北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

高齢者の宝を活かせるか

2014-10-21 23:28:38 | Weblog

 先日、山野草に造詣が深い知人のAさんと話しをしていた時の事。

 Aさんは飲み屋でかなり年配の男性と山野草や野草の写真撮影の話題で大いに意気投合して話し込んだのだそうですが、最後にその男性から数ギガバイトのUSBメモリーを渡されたのだそう。

 その男性曰く、「あなただからお願いするんだけど、この写真データをもらってくれませんか。どうしてくれてもいいけれど、私が持っているより良いと思うので」

 メモリーの中にはその男性が撮影した野草の写真データが何百枚もありました。どれも山歩きをした際に撮った思い出の写真のはずですが、どうやらその男性は、写真をどう使って良いのかが分からないようだったと言います。

「データをもらっちゃったんですけど、僕もどうしようかと思って…」
「しかしデジタルの良いカメラを持っているお年寄りはたくさんいますけど、そういう話を聞くと皆さんデータをどう使って楽しんでいるのでしょうね。そもそも撮るのは楽しいけれど、それをどう使うかということにイメージがないのかもしれませんね」

「僕は最近、山野草を採ったら一応それを植物図鑑で同定して、それからスキャナーで撮影することでちょっとした芸術作品になるようなスタイルを楽しんでいるんです」
「はい、私も時々見させてもらっていますが、あれだと芸術作品に近いですし、プリントアウトして飾っても良いですよね」

 
       ◆  


 写真に限らず、高齢社会になってお金だけではなく、お年寄りが持っている様々な財産はどう生かされるのかが問題になってくるような気がします。

 うまくお年寄りのニーズを引っ張り出せれば、それを本にするとか写真集にするなどしてまとめることで一つの形にするようなサービスが流行らないでしょうか。

 「本にしませんか」などというと、詐欺まがいの怪しげな人たちもいそうですが、仕事の品質を保証するような団体やNPOなどがお年寄りの夢をかなえてあげるというビジネスがありそうです。

 お話を聞いて物語を作る、なんてのもありでしょうか。小説家の卵たちとお年寄りをマッチングさせて小説を書いてもらうなんてのはいかがでしょう。

 お金の使い道が「モノからコトへ」と向かう先にあるのは、楽しみや望みを実現してくれるサービスビジネスのような気がします。

 次の世代を豊かにするサービスって何なんでしょうね。

 

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日本化するともっと豊かになる~致知11月号

2014-10-20 23:45:43 | Weblog

 

 今月号の「致知」に、上智大学名誉教授の渡部昇一さんと東京大学名誉教授の平川祐弘さんとのお二人による「我ら日本の魂を伝承せん」というタイトルの対談がありました。

 このなかで面白いと思った一節があったのでご紹介します。


       ◆   


渡部「実は最近、本村俊二さんという東大のローマ史の名誉教授と一緒に世界の大国の興亡史について対談しましてね。そこで何か新しい日本の歴史観ができたような気がするんです。
 日本文明圏というのは、他の国では共存できないものが入ってきても平気で共存して、しかもその本山にまでなってしまうところに際立った特徴があると思います。
 日本に仏教が入ったころは、皇室に取って代わろうとするようなことがあったと思うんです。蘇我氏は明らかに仏教を背負って自分が天皇になろうと目論んでいたと思いますし、称徳天皇の時の道教も天皇の座を狙っていたと思います。

 ところがそのうち神道と仏教を両立させる本地垂迹(ほんちすいじゃく)説のようなものが出て、弘法大師とか伝教大師といった人たちは日本の神道とは喧嘩しなかったんですね。
 その後も日本の仏教には偉い人がたくさん出たし、仏教の大学なんかいま何十校もあるでしょう。そんな国は世界にないし、まさしく仏教の中心地と言ってもいいくらいだと思うんですが、それによって日本が仏教国になったかというと、そんなことはない。日本は仏教に取り込まれることなく、逆に仏教によって日本の文明がより豊かになっているんです」

