北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

文体という個性

2013-12-11 23:22:05 | Weblog

 

 以前から他人の書いたブログを読んでいると、「○○のための5つのポイント」というようなタイトルについ惹かれます。

 こう書かれると、つい(読んでみようか)という気になりますし、記事も問題のポイントを箇条書きにして端的に示されていて分かりやすく、頭にも入りやすいのだと思います。

 私も時々情報提供的な記事を書くのですが、大抵は全体を一本のエッセイ風な書き方でまとめる書き方でした。

 しかしそれだと、言いたいことは網羅されているつもりでも、受け手の側にインパクトある伝わり方がしていなかったのかも知れないと反省をしました。

 そこで試みに、私自身のブログでも何回か「○○のための××つの…」という風にして、伝えたいことを箇条書きにして、課題とその解決に向けた考え方をまとめるような書き方で書いてみました。

 すると読んでくださっている方にもこのような書き方は記憶に残るようで、先日掛川で講演をした際にも、私の話が終わった後に、真っ先に質問の手を挙げて「小松さんのブログに、『講演を聴くときにこうありたい三つの姿勢』という記事があって、そのなかに一番前に座って、真っ先に質問をしよう、という事が書かれていたので、質問をします」と言ってくれた方がいました。

 やはり印象に残りやすいのでしょうか。

 

    ◆   ◆  
  


 ブログを書き始めた頃は、文章が論文調になってみたりエッセイ風になってみたり、小説風になってみたり。また文末も「です・ます」調が良いのか、「だ・である」調が良いのかと、文体が定まらなくて苦労しました。

 半年ほど試行錯誤を重ねながらどうにか書き続けられるようになったのは、今の形に文体が定まってきたからに外なりません。

 ブログを書き続けられない、という方のなかには、「起承転結」も大切なのですが、文体が安定しなかったり定まらなかったりしているから、という方もいるのではないでしょうか。

 野球で言うとピッチャーの投球フォームや、バッターの打撃フォームみたいなものかもしれません。

 文体や書き方のスタイルって、これはこれで自分の個性になるもので、案外大切なことなのです。


    ◆   

 
 さて、今回の「いくつかのポイント」風なまとめ方ですが、書いていて自分の中の問題意識やポイントが絞られて浮き彫りになり、頭が整理されやすくなります。

 また読む方も気楽に読めて読むのが楽になるかもしれません。

 文体にもこだわりを持つと、保守的になってなかなか変えられないものですが、自分に変化をつける意味でもこうした書き方をたまにするくらいなら良さそうですね。

 新しいスタイルを手に入れた気分です。

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自分が変わる三つの場合

2013-12-10 23:02:46 | Weblog

 

 そろそろこの一年のブログを読み返しながら、年末の「自分自身の十大ニュース」となりそうな出来事を洗い出してみています。

 ブログで今年を振り返っていると、記憶はあるのですが時間の感覚が麻痺していて、何もかもがほんのちょっと前のことのように思い出されてきます。一年が早く感じるわけです。

 毎年この時期に一年を振り返ると、一体昨年までと今年一年で自分は何が変わったろうか、と思います。

 古来より「男子三日会わざれば括目(かつもく)して見よ」という言葉があります。

 男の子は三日も会わずにいると、驚くほど変わって成長しているものだ、という意味です。

 何日もあわずにいる友人に、括目して見てもらえるほど自分自身何か変わって成長しているところはあるのでしょうか。


    ◆   ◆  


 人はおいそれとは変われないものですが、そんな人が変わったというときには三つのアプローチがあるのではないかと思います。

 一つ目は転勤など外からの力でやむなく変わらざるを得ない場合、二つ目は意識的に何かを始めたりして自らの意志で変わろうとする場合、そして三つ目は意識していないのに心のままに動いていて振り返ると変わっていたという場合の三つです。

 
    ◆   


 一つ目の、外からの力で変わらざるを得ない場合は、住まいや居場所、友達など変わりたくないと思っても変わらざるをえないものです。

 振り返った日を懐かしんだり悲しむよりは、前向きに変化を受け止めて変化を受け止められるようにしましょう。

 「植えられたところで咲きなさい」というわけです。


    ◆   


 二つ目の意識して変わろうとして何かを始めることは立派なことです。人はしばしば怠け者で、安定して安心できる現状を変えたくないという真理が働くからです。

 しかし何かを変えてみるのは良いとしても、次から次へとつまみ食いをして落ち着かないのでは困ります。一度始めたら三日三月三年は頑張って続けてみましょう。そのくらいの忍耐は欲しいものです。


