「信賞必罰」と言いますが、これがなかなか難しい。
特に、"人を褒める"ということはタイミング、言い方など慣れないものです。
しかし一たび人に褒められた時、褒められたものにとってはかけがえのない喜びに変るときがあります。
致知12月号に、中村学園大学教授の占部賢志先生が、「心の闇にともる励まし ~ 褒める行為が感化に実を結ぶとき」という一文を寄せられていましたのでその一部をご紹介します。
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…筆者(中村先生)の手元に古びた一冊の本があります。学生時代に先輩から紹介されて求めたもので、死刑囚島秋人(しまあきと)の『遺愛集』という歌集です。彼の名はペンネームですが、ここではこの名前を使うことにします。
島は昭和九年に生まれました。満州で幼少期を過ごし、終戦後、両親と共に新潟県に引き揚げます。ところが母が結核で死去。本人も病弱で結核やカリエスをわずらい、七年間もギプスをはめて育ったと言います。小中学校での成績は最下位だったようです。
そんな風でしたから、周囲からはうとんじられ、しだいに荒れが目立つようになり転落の一途を辿るのです。一時期は少年院に入れられたこともあると言います。
その彼が昭和三十四年雨の夜、飢えに耐えかねて農家に押し入り二千円を奪い、争ってその家の人を殺し死刑囚となります。
獄中で島は悔恨にさいなまれながら、みずからの薄幸の人生を振り返る毎日を送るのです。振り返れば振り返るほど、真っ暗だった人生に絶望感が募ります。
そんな拘置所生活でのある日、記憶の彼方にたった一度だけ人からほめられたことがあるのを思い出すのです。それは中学時代の図工の授業中の事でした。級友の前で、先生から「君は絵は下手だが、構図がいい」とほめられたのです。
先生の名は吉田好道(よしみち)先生、美術の先生でした。島は、そうか、こんな俺でもほめてくれた人がいたんだ、と心底嬉しくてたまりませんでした。こうして、彼は矢も盾もたまらず、吉田先生に手紙を書きます。
すると先生ご夫妻から刑務所に返事が届いたのです。島の感激が目に見えるようです。実はこの時の経緯を先生の奥様が、昭和六十三年にNHK教育番組で放送された『こころの時代』のなかで回想されていますので、紹介しておきましょう。
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島からの手紙が届いたのは秋の彼岸の中日だったようです。吉田先生は部屋で手紙を読んでいましたが、奥様が覗くとだんだん頭が垂れ、背中を丸めたまま動かなくなってしまったといいます。
奥様は心配になって何の手紙か訊ねたところ、先生は黙って教え子島の手紙を渡されたそうです。文面には自分の身の上とともに、かつて先生にほめられた思い出と、もう一度先生の絵が見たいとの願望が綴られていました。
先生は大変胸を打たれた様子で、画材を持って海に絵を描きに出かけたそうです。こうして出来上がった絵と一緒に返信を出しています。
この時、奥様も手紙を同封しましたが、結びに短歌を添えられたのです。獄中の島は感激に浸りますが、とりわけ、奥様の短歌に心がひかれ、自分でも作るようになり、新聞の歌壇欄に投稿するまでの身の入れようでした。
新聞歌壇に彼の短歌が載るのをきっかけに、選者の窪田空穂(くぼたうつほ)氏から指導や助言を受けるようになりました。後には死刑囚ながら毎日歌壇賞を受賞する栄に浴しています。
以下、日々の獄中生活の中で詠まれた彼の歌です。
やさしき旧師の妻の便り得て
看守に向くる顔の笑みたり
日に二通厚き封書をたまはりて
素直に昏(くれ)る灯の下に読む
初夢に中学の師のあらはれて
ホイッスル吹くにわれ走りたり
決して洗練された巧みな歌ではありません。しかし、暗闇に生きる孤独な死刑囚にも、一条の光が射す様子が惻々(そくそく)として伝わってきます。
彼はこうして犯した罪を悔い改め、昭和四十二年の晩秋、小菅刑務所にて処刑されます。享年三十三歳でした。
人生を無軌道に突っ走り、挙句に死刑囚となり果てた男すら変えてしまう根源の力、- それが吉田先生が言った「君の絵は構図がいい」という千鈞の重みをもつ評言だったのです。
この時、吉田先生は気休めに劣等生だった生徒を持ち上げたわけではないでしょう。
吉田先生は図工の先生、絵や彫刻などの実物教育に毎日当たっていたのです。その鍛え抜かれた目が見逃さなかった。うむ、この絵は構図が良い。そう見て取ったのです。
教育の場での「ほめる」とは、こうありたいと筆者は切望してやみません。
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いかがでしょう。決してその場しのぎやごまかしの褒め言葉ではなく、心から良いと思ったその真の心からくる評価としての褒め言葉は、相手の心に深く深くささることがあるのです。
信賞必罰などという大仰なことではなくても、日常の中で良き振る舞いや良き心根をちょっとした言葉でほめる、評価するということだけで人は変わるかもしれません。
そういう言葉を大切にしたいものです。