平川「日本の仏教というのは非常に神道化したものだと思います。だから日本人が観光旅行でアジアの仏教国に行きますと、色がけばけばしかったり、何か皆違和感を覚えるんですね。
 実は日本の寺も奈良時代は"青丹よし(あおによし)"なんていってそういう派手な色で塗っていたんですが、日本人の美的感覚に合わなくて、だんだんいまの山寺のような神さびた、神道化したお寺になってきたんだと私は思います」

渡部「奈良の都で東大寺なんかができた時はその青と丹の色ですごく派手に見えたわけです。しかし伊勢神宮を青丹よしにしようとした人はいなかったんですね」

平川「いませんでしたね。ありがたいことです」

渡部「考えてみると同じ事が儒教にも言えます。儒教は日本に宗教として入りましたがいつの間にか儒学になって、今漢文の研究が一番盛んなのは日本ですよ。一番いい辞書も日本でできていますしね。そしてこれも日本という文明圏を豊かにしてくれている…」


(中略)

 

渡部「…日本精神の理解が今後一層重要になってきますが、これを庶民にもわかるように解き明かしてくれたのが心学(しんがく)だと思うんですよ。普通の文明圏で道徳の起源をたどっていくと、宗教を始めたような偉い人の教えから来ているんです。例えばキリスト教であればキリストの教え、仏教であれば釈迦の教え。そういうものになるべく近づこうというのが普通の道徳の在り方です。
 ところが心学というのは、人間には心があるというところから始まっていて、心を磨くためには神学でも、儒教でも、仏教でも、なんでも構わないと。どんな教えであっても心を磨く磨き砂にするんですね。

『分け登る 麓(ふもと)の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな』という歌があります。どの道を登って見た月も同じだと。どんな宗教を持ったって構わないということです」

 

       ◆   

 

 なんとなく、何が入ってきても日本化して日本人にフィットすると逆に世界に売り出しても人気が出るものになっています。

 カレーライスでもラーメンでもそうですが、日本オリジナルな食文化はもちろん、外から入った料理でもそれを日本らしくするとオリジナルとはまた違った魅力を生み出しています。

 "ガラパゴス"と呼ばれて世界標準からはずれた日本オリジナルは馬鹿にされることもありますが、まあ日本人が楽しめればそれでよいのかもしれません。

 日本人として日本を改めて見つめ直してみたくなりました。 

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おやじの会のパークゴルフ大会

2014-10-19 18:04:32 | Weblog

 住んでいる地域で活動を続けている「琴似中学校おやじの会」でのパークゴルフ大会で楽しみました。

 会場は住まいの近くの五天山公園。元は採石場だったのを公園にしたところですが、山にも木が植えられていてそれが快晴の今日は木々が紅葉や黄葉をしていてとても綺麗です。

 この五天山公園には子供たちの遊具などのほかにパークゴルフ場やバーベキューコーナーなどがあり、多くの家族連れで賑わっています。

 今日はお昼時からパークゴルフ。本物のゴルフと違ってそれほど距離があるわけではありませんが、コースにはアップダウンもあって、プレイしながら歩くだけで結構汗をかくものですね。

 プレイしながら、お尻や足にも筋肉痛が出てきて日頃の運動不足が身に染みて分かります。

 
       ◆   


 五天山公園のパークゴルフコースは9ホールが三か所ありますが、この三コースで勝敗を決します。

 久しぶりのパークゴルフでしたが、ちょっと歩いただけでお尻やらふくらはぎに違和感を感じて、日ごろの運動不足を実感しました。

上手な人は確実に距離感と狙ったコースに玉を転がすのに、慣れない私は前後左右にぶれる玉しか打てません。当然スコアもその程度。結局最下位は逃れましたが、参加者の中で下から二番目のブービー賞をいただいて恥ずかしいやら嬉しいやら。

