。

 なお、産業としての日本の生コンの発祥は、まさにここ墨田区押上町7番地の東武鉄道業平橋駅構内にある東京コンクリート工業㈱の業平橋工場なのだそうですよ。
 工場ができたのは昭和24年11月のことで、その後生コンはビル建設や地下鉄建設をはじめ日本の高度成長に大きな貢献をしたのです。近くをバスで走ったところ、「生コンクリート工場発祥の地」の記念碑がありましたが、この工場ももうすぐ移転するそうです。昭和の歴史を訪ねるなら今のうちですよ。

    ※    ※    ※    ※

 視察を終えて事務所に戻ったところ、テレビで事故の様子が放映されていました。渋谷の松涛での女性用温泉での建物爆発事件。

 現場の地図を見ると、先日私が歩いていたところのすぐ近くではありませんか。報道では「近くを通行中の男性が怪我をして…」と言っていました。まかり間違えば私だったわけですね。危ない危ない。

    ※    ※    ※    ※

 父の日のプレゼントとして白いポロシャツが二人の娘の名前で届きました。嬉しいねえ。さっそくこれを着て、都内を自転車で駆けめぐることにしますか。ありがとう

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都市再生の現場(3)~中央区晴海・勝ちどき・月島界隈

2007-06-18 23:10:20 | 東京探検
 今週も午後を中心に、活動区域の視察が組み込まれています。雨のない梅雨空、今週末までもってくれると助かるのですが。

 さて、今日の視察先は中央区、千代田区、台東区を所掌する部隊でのお仕事です。ここでは特に海に突き出した晴海埠頭などでの開発事業が進んでいますよ。

 まず我々は晴海のトリトンスクウェアにある我が社のプレゼンルームで、事業の全体像を説明して頂きました。ここには所掌する範囲である中央区、千代田区、台東区の1/1000の模型があって、まず来訪者を圧倒します。
 この模型、高さも正確に1/1000に作られていますし、特徴のあるビルはその姿も精巧に再現されています。お台場のフジテレビもこのとおり。そっくりでしょ。

 こうして東京を上空から眺めてみると、高層ビルがどのようになっているのかや、低層の住宅やビルがどのあたりにあるか、といったことも一目で分かります。
 特定の場所を説明するときはスポットライトを当てるので、これまたすぐに場所のイメージが浮かびます。地域のイメージを一発で説明できるこの模型はすごい。

    ※    ※    ※    ※

 プレゼンルームで説明を受けた後は、晴海のお隣の勝ちどき地区で現在建設中の58階建て超高層マンションが二棟セットになった「タワーズ」を見学です。こちらはかつて我が社も関わったものの、賃貸住宅用の床として取得していたものを賃貸することを条件に民間に対して売却をしたという物件です。

 二棟で提供する床面積は約38万㎡といいますから、大きなショッピングセンター十棟分の床面積。供給する住宅戸数は2794戸の予定で、数千人がこの二棟のビルで生活をするという計算です。

 建設中の会社の特別の計らいで、56階の部屋を見せてもらうことができました。南西の角の部屋では、左にお台場から右へ向かってレインボーブリッジを見下ろし、品川、東京タワー、銀座、秋葉原、上野と、東京を180の範囲で見下ろすことができる、素晴らしい眺望です。

 六本木ヒルズの高層階から東京を見下ろすセレブを「ヒルズ族」と呼ぶようですが、「タワーズ族」という言葉も生まれるかも知れません。最上階付近は分譲になっていて、4LDKで約150㎡の物件のお値段は分譲価格で1億円を超えるとのことですよ。一体どんな人が住むんでしょうねえ。はー。

    ※    ※    ※    ※

 この勝ちどき界隈には、少し北へ行くと「もんじゃ焼き」でおなじみの月島地区があります。この月島地区は、戦災復興でできた地域で、細いながらも整然とした道ができあがっていて、整然とした密集というイメージがぴったりの地区です。写真の、低層になった一角が月島のもんじゃ焼き通り。