 そして、何かを変えると言いながら何を替えたらよいのか。それにはTPOを変えることをお勧めします。

 TPOとは、T=time(時)、P=place(場所)、O=occasion(場合)のことで、発言や振る舞いに対して「時と場所と場合を考えろ」というようなときに「TPOをわきまえろ」などという風に言われます。

 そこでこれを逆手にとって、時と場所と場合を変えてみるのです。

 時を変えるとは、時間軸を変えて考えることで、過去の歴史に学ぶとか未来のことを考えてみることで、現状を変えることができます。

 また場所を変えるとは空間軸を変えることで、引っ越しや旅行などで空間を変えてみることで生活や考え方が変わることでしょう。

 そして三つ目の、場合を変えるとは、何かを誰かに習うとか、修行をするとか、冒険をするなどといった日常の関係性に変化をつけてみることです。

 変えるならば、このTPOを意識して変えてみるというのはいかがでしょうか。 
 

    ◆   


 さて三つ目は、特に変わろうとしているわけではないのに結果として変わったというか成長しているという場合です。

 ただそれは好奇心を失っていてはそうはなりません。

 自分の外への好奇心を常に持ち続け、人との出会いや外の世界への関心を持ち続け、新しい知識や経験を心に留めて感謝するような生き方をすること。

 そうすれば、ゆっくりだけれど次第に内側から何かが変わってゆくことを実感できるでしょう。

 あまりにゆっくりなので変化が分からないことだってあるかもしれませんが、さなぎが成虫になるような化学変化だってあるのだと思います。


 さあ、この一年の私はどうだったでしょうか。

 もう一度じっくりと我が身を振り返ってみることにします。
 
  

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東北の釜の飯

2013-12-09 23:45:14 | Weblog

 

 職場から東北へ出向して、現地で災害復旧事業に当たっている仲間からの現地報告会がありました。

 特に早急に急がれる事業は、津波で大きく被害を受けた河川の堤防や水門の復旧ですが、現地は地震によって大きく地盤沈下をしているために、堤防の高さを高くしなくてはなりません。

 当然今までの土地に加えて広がる分の土地を取得しなくてはいけないのですが、地域の人たちに中には亡くなっていたり相続が発生していたり、あるいは土地を手放すことを拒否している人などもいて、事業の進捗には苦労している様子がうかがえました。

 
 それにしても、道内で転勤を繰り返す限りはどこへ行っても知っている人に見守られるに違いありませんが、一度外へ出るということは、自分の出身の看板を背負いながら、他人の釜の飯を食べるということ。

 そして仕事ぶりをはっきりと評価されることでもあります。

 そのときに、誠実で真面目でしっかりとした仕事をすることで、離れるときには残念がられるようになる。

 それこそが転勤族にとっての最大の勲章に違いありません。

 今回来てくれた出向組の若手の中には、現地で仮設住宅に住まいしながら仕事をしている人もいるとか。

 苦労だろうけれど苦労と思わずにそれをチャンスと思う前向きな気持ちでチャレンジを続けてほしいものです。

 離れるときには自分も泣いてしまうくらいにのめり込むことだよ、なんて、アドバイスにしてはちょっとキザだったでしょうか。

 その一日の仕事の進捗に、東北地方の復旧・復興がかかっています。

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「体育」の、実は深~い話

2013-12-08 21:48:30 | Weblog

 帰りの飛行機までの間で、仲の良い東京の知人に久しぶりに会って互いの近況を報告しあいました。

 彼はここのところずっと北陸など地方都市で地域づくりの仕掛けをしていて、今やいろいろなところから引っ張りだこになっているよう。

 彼は体育系の大学を出てまちづくりをしているという変わり種ながら、自分の立ち位置を切り拓きながら各地で活躍している姿を見るのは嬉しいものです。

 そもそも体育系の出身となれば先輩後輩の強い絆があって、その繋がりがあれば就職先にも仕事にも事欠かないだろうと思うのですが、どうやらそれは彼の人生の目標とは繋がらなかったようです。

「小松さん、そもそも"体育"って、"体"を"育てる"と書くでしょう?」
「そりゃそうですね」

「では何のために体を育てなければならないか、というと、そこには時代ごとの社会の要請があるんですよ」
「単なるスポーツ力養成ではないのですね」

「違います。日本では明治時代からの体育というのは良い兵隊を作るために国民の体を育てなくてはなりませんでした。貧弱な日本人の体を鍛え直さなくては、欧米列強との争いに勝てなかったからです」
「なるほど」

「戦争が終わると今度は高度経済成長の時代が来ました。今度はもう兵隊さんとしての体ではなく、それこそ24時間戦えるような(笑)労働者としての体を育てるための体育でした。日本国民はそれによく応えて企業戦士となって立派に働いてきたんです」
「なるほど」