 道具も一緒に参加した友達から借りましたが、「このクラブはいくらするの?」と訊くと「うーん、二万円くらいかなあ」とのこと。ひえー、結構するんですねえ。

 でも運動の負荷としてはちょうどよい加減なので、家族などと楽しむのも良いなと改めて思いました。

 
     ◆   
 

 パークゴルフの後は、同じく公園内のバーベキューコーナーで焼肉をしてさらに懇親を深めました。

 日が落ちるまでの短い時間ではありますが、こういう大人の同志の友達の集いも良いものです。

 

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少しでも財産を持てば苦労する

2014-10-18 22:47:26 | Weblog

 家を建てたのは平成14年のことだったので、もう築12年目ということになります。

 そうなると周りから「そろそろ修理とかメンテナンスとかやっておかないとだめですよ」と脅かされるようになり、そうかと思って夏の終わりごろからベランダの手すりを取り換えたり屋根の塗り替えを行いました。

 今日は玄関につけている"はめ殺し"のサッシ周りのゴムが劣化して隙間ができてしまっていたのを、サッシ屋さんに頼んで直してもらったところ。

 十年を過ぎるとボイラーやストーブなどの設備類もそろそろ交換の時期。燃料は灯油が良いのかガスが良いのかオール電化が良いのかと迷いながら、さすがに電力料金が上がる一方なのを見て「オール電化はなさそうだな」と思っています。

 今はどちらも灯油で炊いている給湯器と家の暖房が別々になっているのをガスに統一しようかと思っていろいろとショウルームを見に行ったりしているのですが「壊れていないしまだいいか」と踏ん切りがつきません。

 経験談を語る人は、「暖房なんか、(すぐに修理できない)真冬の夜中に壊れるものですよ(笑)」やはり脅かします。

 そろそろ、一日一日をドキドキしながら暮らすようになるのでしょうか。

 大したことはなくても、家でも車でもなんでも、自分が所有しているということの責任を感じます。

 さて、次の修理はなんだろう。 

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人材育成を促すマネジメント~管理職研修より

2014-10-17 23:17:29 | Weblog

 公務員の定数削減の動きが続く昨今、少数の仲間を精鋭として活躍できるように人材を育成するというのはとても重要な課題です。

 今日は職場の管理職研修で「人材育成を促すマネジメント」という講義を受け、人材育成能力を高めるための研鑽を深めました。

 講師は北大経済学研究科の松島睦教授。小樽商大をご卒業後に薬剤会社へ勤められたのですが、そこで薬を売るのに一向に売れなかったという経験をお持ちです。

 そこで「売れる営業マンは何が違うのかなあ」ということを研究の材料として、結果、今日人材育成についていくつも著書を出されるなどされており、今般講師をお願いした次第。


      ◆  


 松尾先生はドラッカーの「他人の育成を手掛けない限り、自分の能力を向上させることはできない」という言葉を引いて、人材育成をすることが自分の能力向上にもつながると言います。

 我々も仕事を経験するうちに何人もの上司や何人もの部下と付き合いますが、本当に自分を育てれくれた上司の顔が浮かぶでしょうか。また自分が育てた(つもり?)の部下の顔は浮かびますか。

 実際には人を育てるということは実に難しいものです。今日の松尾先生の講義のタイトルも、「人材育成を【促す】マネジメント」となっていて、「人材育成のマネジメント」ではないところに注意が必要。

 やっぱり育つのは自分自身の問題で、たとえ上司といえどもそれを促すような導きくらいまでしかできないということなのかな、と思います。

 さて、松尾先生のキーワードは「経験学習」というもの。
 先生は「70:20:10」という比率を示して、「これは人が何から学ぶかという比率なのですが、70は自分の経験、20は他社からの薫陶、10は読書や文献ということです」と言います。つまり多くの人はほとんどを自分の経験から学ぶのだと。