 すぐ近くには超高層ビルが建ち並び、その足下ではそれを見上げる密集地区があるというコントラストは、特に外国人には大人気なのだとか。一軒一軒のお店の面白さや路地の植木鉢などは、もっとも日本らしい風景の一つなのかも知れません。

 最後に視察をした地区は、バブル期に歯抜け的に地上げが行われた傷跡のような地区でした。ここではバブリーな条件提示を受けて、長屋であるにも関わらず一軒一軒と権利を手放して歯抜けになり、どうしようもなくなりかけた土地でした。

 お陰で隣の家がなくなって共通だった壁には隣の家と同じ形にトタンが貼られていたりします。狭い土地でも使おうとすれば、わずか150㎡の土地に10階建てのマンションが建てられたりして、そうなったところではもうしばらくはやり直しもきかないことでしょう。

 こうした地主の人達に対して、区とも連携しながら区画整理と再開発を持ちかけて、良好な土地利用を行うというのもこれからの重要な仕事になることでしょう。
 民間では一区画の土地でしか開発をしませんが、土地を一区画にする手段が札びらではやはり無理があるのです。

 高層ビルと低層住宅街、このコントラストが東京らしい風景の一つであることは間違いなさそうです。

 
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自転車のまち巡り~代官山・南青山

2007-06-17 23:57:02 | 東京探検
 梅雨がどこかへ行ってしまった週末。今日は昨日より涼しい一日。あちこちでアジサイが花盛りです。

 今日も昨日に続いて三軒茶屋出発の自転車によるまち巡りです。まずは三軒茶屋の商店街を眺めながら蛇崩川(じゃくずれがわ)緑地を巡って中目黒の駅前へ。ガード下の古いお店群に郷愁があります。

 中目黒で地図を見ていると、西郷山公園という公園があるようなので向かってみました。ここはちょっとした高台になっていて、頂上からは東京の南から西方面がよく見えました。

 西郷山周辺の土地は、かつて西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち)が、鹿児島へ帰った兄の再起を願って入手をしたのですが、隆盛没後はこの地に屋敷を建て回遊式の庭園をつくったのだそう。そこで地域の人達からいつしか「西郷山」と呼ばれるようになったのですが、目黒区がここに公園を作ることとしたところ、郷里鹿児島から「西郷さん縁の土地だから」ということで献木が相次いだのだそうです。
 故郷の縁を大事にする気持ちはいつの時代も変わりませんね。

    ※    ※    ※    ※

 続いて自転車は代官山へと向かいました。ここも駅前には代官山アドレスという再開発ビルが建てられ、周辺は大人好みのファッショナブルなお店が多く、若い人達で賑わっています。
 
 代官山ヒルサイドテラスという、上質の地域開発の中には、東京では開発によってほとんどなくなってしまって珍しい部類の、古墳時代末期の円墳の上に猿楽神社が建立されていました。現代的な都市開発の中にこんもりした緑があるというのは、絶妙のバランス感覚です。
 面白そうなお店が多いけれど、さらにいくつものお店が出店しかけているようです。大人に人気のスポットですね。

    ※    ※    ※    ※

 さらに自転車をぐんぐん走らせて、有栖川宮庭園で休憩。周辺の地図を見ていると、仙台坂という地名が目を引きました。(仙台坂…?)おお!いつも愛聴している東京FM系で土曜日の午後5時から放送されている、「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー”アヴァンティ”」があるのが、『仙台坂を登った、ほらあそこ…』だったはず。

 あくまでもラジオドラマ上の設定とはいえ、まずは行ってみることに。実際に着いてみると、坂は麻布十番方面に降りて行く急な坂でした。写真に撮ると、何の変哲もない坂にしか見えません
 仙台坂という坂名の謂われは、江戸時代、この南麻布1丁目一帯に仙台藩伊達氏の下屋敷があったからだそうで、現代生活も歴史と無縁ではありませんね。