「ところで僕は体育系の大学に進みましたが、僕が大学に入った40年前だと、"スポーツスキルを向上させる"というニーズを受けた一つの流れができていました。世界を見ても、近代オリンピックが始まったころからのスポーツ志向と、国民の福利厚生としての体力を育成するという二つの流れはずっと並立していたんです」
「はい」

「しかし僕自身はずっと、体育というものの究極の目的は、このどちらかだけではないような気がしていたんです。体を育てるのは何のためか、この違和感は何なのか、と。
 それで海外におけるスポーツ事情の勉強もしました。するとイギリスなんかは、産業革命を経て農民が工場労働者になって行く過程で、その変化について行けない多くの人たちが落ちぶれた生活を余儀なくされていて、その救済という意味もあって健康な体、ということがテーマになっていったということを知りました。
 ここへきてやっと、体を育てるということは、"五感で幸せを感じるためのベース作り"なんだ、という自分なりのテーマに行きついたんです。つまり、国民全体のパフォーマンスを上げるための体育ではなくて、一人ひとりが幸せを感じて幸せになるための最も基本的なことだってことです。それからはこれが僕のライフワークになりました」
「なるほどねえ、だからスポーツや体育の世界には留まれなかったというわけですか」

「スポーツスキルの指導にしても、体力増強にしてもやれる人はゴマンといますからね。僕の使命はちょっと違ったってことでしょうね」


   ◆   


「以前小松さんと一緒に、福沢諭吉展を見に行ったことがあるのを覚えていますか。あの時に、展示の冒頭の第一部は『あゆみだす身体』というテーマで始まっていたのはある種の衝撃でした。
 諭吉は、身体を人間の最も大切な宝として自己を鍛えていました。それを示す二つの言葉が『身体壮健精神活発』と『先成獣身而後養人心』です」
「ははあ、よく覚えていますねえ」

「二つ目の言葉は『まずじゅうしんをなしてのちじんしんをやしなう』と読み、『まず体を鍛えてから知恵をつけなさい』というような意味です。
 明治時代の思想をリードする大学者が実は手練れの剣豪で、健康がすべての源だ、という理論をあの当時に堂々と述べていたとは驚きでした。
 思想とは空気のように虚空にたれ流せばよいのではなくて、聞いた人を感化して実践へと行動へ移させなくては意味がない、そして何かを実践しようと思ったら、体が健康でなくてはならないと、福沢諭吉は言っていたようにも感じて、とても心強く思ったものですよ」

 
 体と云えば骨や筋肉を強くしてスタミナをつけることばかりのように思われがちですが、歯が丈夫で物を食べて美味しく幸せに感じるとか、体を鍛えておいて簡単に病気にはならないといったことにも十分に気をつけなくてはいけません。

 言われてみれば当たり前のことなのですが、学校の体育となると、多分スポーツスキルの取得という認識が一般的なのではないでしょうか。

 自分の幸せのための基礎的な宝としての体と健康。

 今日はいろいろと考えさせられました。

 
 

 

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人に指示するって難しい

2013-12-07 23:45:28 | Weblog

 

 ガールスカウト日本連盟の評議員会で東京へ。

 札幌を出るときは冬の格好で出たのに、東京で歩いていると暑くてたまりません。


 用事が終わったところで、東京で仕事をしている娘と久しぶりに会って居酒屋へ。

 何か月ぶりだっけ?だんだん前回いつ会ったかもわからなくなってきたぞ。いかんなあ。


 お酒を飲みながら四方山話。娘は最近、仕事を人に振り分ける役回りを任されたそうで、自分だけが仕事をする以上のプレッシャーを感じているのだとか。

「自分じゃ良いと思って、仕事を配分したのに、『そうじゃなくて、こうした方が良い』と意見されたらどうしたらいいんだろう?」という相談を受けました。

「なるほど、中間管理職にはよくありそうな話だな(笑)」
「こっちは本気で悩んでいるんだよう」

「なるほど。そういうときの意見は聞いた方が良い。もしかしたら自分が気づいていないことがあるかもしれないから、その人に言いたいことがあるなら行ってもらった方が良い。しかしそれを聞いたうえで、なおそれでも自分の判断の方が良いと思ったら、『意見は分かりました。しかしそれを決めるのは私なので、こうやってください』と自分の考えを伝えて、そのとおりにやってもらうね」

「もしそれで駄目だったら?」
「けっして無茶ではなくて、良かれと思う方に判断しているんでしょ?それでできないとしたら、相手の能力の問題なのか、こちらの期待が大きすぎたのか、なにか無理がかかっているのかをその時点で判断するしかない」