 ではどんな経験が自分を成長させるかというと、ある調査の結果それは、
①部門を越えた連携の経験
②変革に参加した経験
③部下を育成した経験 の三つだったそう。

 毎日ルーチンワークをうすぼんやりとこなしているだけではやはりだめで、自らを鼓舞して新しいチャレンジをしていかないと人は伸びません。

 そして経験学習のモデル図として下記の図を示されました。


 
 この図では具体的経験をしたら、一度それを振り返って、言語化し持論としてまとめる。そしてそれを新しい状況など次に生かすということを繰り返すことで、経験が自分の本当に身になって行くのだと言います。

 図に三角形が示されているのは、多くの人は経験をしっぱなしで内省し持論化するということをやらない、ここに断絶があるということの意味。

 実はこのあたりは私自身、ストンと腹落ちするところで、私が日々ブログを書いているのも今日一日の中の前向きなネタを振り返って記録しておくことで見に着いたり、後々検索することもでき、さらにはこのネタで他の人と語り合うこともできるから。
 今日一日を言語化しておくということは大切なんだな、と思います。

 
       ◆


 さて、経験から学ぶ力のモデルとして松尾先生は今度はこんな図を見せてくれました。

 この図で"ストレッチ"というのは背伸びをするというような意味で、少し高いところに挑戦する精神のこと。

 そして"リフレクション"というのは振り返ってみる(内省)ということで、最後の"エンジョイメント"というのは楽しもう、ということ。

 つまり、ちょっと高い目標にチャレンジしてできてもできなくてもなぜかを振り返って、それを楽しみながらやりましょう、ということが経験から学ぶときのポイントなのです。

 そして図の真ん中に「思い&つながり」というのがあるのは、何かをしようという意思とそれを支える繋がりがこれらのそもそものエンジンになるという説明でした。

 目標を持つということや振り返るということは良く言われますが、こうして一つの形で示されると分かりやすいですね。


       ◆   


 さて目標を与えて部下を育成すると一言で言いますが、実は我々の組織は目標を自分で作成して達成するというシーンが案外少ない職場です。

 仕事はどんどん外から降ってきてそれをとにかくこなすことが中心になってしまいがち。先生の言うような変革のタネを周りにまき散らすというのはしばしば嫌われたりもします。

 しかし経験を中心にして周りの成長を促して自分も成長するというのは自分に期待されている役割でもあるので、これからは目標設定をもう少し意識してみようと思います。

 講義は進め方も上手で楽しく受講できました。良いやり方は大いに見習いたいと思います。

 松尾先生、ありがとうございました。

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貧しい漁村を支えた報徳の力~水産報徳会

2014-10-16 23:46:19 | Weblog

 二宮尊徳の教えを今に伝える報徳思想ですが、農業や酪農だけではなく、漁業・漁村経営を支えた水産報徳会というのもあるのです。

 先日水産報徳会の事務局の方に話を聞く機会がありました。水産報徳会の事務局は「信漁連(マリンバンク)」という組織の中にあって、信漁連は漁業者に対する資金調達を主目的として作られた信用組合。

 掛川にいた時に市長の榛村さんから「小松さん、あなたは北海道が出身だけど、北海道は農業だけじゃなくて水産業も報徳の教えで村々が救済されたんですよ」と言われたことを思い出しました。


       ◆  


 北海道の漁村を立て直そうと努力した報徳の偉人は安藤孝俊という方(1894~1990)。福島県生まれで、一時はアメリカにわたり写真を勉強し出版をしたかったようですが、両親の薦めで警察官になりました。

 そこへ道庁の産業部長へ転出していた警察時代の先輩から「道庁の水産課に空席ができるのでぜひ来てほしい」という要請があり、意を決して北海道へと渡ってきたのでした。

 ところが道庁水産課に勤務して漁村の実情を見ると、窮乏は著しく様々な案件を解決してゆくうちにいよいよ漁村を救わなくては、という思いが強くなっていきました。

 漁業には船や網など初期投資がかかりますが、貧乏な漁師はそれらを自前で調達できず、魚問屋から「仕込み」と呼ばれる、資金提供を受けてその見返りに獲った魚を安く買い取られる制度を受けているのが一般的でした。そのため漁師は魚問屋に支配され自由な販売活動ができず明らかに収奪を受けているという状態だったのです。