 でもアヴァンティらしいイタリアンレストランはありませんでした。当たり前か…。

    ※    ※    ※    ※

 昨日に引き続いて麻布十番商店街を巡りながらも、昨日とは違った道で帰ることにして、南青山から表参道方面へと向かいました。すると、そこで見かけたのは「致知出版社」の看板。

 致知出版社というのは、ときどき私のブログに登場する安岡正篤先生の本を出版している会社です。
 (そうかー、こんなところにあったのか!)と、ちょうど出版物の看板をデジカメで撮影していたところ、その会社の方が買い物から帰ってきたところで、思わず会話になり、「吉田松陰一日一言」の本を購入することができました。

 聞けば、「今度は二宮尊徳の一日一言を出版する予定ですよ。二宮尊徳って案外皆さんご存じなんですよね」とのこと。二宮尊徳と来れば私も一家言あるので、さらに会話が弾みました。

 帰りがけには「名刺代わりに」と、この出版社が年契約で毎月発行している「致知」というこの月刊誌もいただきました。
 人間学について学ぶ機会をえました。こんなところで出会うとは、まさに縁尋の機妙かも知れませんね。

 今日はあちこちの商店街で歩行者天国にしてのイベントをしているところが多かったのですが、晴天で随分賑わっていました。
 商店街に活気があるというのはやっぱりいいなあ。
 
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自転車のまち巡り~三軒茶屋・港区界隈

2007-06-16 23:58:08 | 東京探検
 関東は今日も真夏日。空気が澄んで遠くまで見えます。今住んでいる社宅のドアを開けると遠くに富士山が見えました。すごいなー、となんだか感動です。

 さて、梅雨の中休みでせっかく天気がよいので、まちめぐりに出かけました。今日は三軒茶屋で自転車を借りて、東京の南側を巡りました。

 三軒茶屋と言えば、まずは密集地区でおなじみの世田谷の太子堂(円泉寺)が近く。以前に訪れたときは門が閉まっていましたが、今日は無事にお参りができました。
 このあたりは、ここ円泉寺が聖徳太子を奉っていることから太子堂と呼ばれていたとのことですが、「太子堂村」という記述は安土桃山時代頃から見られるとのことですので、歴史豊かな地名です。

 自転車なら狭い道もすいすい。東京の坂はなかなかきついのですが、押して昇ってしまえば下りは楽々。太子堂からは上り下りながら次の目的地は祐天寺。

 東急東横線に祐天寺という駅名がありますが、今まで行ったことはなかったのです。こちらの開山は江戸中期の名僧祐天上人で、実際に寺を創建したのは高弟の祐海上人とのこと。
 江戸時代は新しい寺の創建は厳しかったらしいのですが、ここは祐天上人の人徳もあって例外的に徳川幕府にも庇護されて、立派な寺院が建てられたのでした。

    ※    ※    ※    ※
 
 坂を上り下りして次に向かったのは目黒通りの大鳥神社。ここでは芽の輪くぐりが行われていました。 

 芽の輪の起源については、日本書紀や備後の国風土記に記載があって、心優しい蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ=後に素盞鳴尊すさのおのみことに習合される)に一夜の宿を提供したところ、「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、意地悪だった弟夫婦は疫病で死に、蘇民将来一家は疫病から免れることができたという故事に基づいています。

 今でも「疫病になったら蘇民将来の子孫なりと書いて家に張り出せ」という故事に由来する蘇民将来信仰は根付いていて、旧家などへ行くとよく家の玄関の上に蘇民将来札が掲げられているのを目にすることがあります。
 