「頑固で言うことを聞かなかったら?」
「あなたの会社がどうなっているかわからないけれど、僕の組織には職務職階制度というのがあって、法律に違反するとかよほどおかしなものでない限り、上司の命令には従わないといけないということになっている。仕事の指示は『お願い』ではなくて、『命令』だからね。しかし本当に判断を間違ったら、それは指示した者の責任ということになる。部下を持つとか、仕事を指示するというのは気を遣うね」

「うーん…」


 社会で仕事をするということは、そのポジションを死守するということで、精一杯の努力をしなくてはなりません。

 それは言われたことを言われたとおりにすることはもちろん、もっと良いアイディアがあればそれを進言して、さらに良い形にすることも含まれます。

 ちょっとした仕事の配分とはいえ、それを任された人には権限と責任が発生します。

 また任されたことをクリアして、周りの信頼を勝ち得てゆくのも社会の中の一員の宿命です。

 娘もいろいろと苦しんでいるようですが、それを乗り超えて行ってこそ成長がある。

 手助けはしてあげられません。頑張れと遠くから見守るのみです。

  

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サイクリストだから分かる北海道の魅力

2013-12-06 22:01:13 | Weblog

 

 道庁の空知総合振興局と石狩振興局が連携して主催する『そらち・いしかりサイクルツーリズム』シンポジウムを見てきました。

 基調講演に掛川の友人の佐藤雄一さんが来るということもありましたが、自転車による地域振興の北海道における可能性について勉強もしたかったのです。

 佐藤さんはこれまでに自転車ブームは3回ほどあったのではないか、と言います。

 1970年代には、汚い恰好で北海道を野宿で走る"修行"にも似たようなツーリングの時代。

 80年代には、マウンテンバイクブーム。そして90年代後半からロードバイクが上り坂になり、2000年代になってからはスポーツバイクショップは売り上げを伸ばしマチの自転車屋さんは姿を消してゆく時代になったのだ、と。

 佐藤さんは、2000年から伊豆狩野川(かのがわ)で、川を観光商品化しようとした取り組みに初期から関わってきました。

 この狩野川で地域を観光商品化仕様という過程で、四つの事業を柱立てして行ってきたのだそう。

 その四つとは、①ルートの設定、②マップの編集と発行、③サインの整備、④イベントの実施です。
 
 よく、何百人もが参加した自転車イベントが話題になることがありますが、それはたった一日の出来事で、多くはよそから来た人が楽しんで帰るだけになりがち。

 しかしそれでは、やがて地元の良さを自転車の視点で発見し、来客を自転車でガイドしてもてなしてくれるようなローカルサイクリストが育たないのだ、と。

 最近は台湾やシンガポールなどの外国からも自転車を背負って北海道のツーリングに来る観光客も増えたと言いますが、彼ら彼女らに対して地域の自慢のコースを自信を持ってガイドできる人材は決して多くはありません。

 地域にサイクリストが増えることで、車でもない徒歩でもない、その中間の視点でマチを眺め、マチの自慢を再発見し、その価値を洗い出すことができるのではないか、と佐藤さんは言うのです。


   ◆   


 実際掛川には、市民サイクリストが毎月一回市役所に集まって、市内を巡る市民サイクリングが行われていますが、その際には大体二十数名が集まってきます。

 こういう人たちはそれぞれに自分だけが知っている自慢のコースや得意なコースを持っていて、来客が自転車をしたいというときは連絡を取り合って数人がガイドとして地域を案内するというネットワークができています。

 しかしどうも北海道にはそうした活動をする人が少ないように思えます。

 自分たちが思い思いにサイクリングを楽しむことはあっても、自転車ガイドによるマチの案内ということに慣れていないということもあるのかもしれません。

 佐藤さんは、マップ作成やサイン設置にも、さらにはイベントの実施にもサイクリストの視点が欠かせないと言います。  

 コンサルタントや印刷屋さんやイベント会社が中心になって行うようでは、やはりサイクリストの視点が欠けてしまうのではないか、と。

 北海道には大きなポテンシャルがあるだけに、ポテンシャルに頼るだけではなく、それをサポートするようなサインなどの施設インフラだったり、マップというソフトだったり、それを支える人材をしっかりと育てていってほしい。

 佐藤さんは、「静岡は、北海道にも沖縄にも地域ポテンシャルでは到底かないません。三番目くらいには入りたいな、と思いますが」と笑わせます。

 そのうえで、「地域を相互に行き来するような自転車による互いの交流が進めばもっとよくなると思う」とも。

 先輩地域として、やるべきことを教えてもらったからにはあとは実践。

 私もまた自転車に乗ってガイドができる様にちいきをべんきょうしましょうか。


 例えばアイヌ語の地名なんて、外から来た人にはとんでもなく興味深いテーマです。その意味をちょっと伝えるだけでも喜ばれるはず。

 自分たちの財産を改めて見つめ直したいものです。

 