 安藤は、協同組合を作れば皆が協力して漁村振興の糸口が開けると、地区ごとに連合会を作り全道の連合会を作ることに尽力しました。

 結果的に組合員に推される形で道庁を退職し、この組合連合会の専務理事に着き、違った立場でも引き続き漁村振興に力を尽くしたのです。


   【信漁連のビルにある安藤孝俊像】


       ◆   


 安藤と報徳の出会いは幼い時に目にした報徳訓でしたが、当時はピンとこなかったよう。ところが道庁時代に報徳に造詣の深い遠山信一郎という役人が赴任してきてその影響を受け、ついにはこの報徳思想が協同組合の思想と一致することに気が付いたのでした。

 その結果、彼の事業推進の精神的支柱に報徳がすえられて、人間味あふれる指導が繰り広げられることになります。安藤は、直接報徳の言葉を利用するのではなく、その意味を自分なりに解釈してあるべき生き方、あるべき生活の仕方を諄々と説き聞かせました。

 安藤は後にこう言っています。
「協同組合の根本は絶えず弱者同志なのだという基本の下に、将来を考えて譲り合うようにしたいものだ。これが永遠に安らかな秘訣なのだ。こうした心構えが無限に続かねば漁村の幸せはない。これが永安法だが、協同組合の相互扶助がこれに通じている。協同組合が高度に利用されると、漁民に貧乏人はいなくなる」

 

       ◆   ◆ 


 戦後の苦しかった時代に、農業、酪農、漁業の分野で窮乏を救った報徳運動ですが、今日は衰退の一途です。

 二宮尊徳先生のエピソードを聞くと、感動する人は多いのですが日常生活の実践を支える思想の座は失われつつあります。

 私はそれは地方自治体行政や金融行政が充実し、自分たちがかつてほど一生懸命に頑張らなくても支えてもらえる社会になったからだ、と考えています。

 それはそれで結構なことのはずですが、日ごろ世話になっている市町村行政に対する感謝や自らも参加してそれを支えなくては、という気持ちが同時に薄れてしまっているのは残念です。

 ときどきは我が国が一様に苦しかった時代を思い出して、背筋をしゃんと伸ばしてみることが必要ではないでしょうか。

【参考】 
 「報徳・協同組合思想の上に立ち
   北海道の農漁業を築いた人々」(財団法人北海道報徳社編) 

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マスコミの報道姿勢をマスコミの方に問う

2014-10-15 23:26:27 | Weblog

 知人の紹介で、あるマスコミ関係の方とお酒を交えながら懇親を深めました。

 北海道には単身赴任とのことで、北海道の印象を尋ねると、「何を報道しても全国相手に伝えられるネタが豊富にあるというイメージですね」とのこと。

 まだ着任してから半年足らずということではそういう印象なのかな、と思いながら、地元の様々な情報で話が盛り上がると、「いやあなかなか聞けない話を教えていただき、ありがとうございました」と感謝の言葉を述べてくれました。

「ところで」と私。「なんでしょう?」「私もいろいろなマスコミ関係の方とお付き合いをしてきましたが、しばしば見受けられるのが、先にストーリーがあって後からそれに合致する映像を撮るというスタイルです。何十分もインタビューを受けて、使われたのはメインの話ではなく雑談の時の受け答えだった、なんてこともありましたが、そういうことをどうお考えですか」

 普段思っていることをお酒の力も借りて率直に訊ねてみました。

 すると当の相手は、「それはまさに、やってはいけない報道姿勢として先輩からきつく言われてきたことですよ。少なくとも私は先輩の指導もあって、現場の状況を全体的に把握してそのうえで問題意識を持つように、ということを守ってきたつもりですが、そのように感じられることがあるというのは残念です」と実に正直な答え。