 ここ大鳥神社は東京都内でも最も古くからある神社の一つだそうで、日本武尊が東国平定のときに立ち寄られたのが起源だと言うことになっているのだとか。なるほどー!。

    ※    ※    ※    ※

 さらに自転車をこいで向かったのは高輪の泉岳寺。言わずと知れた赤穂義士たちの墓所のあるお寺です。今まで一度も来る機会がなかったので、今日は絶好の機会となりました。

 改めて赤穂浪士の物語を振り返ると、当時吉良邸は今の両国国技館の少し南側にあって、そこで討ち入りを果たした後に、全員がここまで来て泉岳寺にこもったのだそうです。

 四十七士の墓は一角に整然と並べられていて、参詣に訪れる人達の線香が絶えることはなさそうです。

 四十七士の墓に参った後で帰ろうとしてふとよく見ると、易聖と呼ばれた明治の偉大な実業家にして、その一方占いの高島暦の創始者である高島呑象(どんしょう)先生のお墓があることに気づきました。

 はー、こんなところに高島呑象さんのお墓があったとは。来て良かった。

 自転車のまち巡りはそこから麻生十番商店街を見て回ってから三軒茶屋まで戻りました。

 さすがに六本木から三軒茶屋までの自転車の帰り道は坂が多くて閉口しました。

 三軒茶屋の貸し自転車は、ママチャリだけど一日たったの200円。これで東京が縦横に巡れるならば安いものですね。
 さて、明日はどこに行こうかな。

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都市再生の現場(2)~大崎・田町

2007-06-15 23:55:11 | 東京ウォーク
 梅雨入りしたはずの関東も今日は快晴で真夏日。梅雨はどこにいったのでしょう?

 さて、今日の現場視察は港区と品川区。なんといっても23区の中でも指折りのお金持ち区ですから、都市のリニューアル開発も活気が溢れています。

 現場はまずJR大崎駅周辺から。大崎と言えば先日も懇親会で訪れたばかりですが、この周辺の開発の説明を聞けば、なお一層都市の動きが鮮明になってきます。

 ここも都市再生緊急整備地域として約60haが指定を受け、個別民間のビル再開発や我が社による居住環境整備、区による学校の整備、住民による組合施行の再開発など、事業がてんこもりなのです。

 我が社の保有する賃貸住宅の最上階から周辺を眺めると、まさに次々と開発が進んでいるようすが伺えます。大崎も今では「大崎副都心」と呼ばれ、新しいビジネス空間と居住、商業などが集積をしようとしています。

 写真の右側の施設は品川区が始めた小中一貫校日野学園の建物。構造改革特別区域の小中一貫特区が認められてここに至っているのです。グランドは二階建てになっていて、一階部分には区の公共施設が入っているそうですよ。

    ※    ※    ※    ※

 続いてはJR田町駅の東側開発。ここでは東京ガスの所有地が移転して更地化することから、跡地活用について民間事業者との共同事業による活用を検討してきているものです。
 
 これに港区もまちづくり構想も一枚噛んだ動きがあるものです。田町駅は、東側の芝浦アイランドという人工島の居住が大好評で、比較的若い人の人口が増え、駅の主要な出入り口が東側に変わってしまったのですが、この東側が昔ながらの手狭な駅前広場でなんとかしたいことと、同時に、子供の数も増えてこの地区の小学校が手狭になったということが地域の課題。

 これに公共施設の老朽化から建て直すなら今、という気運が大いに盛り上がっているのです。

    ※    ※    ※    ※

 我々はともすると、ビル建築は簡単にはなくならないように思いがちで、見慣れたビルの風景は早々変わるものではない、と思っているのではないでしょうか。
 どっこい、ビルにもOA化や省エネ、環境問題など次々に新しいニーズが
加わってくるものですし、どこかのタイミングでリニューアルを図らなくては床単価も下がっていくものです。そうしたいろいろな経済状況を考えれば、立て直しという動きもあるもので、そうした都市の動きは健全な新陳代謝として見るべきでしょう。

 残念ながら地方都市では、建物は老朽化するもののそうした新陳代謝を促すような経済的な背景が弱いために、建て替えに進むも地獄、そうかといってそのままでいるのも地獄という、板挟みに悩んでいるところが多いことでしょう。