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こうすりゃ地域に受け入れられる~転勤族6つの心がけ

2013-12-05 22:13:13 | Weblog

 

 生来の転勤族のこの私。

 就職してから13回の転勤、物心ついた子供の時からの引っ越し回数は17回を数えます。

 転勤というとなにか辛そうなイメージですが、新しい場所へ行けるというのは一つの冒険であり可能性を開くチャンスでもあります。

 そのような経験を踏まえて、地方へ転勤した時に地域に受け入れられるためには、どのような心がけと姿勢でいると良いかをいろいろと考えました。

 歳をとってくると所長だとか支所長など、ある程度の地位や立場も得られるでしょうけれど、そういう立場をもちながら、地域の中で仕事をうまくやってのけるにはどうしたらよいでしょうか。

 特にまた転勤でそのマチからもいなくなってしまう宿命を背負っている転勤族にとっての、たった2年や3年のマチに対してどういう姿勢で臨むべきでしょうか。

 そうしたことを今回は、「地域で求められる6つの人材像」として私なりにまとめてみました。

 皆さんはどのようにお考えでしょうか。


    ◆     


 まず始めは、「1.旺盛な好奇心(よそ者ならではの切迫感)をもつべき」を挙げましょう。

 どうせ地域に2、3年しかいないのだとしたら、その間に見られるものは全部見た方が良いでしょう。その際には、「誘われたら何でも話にノってみよう」という姿勢が良いと思います。

 (その先はどうなっているのかな)という、知らないことの先を知るように努力していると、いつしかとても多くのことが分かるようになるものです。

 私がハマっているフライフィッシングで言えば、2年しかいなければ夏のフライは2度しか楽しめないと言うことです。もったいないと思いませんか。

 

 次は「2.該博な知識欲(現場、歴史、地理、出来事、人)を持とう」を挙げます。

 1の旺盛な好奇心と似ているところもありますが、好奇心の赴くままという出会いだけではなく、その地域の歴史や地理、様々な現場など、ちゃんと勉強した方が良いに決まっています。

 行ったことのない場所がない、というくらいに徹底して掘り下げる気持ちがあると良いでしょう。

 もちろん、情報を得るためには多くの人に会うことが一番手っ取り早いでしょう。こうしたある程度勉強をして知識を増やすという姿勢もほしいところです。

 

 続いて「3.地域に共感し、好感を持ち面白がる心をもとう」ということを挙げましょう。

 どのマチへ行っても、地域には誇りとプライドがあります。それに対して否定的な言葉を投げかけると住民は怒ったりしょげたりします。

 逆に正当に評価をしてあげるとうれしくなるのは当然です。せっかくこのマチに縁ができた人が、その縁を喜んでいる姿を見るのは住民としてとてもうれしいことでしょう。

 かつて私が長野県の松本で勤務をした時に、(ここの人たちの自慢と誇りは何だろうなあ)と考えました。そしてその答えは「蕎麦と北アルプスにある」と思いました。

 そこで手打ち蕎麦屋を百軒巡ってリストを作り、また北アルプスへも登り、最後は槍ヶ岳の山頂まで行くことができました。

 そういうことに心がけていると、やがて地元の人よりも多くの蕎麦屋へ行っている自分になり、蕎麦談義に重みが増して行きました。

 地元の人が「小松さんは本当に蕎麦が好きなんですね」と言う時はとても嬉しそうなのです。おかげで今でも私は松本、そして安曇野が大好きでいられるのです。


 次ぎに、「4.地域に参加し、貢献する姿勢」を挙げましょう。

 転勤してきた人によく見られる姿が、「なんで自分はこんなところに来たのか」と不平不満に思っていたり、職場の職員として転勤してきたけれど、このマチの市民だという自覚はない、という残念なものです。