 もっとマスコミ全体を擁護するかと思ったのですが、そういう報道姿勢は正しくないと言い切ってくれました。

 ちょっと安心するとともに、こういう方がちゃんと良い仕事をしてくれることを期待したいと思いました。

 最近はネットを使って、取材を受けた側が放送内容の裏側を暴露することも増えています。

 放送内容を作る側に絶対的な優越がある時代からは様子が変わってきたようにも思いますが、まだまだマスコミの力は大きいものがあります。

 地域の姿を正しく伝えて、そこから自分なりの感想を持つような視聴者を育てる様なことを願わずにはいられません。

 当たり前のことを聞いただけなのかもしれませんが、今日ははちょっと嬉しくなりました。

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「なぜローカル経済から日本は甦るのか」を読む

2014-10-14 23:45:55 | 本の感想

 『なぜローカル経済から日本は甦るのか』(冨山和彦著 PHP新書)を読みました。

 この本の着眼点は、著者がある経済官僚と会話をしていて「どうもアベノミクスの第三の矢がピンとこない」と言ったことから始まった知的双発(ママ)から誕生したと書かれています。

 著者が「ピンとこない」と言ったのは、アベノミクスでイメージされている成長戦略は大手製造業やIT企業などのグローバルな世界で成長を目指す企業を意識したメニューなのではないか、と感じたから。

 著者の冨山さんはいくつもある経歴の中で東北の"みちのりホールディングス"という公共交通事業を行う会社を経営している中で、地方でも人出不足が顕著になっているという認識と実感をもっています。

 それは国全体の少子化に加えて、都会へ若者が向かって行く社会的移動のために働く人が地方にいなくなっているからです。

 グローバルな企業だったら、日本の労働者賃金が高いと思えば中国へ工場を移して労働者を集めればよいし、中国でも都合が悪くなればベトナムやミャンマーへ移したって平気です。

 ところが東北地域のバス会社となると、ベトナムに運転手がいても仕方がなくて、地域に住む人に運転手になってもらって動かすバスに地域の人が乗るという構図。つまり経済も労働も、地域限定のローカルなエリアでしか回っていない。

 それなのにグローバルな成長産業を支援して世界に羽ばたいて外貨を稼ぐ…と言われても、それが地方の経済や生活にどう影響するのだろうか、と考えるとどうにもピンとこない、というわけです。

 そこでかの経済官僚氏は、「…ということは、グローバルな経済圏で活動する産業、企業、人材に関わる話と、ローカルに密着せざるを得ない経済圏の問題は、かなり様相が異なるというわけですね」と言い、その言い方にストンと落ちる何かを感じたのでした。

 今まで議論されてきた経済政策論争は、たとえば『新自由主義vs.社会民主主義』とか、『マネタリストvs.ケインジアン』といった、どちらが正しいのか、どちらの政策を取るのかといった二項対立的な対決的な論調でした。

 ところがどうやらグローバル(G)とローカル(L)という二つの経済は違う性質のものらしい、という直感を頼りに、「GかLか」ではなく、GはGとして、LはLとして最適な政策は何か、ということを観察して考察してみると、案外「GもLもいけるのではないか」という仮説に到達したのでした。

 日本の企業活動で言うと、Gの世界で戦う大企業はGDPの30%ほどでモノ作りが中心、雇用者数で言うと数%くらい。一方Lの世界で暮らす中小企業はサービス産業を中心にしていて我が国GDPの60~70%を占めています。

 Gの世界とは世界中の覇権を狙う企業群が新しい技術開発と原料や労働者の資源調達、そしてコストダウンに明け暮れており、一たび判断を誤ったり競争に後れを取るとみるみるうちに淘汰されてしまう厳しい戦いの場。

 それに対してLの世界は、先んじればそれだけで勝てる様な不完全な競争の中で、サービス業などに代表されるようにそこで生産されたものをそこですぐ消費するという形の閉鎖経済です。そうした需要は確かにあるために空洞化は起きにくく、一方で労働力がなくなれば成り立たないのですが、だからといって他に移るわけにもいかないというまさに地域と密接不可分の場なのです。