 これが実に難しい課題です。容積の上積みが経済を産むのは東京や名古屋など大都市圏に限られてしまっています。

 集積を促してコンパクトシティを目指した方が良い、ということは漠然と分かっていても中途半端な開発が地域の雰囲気に悪影響を与えることも考えられます。
 そこでは地方の知恵と覚悟が試されています。 

 今日は昨日は違って快晴の現場視察。視察はやはり晴れていてくれた方が良いですね。

 最後にまちで見かけた薬の宣伝文句。なかなかウィットに富んでます。

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都市再生の現場~大手町の連鎖型都市再生

2007-06-14 23:08:41 | 東京探検
 関東地方も今日から梅雨入り。今年も平年並みに雨が降り、平年並みに暑くなって欲しいものです。
 マスコミを喜ばすだけの異常気象になるのならいりません。普段並みがよいのです。

 さて、我が職場では6月の人事異動を終えて、人の入れ替わりが一段落した今日この頃です。そこで新しいメンバーによる、現場の状況の勉強を兼ねた視察会が今日から来週にかけて行われることとなりました。

 この視察会は毎年この時期の恒例だそうで、現地視察をばらばらに行うと現場の担当者の負担も大きかろうと、バス一台で移動できる範囲で合同で行おうというものです。
 我が職場は東京でも最先端のまちづくり、まち育て、まちのリニューアルを手がけているところですから、こういう機会を逃してはならじ、と私も参加を決めたものです。来週末までの毎日午後の時間を、都内を7つに分けているユニットと呼ばれる部隊ごとに現地視察としますので、さぞ面白い東京が見られるものと今から期待しています。

    ※    ※    ※    ※

 さて、その現地視察会の記念すべき初日に見せてもらったのは大手町ユニットの現場でした。

 大手町と言えば、かつて私も水戸や松本で関東地方建設局(当時)傘下の事務所に勤務していたので、大手町にあった合同庁舎を良く訪ねたものです。

 しかし国の機関の地方移転という政治的判断によって、その後の関東地方整備局は埼玉へと移転していったのでした。その後入っていた合同庁舎は国の財産として財務局が売却することになったのですが、折からのデフレ不況下で資金を緊急に社会に流しこめ、という動きを受けてわが社がこれを購入することになったのでした。

 さて、こうしてすばらしくポテンシャルのある土地があるわけですから、当然これを有効に活かしたいという構想がわき起こります。
 ところで、大手町のまわりの住人たちを見回してみますと、政策投資銀行、日本経済新聞社、JA、経団連…など、日本を代表する企業群があって、しかもそれらがほぼ一様に1960年代前半に大蔵省造幣局から土地の払い下げを受けて土地を取得して建てた老朽ビルばかりなのです。

 これらの企業群は、自社ビルの建て替えのために業務を停止するなどということが許されません。そこで、我が社が保有する土地を種地として、こちらに新しいビルを建設し、そこへ移転、それまでいた土地を手放してこんどはそこへさらに近隣のビルの建て替えを行うという、連鎖型の都市再生を行うこととしたのです。

 やり方は、まずそれまで各企業が持っている土地の価格を算出して、その価値を新しい土地に割り振る「区画整理の手法」が取られます。

 そしてそれと同時に、小泉政権下での都市再生プロジェクトに指定されたことで、敷地の中に立てて良い建物の延べ床面積を大幅に増やすという特例が認められたことで同じ面積の土地でもより多くの建物の床面積を作ることができるメリットを生かした再開発事業を連携させます。

 我々が持っていた土地では、都市再生特別地区という制度がかけられ、そのことで従前は容積率が1200%だったものが+390%の割り増しを受けて、1590%まで建てて良いこととなりました。