 職場の職員はそうだとしても、ある一時期、このマチの住民となったのだということを自覚して、地域のイベントや奉仕活動、あるいはNPOなどに参加すると良いでしょう。

 何かに参加することできっと人生の思い出だって増えるはずですし、職場以外の友達だって増えるでしょう。


 さて五番目は、「5.茶目っ気と意外な人間性を多様に持つ」ということです。

 真面目な人だと思いきや実はいろいろな趣味があって独特の世界がある、というのはやはり地域に溶け込むには有力な武器になるでしょう。

 私は釧路で釣りを始めて、それそのものは素人でしたが、下手くそな釣りを見て市役所の先輩釣り師たちには大分笑われました。

 こちらは真剣なのですが、なにしろ基礎ができていなかったりして大いに失敗もします。

 しかしそういう笑い話が酒の肴になったりして、職場の関係以外での同僚の皆さんに意外な一面を見ることもできました。

 やはり何でもやってみることです。

  
 最後に、「6.一目置かれる何かの達人である」ということを挙げましょう。

 私はもう十数年にわたって蕎麦打ちをしていますが、それが面白く伝わると、あちこちから「蕎麦打ちを教えて欲しい」という依頼が来たりします。

 掛川にいた時は「蕎麦研究会」を作って、蕎麦打ちの指導を行って若手(当時)の蕎麦打ちを育てました。

 今でもそのとき一緒に蕎麦を打った人たちが地域で引っ張りだこになっている姿を見るとこんなに嬉しいことはありません。

 また、本当に良いお店や人は見極めができるので、達人の目から見て「あの人はすごいですね」とか「あのお店は本当に美味しいですね」という評価が重みをもって語られるようになります。

 私の知人にはマラソンを得意にしている人だとか、とにかく全国の花火を見て回っている人だとか、釣り名人…などなど異色な人たちがたくさんいます。

 何かの達人であるということは世渡りの上でやはり強い武器になるモノです。 


 そうして、これらのような生き方を貫いてみると、再び転勤でそのマチを離れるような時には最後に寂しいと思ってくれるような仲間が増えてきます。そういう別れこそ最高ではないでしょうか。


 
     ◆  
   


 さて、最近は転勤を嫌って地方自治体に就職をする若者も増えているようです。

 転勤や引っ越しや煩わしいものですが、その先にはすてきな出会いの可能性もたくさんあるのです。

 たった一度の人生をどう生きるか。

 人生の価値って、結局自分と一緒にいたことを嬉しく思ってくれる友達の数で決まるのではないでしょうか。
  

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課題はまさにこれからやってくるのさ

2013-12-04 23:27:17 | Weblog

 

 今週はとにかく話をする機会の多い運勢のよう。

 先週掛川で講演会をしたところですが、今日は職場組織内の研修会での一時間半にわたる講話。

 お題は「地方自治体から見た国の組織」というもので、なるほどこれは国の立場と地方自治体を経験した私にはぴったりのテーマです。

 研修を主催してくれた事務局の方に伺ったところ、「どこかの首長さんにお願いしようか、とも思いましたが、そういう方は国の人たちに厳しいことは言ってくれないのじゃないか、ということで小松さんに頼もうということになりました」とのこと。

 私で良ければできることは何でもご協力しようと思います。

 自治体の現状と課題、そして国への期待はあるものの、やはり自分たちでやらなくてはならないことは多いもの。

 財政問題から地方分権、合併とそして地域活性化へのビジョンなど、日ごろ困難に直面している自治体をもっと身近に感じて、何をどのようにすれば地域の幸せが増すのか、について改めて自分自身も考えるきっかけになりました。


   ◆   ◆   ◆

 

 夕方からは、北大で今後国家公務員を受験しようと思っている人たちを対象にした『政策セミナー』が開かれ、私は公園緑地分野での行政の様子、そして仕事として歩める道筋や可能性について説明をする役回りを受けました。

 当初は30分の説明に3人が応募してきた、と聞いていたのですが、急きょ飛び入り参加があって、7人の学生さんが聴いてくれました。

 全員が公園緑地系の勉強をしているわけではなくて、土木専攻や建築専攻の学生さんもいて、いろいろな進路をまずはチャンスがある限り聞いてみようという姿勢に好感が持てました。

 説明では、現状の国営公園や都市緑地保全制度、イベントや災害復旧・復興など多岐にわたる仕事の範囲を説明しました。

 しかしながらこれらは、国として"これまでの"社会の課題をどのように政策や法律、税制などで解決しようとしてきたか、ということに外なりません。

 これから国を背負ってみよう、という人たちの前には質的に変化した社会からこれまでにはなかったような課題が降ってくるに違いないのです。

 だから、これまでと今については説明しましたが、ポイントは『課題を恐れずに多くの人と知恵を出し合っていかに課題を自分の手で解決できるかだ』ということ。

 答えのない世界に飛び込む勇気を持ってほしい、ということなのです。


     ◆  


 説明の後には質疑応答や意見交換を行いましたが、「都市局と住宅局の違いは何か?」とか、「生物多様性で言うと公園は森林や農地と連携しないといけないと思いますが、省庁縦割りの現状は?」など、なかなか鋭い質問も飛び出しました。

 皆真剣に聞いてくれて、予定の35分はあっという間。

 私が学生の時にも先輩が何か話してくれたような気がしましたが、ほとんど実感はありませんでした。

 多分同じような感覚なのだろうな、と思いながらも、『見えない課題に挑戦せよ』とは言われなかったので、それを伝えられただけでも良かったと思います。

 若いということはうらやましいですね。

 これからの社会を、よろしく! 
 