 著者の冨山さんは、思考実験の結果として「GはGの世界があって、LにはLの世界があり、相互の世界で頑張りながらそれぞれをもり立てることはできる」という考えに至っています。

 
      ◆   


 ユニクロが先日、会社で雇用している非正規社員の大多数を正規職員とする、という発表をしましたが、これは非正規社員が可哀想だ、というようなヒューマニズムからではなく、しっかりとした労働者を囲い込まなくては地方で
は優秀な人材をとどめておくことはできない、と判断したからにほかなりません。

 現在は雇用がないかあるいは低賃金の仕事しかないために都会に出ざるを得ない若者も多い状況です。しかし今後は地域での賃金を上げざるを得ない局面が出てきて、それを少しは社会が支える様なことで、大都会で子育てしにくいと感じるような若者が地方でほどほどの暮らしをしながら子育てをする暮らしを求める局面が出てくることが可能ではないか、と著者は言います。

 そしてGを目指す若者には世界へ向けて頑張ればよいし、地方のLの世界で暮らす若者はそこで地域を支える暮らしに誇りと矜持とそこで相応の収入を得て幸福感を感じる様な暮らしこそがLの世界のゴールで、それはそれで良いのだと著者は言います。

 地域には大儲けはできなくても、雇用を守って地域の人々から喜ばれそこそこやれれば良く、そこにこそ意味がある仕事がある。公共交通や介護、旅館などはそういう意味なのだと。

 ただしここでの留意点は、ローカル経済ではしばしばあまりに非効率な企業なども生き延びられるような支援策がありすぎて、そのためグダグダな経営の企業が平気で存在していてそのために労働者の賃金も上がらないような事例が見受けられることで、だからこそそうした企業には【緩やかな退出】を求める様な社会的コンセンサスや制度が必要だということ。

 どんな企業でもとりあえず潰さずにいるというのは労働者が余り気味だった時代の政策で、これからの日本はそれではローカルでもやっていくべきではなく、効率化は徹底的に推し進めて少ない人間でより多様な経済を生み出して収入を増やすという方向に舵を切らなくては少ない労働者で地域を支えることが難しくなると考えています。

 
 結論として、これからは地方での労働力が不足するから地域での雇用は増えて、そこで賃金を上げざるを得なくなるので地方にする若者がもっと増えるような社会になるのではないか、あるいはそうする方が良い、というのが著者の一定の結論です。

 新しい切り口の視点にはうなづける点が多く、あるべき論として非常に感じるところが多い内容でした。


       ◆   


 しかし、現実にそこへもっていくための政策としてどのようなことができるのか、ではそれをすることで都会も地方もwin-winの関係になれるのだろうか、と考えるとどうもゼロサム、つまりどちらかがうまくいけばどちらかがマイナスになるということになりそうに思います。

 バスの運転免許という同じ技能を持っている二人が、都会では600万円の収入、地方では400万円となったときにその格差を甘んじて受け入れられるのか。
 都会の何でもある暮らしと医療や教育などで制約の多い地方の暮らしを同等に考えられるのか、といった問題。

 また地方が豊かになるということは逆に言うと、東京を地方に比べて住みにくくして暮らしにくくするような政策ということになりますが、世界都市東京が魅力を失うようなことに果たしてなるのかどうか。
 東京がやはり魅力的である限り、地方から東京へ大都会へと出てきて夢を見る若者は多いだろうということは想像がつきます。

 このような世界をどう考え果たして実現するのかどうか。日本にとっての難しい選択のように思います。


      ◆  


 もう懐メロになってしまうかもしれませんが、かつて太田裕美さんという歌手がいて「木綿のハンカチーフ」という名曲がありました。

 歌詞の描き出す物語は、地方に暮らす恋人同士のうち男性が都会へ出てゆきそこの魅力に取りつかれ変えることができなくなる。地方に残る女性が最後にねだるプレゼントが涙をふく木綿のハンカチーフというものでした。