 単純に言えば、それまで12階のビルしか建てられなかった土地に空中をより有効に利用して、16階のビルが建てられるようになったのですから、地主としてはそこで得た新しい空間を希望者に貸し出すことで大きなメリットを受けられるというものです。
 実際には建物を建てる面積は敷地よりも相当狭くなりますから、もっと上に階数を重ねることになり、この土地では31階、37階、23階という三棟のビルが建つことになる計画なのだそうです。

 しかもこの事業には一切国や都の補助金が入っていないのだそう。
「大幅な容積割り増しが認められましたからね。それが資産としては大きな利益を得ることになるんです」とは担当者の説明。

 さすがは日本一の経済活動が展開されている大手町の一等地でのお話し。それまで使えなかった空中をより多く利用させることで莫大な経費を生み出す仕掛けです。
 
 工事現場では現在ビルの地下三階に相当する地盤の地ならしが行われていました。私の通った関東地建ももう取り壊されていて、新しいビルの土地として有効に利用されることでしょう。

 そもそも建物にも寿命がありますから、周辺の企業群もいずれ建て替えをしなければならない時期が近づいてはいたのでしょうが、今回のこの事業に乗れば、自らの持ち出しが一切無しで、自社ビルが新しくなると言うのですから乗らない手はないわけです。

 細かな条件調整はあったものの、まず経団連、日経新聞、JAの三者が新しい土地に新しいビル建設をすることになり、現在はそのビルの建設が行われているところです。

 新ビルが建てられれば、この三者がまずそちらへ移転して、空いた土地で今度はまた新しい都市再生が行われるというわけです。まさに連鎖型ですね。

 「都市の再生」と一言で言っても、民間企業が保有している自社ビルを同じ敷地の中で建て替えるだけであれば都市の再生にはなりません。

 その機を活かして、周辺を巻き込んで新しい道路や公共空間を作り上げることこそが都市再生の真骨頂であり、それは土地保有者だけではなかなかできず、そこにこそ、我々のような新しい地域づくりを計画し、提案し、土地も買えるという半公共的な組織の存在意義があるというものです。

    ※    ※    ※    ※

 この事業は4月に起工式が行われましたが、その際には安倍総理も来賓として出席をされました。それほど期待の掛かる国家プロジェクトとも言えるのです。

 この一連のプロジェクトは平成25年までかかって、連鎖的に行われて行くとのこと。まさに東京の一等地での最先端の都市再生です。すごいことが起きようとしているのです。
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自動車のコマーシャル

2007-06-13 23:32:56 | Weblog
 水不足を嘆くニュースが流れるなか、九州と四国が梅雨入り。関東ももうすぐ梅雨の季節です。

 先日の夏富士会議での四方山話から。ある有名自動車会社の方とお話しをしていて、「最近自動車のコマーシャルが変わったと思いませんか?」と話しかけられました。

「うーん、なんでしょう…」
「コマーシャルに登場するのに女性が多くなったと思いませんか」

「なるほど、そういえばそんな気がしますね」
「当社は1000ccクラスで女性に大人気の車種があるので、そのCMに女性が登場するというのは当たり前としても、それ以外の他社の車種でも女性が登場するCMが多いんです」

「それはやはり理由があるんでしょうね」
「はい。家庭の中でどの車を買うかという判断を誰がしているか、という調査をしてみると、3割が男性で7割が女性、という結果が出たんですよ。つまり、女性の眼鏡にかなった車でなくては買ってはいただけない、ということなんです」

「なるほど、それでコマーシャルにも女性が登場することが多くなったわけですね」
「はい。それに、新車の最終デザインを決めるときは幾つかの最終デザイン案に絞り込んで、経営トップの判断を仰ぐのですが、そこにいたる前に必ず女性だけのチームの意見を聞いて、絞り込んでおくんですよ」

 なるほど。最近は若者の間で車が売れなくなっていると聞きます。消費に向ける対象として、車の優位性が下がってきているようなのです。

 かつては車のデザインといえば、男性ばかりが担当していたとのことですが、今ではすっかり様変わり。

 女性の意見が世の中を動かしつつあるのです。
 
コメント
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