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「後の先」の対話

2013-12-03 23:45:12 | Weblog

 

 ある会合の懇親会で、本当に久しぶりに苗穂のサッポロビール園でジンギスカンの食べ放題に挑みました。

 おそらく就職したての頃に一度来たきりではないかと記憶しているので、30年ぶりということになるでしょうか。

 そういう意味では室内が当時からどう変わったかなどもよく覚えていないのですが、それにしてはどこか懐かしい雰囲気が漂います。

 写真や映像でよく見るからかもしれませんが、独特の雰囲気のある空間は良いものです。

 実はこの会合、明日私がお話をする研修の参加者の会合。

 大抵の人は私が3月まで釧路にいたことを知っていて、会話をしていると、いかに自分が釧路と関わったことがあるかを熱心に話してくれます。

 ある人は、「私の子供が釧路高専に入学をしたのですが、その入学式に市長代理で来ていたのが小松さんだったので笑っちゃいました」と言い、ある人は「駅周辺の連続立体化事業はどうなるでしょうね」と訊いてきます。

 こうした"相手に合わせたネタ"は、まさに営業ツールに外なりません。

 これで話を始めることで相手の関心を引き、ぐっと身近に感じさせることができます。初めて会った人には、相手に合わせた話題が良いのです。

 逆に、初めての会話で自分のことばかり言われてしまうとなんだか押しつけがましいという印象を持ってしまいます。

 私は初めての会話ではよく「ご出身はどちらですか?」と訊くことにして、「○○県です」と言われると、その土地に関して知っていることを思い出して話します。

 すると相手は懐かしく思って、「よくご存知ですね」ということになる。

 旅行をしたり地理に詳しいということはこういうときに実にすばらしい武器になります。

 相撲で「後の先」という言葉がありますが、相手よりも後に立ちながらいつの間にか先手を取って勝つという意味。

 相手から降られた話でいつの間にか主導権を取っているという、トークでの「後の先」もあるのかもしれません。


     ◆   

 
 実は明日私が受け持つ研修は、「地方自治体から国はどう見えるか」というお題のお話。

 地域の首長さんたちと仲良くなるための秘訣の一つは、上記で述べたような地域ネタを提供して差し上げることにほかなりません。

「△△さんがこう言っていたよ」なんて使ってもらえるようなネタを提供できれば、良く地域を巡って気が付く人、という評価が得られることでしょう。

 ネタは自分の足で稼がなくてはいけません。人からの受け売りのメッキはすぐに剥げてしまいます。 

 地域に誠実な人って分かってくるもので、明日はそんなお話の予定。

 久しぶりのジンギスカンとビールは美味しかったなあ。

 今は時期的にちょっと穴場感がありますが、煉瓦の壁のライトアップがきれいでした。

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地方都市、そして農村集落の恐るべき実力

2013-12-02 22:19:40 | Weblog

 

 昨日は、夕刻に飛行機が飛ぶまでの時間を掛川で過ごしたのですが、昼時にはちょうど掛川上のすぐ近くにあるかつての豪商の居宅だった"竹の丸"を訪問。

 松飾を飾っているところに遭遇して、ついでにお昼もごちそうになりました。

 カレーライスをいただきながら開け放たれた外を見ると、逆光にちょうどモミジの紅葉が美しく見えました。

 まさに一幅の絵のようで、掛川の贅沢な風景の一つです。

 いつまでも見とれていました。


   ◆   ◆   ◆


 そして午後には、ちょうど友人のサトー君が、市内のある地区で講話をするとのこと。

 彼が一体どういう話をするのか、ということに興味が湧いて急遽その講話の席に加わらせてもらうことにしました。

 会場は、掛川駅から車で20分程のH地区、M会館。

 今日ここで行われるのは、二宮尊徳に縁のM地区報徳社の常会で、この地区では毎月1日の午後に必ず常会を行って、地域で勉強会をしているのです。

 報徳社の常会ではまず最初に、二宮尊徳がつくった"報徳訓"という教えを全員で読み上げることから始まります。

 
 父母根元在天地令命  (父母の根元は天地の令命に在り)
 身体根元在父母生育  (身体の根元は父母の生育に在り)
 子孫相続在夫婦丹精  (子孫の相続は夫婦の丹精に在り)
 父母富貴在祖先勤功  (父母の富貴は祖先の勤功に在り)
 我身富貴在父母積善  (我身の富貴は父母の積善に在り)
 子孫富貴在自己勤労  (子孫の富貴は自己の勤労に在り)
 身命長養在衣食住三  (身命長養は衣食住の三つに在り)
 衣食住三在田畑山林  (衣食住三つは田畑山林に在り)
 田畑山林在人民勤功  (田畑山林は人民の勤功に在り)
 今年衣食在昨年産業  (今年の衣食は昨年の産業に在り)
 来年衣食在今年艱難  (来年の衣食は今年の艱難に在り)
 年々歳々不可忘報徳   (年々歳々報徳を忘るべからず)