 この本を読んでいてこの歌を強く思い出しましたが皆さんはどのように感じられるでしょうか。
 
 まちづくりを志す方はぜひご一読をお勧めする一冊です。


【木綿のハンカチーフ】

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世界遺産、富岡製糸場を見学する

2014-10-13 23:52:35 | Weblog

 老神温泉の宿を出て、再びバスに揺られ電車に揺られて目指すは上州富岡駅。今日は世界文化遺産に指定されたばかりの富岡製糸場へとやってきました。

 富岡製糸場は、明治政府が外貨獲得のために質の高い絹糸を生産して海外へ売るためにモデル工場として作ったのだそうです。

 フランスからポール・ブリューナをはじめとする技術者を招へいし、高給で処遇して指導に当たらせました。

 当時いくつかあった製糸産業の拠点の中からここ富岡が選ばれたのは、
大きな土地が入手可能だったこと、きれいな水の供給ができたこと、エネルギー源の石炭が近くでとれたこと、レンガを作る材料や職人がいたことなどが挙げられますが、さらに要因の一つとして「地元の理解が得られたこと」ということを挙げていました。

 これだけの国を挙げての事業にも関わらず、やはり地元の理解があればこそ、ということが明治以来なのだと思って面白く思いました。

 ところで世界文化遺産として登録された正式な内容は、「富岡製糸場と絹産業遺産群(とみおかせいしじょうときぬさんぎょういさんぐん)」というもの。

 つまりこれらは、富岡市の富岡製糸場だけではなく、伊勢崎市や藤岡市、そして下仁田町の3市1町に点在する養蚕関連の文化財によって構成される施設群でした。

 これらの施設群は、養蚕を盛んにする技術開発を行った豪農の家や繭づくりを支えた施設で、これらがあってこそ近代製糸業が日本で栄えたと言えるものです。

 また、富岡製糸場は当時のフランスをもしのぐ世界最大の工場だ、ということも認められました。これほどの施設が今日まで往時を忍ばせる形で残っていることが立派ですね。

 
       ◆   


 富岡製糸場を見学して、歴史を勉強できたと思って大満足で羽田空港へと向かいましたが、なんと飛行機は欠航…。

 とりあえず翌日に予約を変更して今日は東京で足止めです。

 明日の飛行機は飛ぶんでしょうねえ…。

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上州の名瀑「吹割れの滝」

2014-10-12 21:04:09 | Weblog

 昨日から同窓会で上京中の私。

 昨夜は妻と一緒に娘の家に泊まり、今日は滝が大好きな妻の企画で三人で朝から群馬県北部の"吹割れの滝"目指した小旅行中。

 池袋~浦和~高崎と乗り換えてやっと着いた沼田駅。そこからさらにバスで40分揺られてやっとのことで吹割の滝に着きました。

 この滝、高さ7m、巾30m余りを有し、ごうごうと落下する豪快さから東洋のナイアガラとも呼ばれているそうです。岩質は溶結凝灰岩と花崗岩が混じり合っていて、この川床上を流れる片品川が岩質の軟らかい部分を浸蝕し、ただ流れ落ちるだけではなく滝をさらに削り取ったような割れ目を生じています。

 それがあたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、”吹割の滝”の名が生まれたのだそう。急峻な地形を流れ落ちる滝とはまた一風異なって、広い石畳から豪快に流れ落ちる独特な景観。もちろん日本の滝百選や天然記念物に指定されている名の知れた名瀑です。

 東京にいた時も、群馬県の北部はなかなか来ることができませんでしたが、今回は思い立っての滝見旅行。泊まりは滝近くの老神温泉です。

 明日は晴れれば世界遺産に認定された富岡製糸場へも行ってみようかと思っています。

 台風が近づいていますが、夜の札幌便は飛ぶんだろうなあ。

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