北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

掛川市、元市長榛村さんとのまちづくり問答

2013-12-01 22:15:16 | Weblog

 

 朝一番でお世話になった榛村元市長のお宅を訪問してきました。

 私より二回り上の戌年なので今年79歳になるとのことですが、お元気でまだまだご活躍です。

「いやあ、よく来たねえ」と言いながら、どこかへ出かけるような服装で出迎えてくれたので、「どちらかへお出かけですか?」と訊くと、「うん、これから小田原へ行ってくるんだ」とのこと。

「はあ、報徳の関係ですか」
 二宮尊徳は今の小田原市にある栢山(かやま)村というところで生まれたのです。

「いや、今日は報徳じゃあなくて、小田原城を今度木造にしたいという動きがあるのだそうなんだ。そこで、お城を木造で再建したとなったら掛川城で榛村だ、ということをまだ覚えている人がいるんだなあ。それで今日は、『シンポジウムをするから来てほしい』ということなんだよ。ははは」
「なるほど、しかし小田原城となるとかなり大きいですよね」

「そうだねえ。掛川城なんて小さいから10億円くらいでできたが、小田原城となると3.5~4倍くらいの大きさだろう。そうするとかかるお金も40億円とか50億円とかになる。それだけのお金が集まるかどうか、ということはまずあるね」
「今もすでにお城があるわけですから、復元は問題ないのでしょうか」

「いや、そこだって、いつの時代のお城で復元するかだよ。北条五代の頃なら図面があるかどうかだし、江戸時代の大久保の殿様になってからのお城じゃあつまらないんじゃないかな」
「市政でやってこられたことは今も参考になるんですね」


「そうだね、それに新幹線関係でも呼ばれているんだよ」
「ええ?そちらは何ですか」

「長野新幹線の上田駅と長野駅の間に新駅を作りたい、という声があるんだそうで、やっぱり新幹線新駅をつくるにはどうしたらいいか、それなら新幹線掛川駅で榛村だ、ということになって、そちらにも行って話をせにゃいかん」
「ははー、相変わらずご活躍だということがよくわかりました(笑)」


    ◆   


 本当に久しぶりの榛村さんなので、考えを聞きたくていろいろと問答をしたくなります。 

「榛村さん、これから国の人口が減ると、集落そして地方自治体の人口が減ってゆくと思いますが、どのようにお考えですか」
「そうだなあ、僕は、地域が抱える細かくていろいろな役割を担ってくれている人たちが、『最後のご奉公だ』と意地を張って支えているような今のシステムで、あと十年は持つと思っているんだが、逆にいうと今のままならあと十年しかもたないということだ」
「この十年の間に新しいシステムを当たり前にしなくてはいかん、と」

「そうだねえ。例えば森林の管理一つだって、国有林ではいかんというレッテルが張られて、そうかといって民間でもだめだというので、"新しい公"というような言い方で森林組合が管理をしている。しかし儲かるところなら民間事業者が力を注ぐような森林組合で食っていけるが、食っていけない森林組合も出てくるだろう。そうなると国がまた面倒を観なくちゃいけなくなるのかもしれない」
「しかし、それだけの金が政府にも地方にもないとしたら、行き詰まりを見せるのではないでしょうか。私も、森林に限らずこれからは、全国一律の制度だと"それでちゃんとやれるところ"と"やっていけないところ"が両方存在する"まだら模様"になって行くのだろうと思うのです。だからやって行けないところは知恵なり新しいことを始めていかなくてはならないのではないでしょうか」

「うん、難しい時代になるねえ。それにしても、僕はなんやかやで全国を見て回っているからわかるんだけど、掛川ほど幸せなマチはないよ。このマチの中にはどこかに何か役割があって仕事があるから、そうそう食いっぱぐれるということがない。でも他のマチを見られない人はそういうことが分からないんだなあ」

 掛川で助役をしていた時も、日中はお互いが忙しいためになかなか会えないのでした。そこで、夜の10時くらいから互いの部屋を訪ねあって互いに意見を求めるような問答をしたことをつい昨日のことのように思い出します。

 久しぶりに榛村さんとの問答が楽しめたひと時でした。 

 相変わらず偉ぶらずに、優しくかついろいろな事を好奇心いっぱいに訊いてくださいました。

 またお会いできる日を楽しみにしています。 


 富士山静岡空港からの富士山は今日も綺麗でした。 

 

コメント
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