 この言葉を唱えることで改めて天の恵みと先祖の恩に感謝をし、自らの日々の行いを戒め、明日への努力を誓うのです。

 この日は年に一度の総会も兼ねており、会長さんから「組織が社団法人から一般社団法人に変わった」ということが説明されました。

 ではそれで何が変わったかというと、それまで長く積み立てていた積立金を処分するような財産処分計画を立てなくてはならなくなった、とのこと。

 そのお金たるや会員29人のこの会でなんと千数百万円あるといいます。

 それを「今後四十数年かけて年間30万円ずつ、地域の学校や幼稚園などに寄付することでどうだろう」という提案がなされ、参加者の了承が取り付けられました。

 町内会でもない、ただ報徳の教えと実践によって結ばれた人たちの財産ですが、至誠・勤労・分度・推譲を行動の規範において、長年にわたって行われた活動はまさに「積小為大(せきしょう・いだい=小を積んで大をなす)」です。

 ある意味つましい生活の成果であり、ある意味豊かな地域であることを痛感しました。


 
    ◆     


 
 さて、この日の会合にはこの地区出身で東京の高名な大学の学長を務めた地元の名士Wさんも参加されていました。

 私は良く存じ上げているのですが、部屋へ入って行くと、「あれ?こんなところで何をしているんだい?」と驚かれたよう。

「実は昨夜講演の機会を得てやってきました」と言うと、「まだ縁があるんだねえ」と笑っておられました。

 すると司会の方も、気を利かせて、「せっかくですからWさんにも一言ご挨拶を」と促し、苦笑いしながらWさんもご挨拶。

 その内容は、魯迅や周恩来に日本語の個人教授を行った松本亀次郎という地元出身の教育者がいて、昨年の日中関係が険悪化する前までは、周恩来の生まれた地元に松本亀次郎の銅像を建てると言う話が進んでいた、ということ。

 ここ掛川では、この松本亀次郎さんの功績を讃えて、『松本亀次郎記念 日中友好国際交流の会』を作って、地域レベルの国際交流を実践しているのです。

 ところがこの銅像建設のお話、尖閣問題での日中関係険悪化を受けて、一度頓挫しました。しかし、今回訪ねたところ銅像の元になる土偶を修復して迎えてくれ、これからまたなんとかその動きを進め行きたい、というお話しだったとのこと。

 心温まるような人間対人間の国際交流の現場のお話し。それをこんな片田舎(失礼!)で聞けたとはなんという幸運でしょうか。

 田舎もときどきレベルの高いお話が聴けるものです。


     ◆   


 続いて始まった講話では、友人のサトー君がお茶の一人当たり消費量が都道府県のなかで最下位の北海道に、新しい魅力を提案して売り込もうとしているという話。

 マーケティングの最前線のお話しですが、地元には茶農家も多いために皆さん興味深そうに聞いています。これだって、結構価値のある濃い内容なのです。

 そしてなんと最後に、「掛川市の元助役も来ているので是非一言」ということで、私まで壇上に立たされることになりました。

 こういうときは覚悟を決めるべき。

 そこで私からは、報徳の精神は北海道でも疲弊した時代を支える大きな力になったこと、その代表的な企業が雪印乳業だったが最後には社長以下幹部が報徳の精神を失ったことで、解散という残念な結末となったこと、そしてお茶もヨソ者からみるともっと多様な提案をしてほしい、というようなことをお話ししました。

 ただ地域活動の姿を見てやろうと思ったところが、地区にいた知り合いに掴まってしまった、というオチでした。

 しかし、こうした対話集会を重ねてきたことが、この地区の地域力の源であることに疑いはありません。


 会場を離れる時に世話役の知人の方にはお礼を言われましたが、こちらこそ地域の紐帯を守ってくださっていることにお礼を言いたいところです。

 別れ際に、「もう少し若い人が入れば良いですね」と言ったところ、「今日は若い人が多かったけどね」と言うのですが、どうみても年寄りしかいなかった(笑)。

 質素で倹約、そして他人への貢献(推譲)の精神をこれからも続けて欲しいものです。

 静岡の農村集落の力の源の一つはこうした活動なのです。

 地方都市、そして農村集落の底力恐るべし、なのです。

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