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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

外から見た北海道~東京でのクラス会

2014-10-11 23:45:39 | Weblog

 ただいま上京中。大学のクラス会を東京でやることになって、久しぶりになつかしい顔がそろいました。

 わが年代は卒業時に26人だったのが、今回参加者は9名。一学年下で仲の良かった後輩が3人参加して全部で12名での会合となりました。

 数年前に東京でやり、二年前に札幌でジンギスカンパーティをやり、とどうやら同窓会をやりたくなる年齢期に差し掛かっているようです。

 同世代が集まると、話題もっぱら仕事と健康と親の介護と子供の事。

 今回集まれずに、メッセージをよこした仲間には健康の事情や親の介護で来れないというメンバーも確かにいて、まあ大体これがこの世代の一番の関心ごとというわけです。

 北海道にいると、北海道のことが分からなくなるので、東京にいる人たちに北海道がどう見えるかを訊いてみました。

 するとある国の大使館に勤めているメンバーが、「もうだめ、全然だめですね」と強烈なダメ出しをしてきました。

「ええ、どうして?」
「だって、仕事をちゃんとしようという意識の低さにがっかりですよ」

 相当憤慨している様子です。

「一体何があったの?」
「実はちょっとしたトラブルが続いて我慢ならなかったので、『契約を打ち切りたいのですが』という電話を札幌の業者さんにしたことがあったんです。すると当の業者さんの対応は、『はあ、申し訳ありません』といって電話を切ろうとするんですよ!」

「へえ」
「へえじゃないですよ!東京の業者さんだったら間違いなく、『どこが悪かったのでしょうか、どうしたら継続していただけますか』って、原因を探り契約を続けてくれるように粘るじゃないですか。札幌の業者さんにしてこの体たらく。そういうことすらわかっていないのかと思って、もうがっくりですよ」

「なんだろう、すぐ仕方がないとあきらめてしまうのかね」
「仕事が万事内向きです。周りとの軋轢さえ避けられれば、事業の成長や継続なんてどうでもいいって感じじゃないでしょうか。どこが開拓使の精神なんだか、試される大地なんだか…」

 もういいやって感じがびしびし伝わってきます。


「でもね…」
「でも…、なんだい」

「あと数年もしたら仕事を離れて北海道に戻りたいな、とは思っているんです。だからそのときまでにはもっと素晴らしい北海道になってほしいと願うんですよ」


      ◆  


 期待がある分余計に、現状のだらしなさに我慢できないというのがその人の意見でした。

 反省すべきは反省して、持っているポテンシャルを大いに生かしたいなと思った次第。外の意見は貴重です。


 友よ、次回また会える時まで元気に過ごしましょう!

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恥ずかしかった蕎麦屋さんでのエピソード

2014-10-10 23:45:17 | Weblog

 昨日の蕎麦談義はフェイスブックでシェアしてくれた方もいて、ずいぶん多くの方に読んでいただいたようです。改めて蕎麦好きって多いのだなあと驚きました。

 さて今日は私のちょっと恥ずかしい蕎麦エピソードをご紹介します。

 平成8年に信州安曇野へ転勤をして公園事務所で公園づくりを始めた私でしたが、最初はこの信州の人たちに受け入れられるために、地元の人たちが誇りに思うものを勉強して共感をしよう、と思い立ちました。

 そこで信州安曇野の人たちの誇りは何かな?と思ってよくよく見ていると、どうやら「北アルプスと蕎麦」が自慢らしいということが分かってきました。

 北アルプスのことは地域の西側に屏風のように立ち上がって美しく、地元の皆さんは"西山"と呼んでいました。

 そしてもう一つが蕎麦、ということで県内の名だたる蕎麦屋を食べ歩いて一軒一軒の感想をエクセルに書き込むということをしていました。

 すると最初は「美味い蕎麦とは何か」ということすら分からなかったのが、30~40軒を過ぎるころから「おいしい蕎麦とは風味やコシがある蕎麦だ」ということが分かってきました。

(なるほどなるほど、そういうことか)と少しは蕎麦が分かってきて嬉しくなっていた頃合いに、南信は伊那谷であるお蕎麦屋さんに入りました。

 そこもこの地域では美味しいと評判のお蕎麦屋さん。さっそく大盛りを頼んでちょっと太めのお蕎麦をズズッといただいたのですが…(んん…?)ちょっと思ったようなコシがありません。

 噛むとグンと返ってくるような強いコシを期待したのに、なんだかグニュッというようなやわらかくてツルンとした食感なのです。
(なんだこりゃ…?)

 訳が分からなくなって、途中まで食べ進んだところでおずおずとお店の方に声をかけて、「あのう…これはゆで時間が長かったとかそういうことはありませんか?」と訊いてしまいました。

 すると女性の店員さんは「あら、柔らかかったかしら。それじゃ茹でに気を付けてもう一枚お出しします」と言って、私の蕎麦を食べもせず蕎麦をもう一枚出してくれました。

 「ああ、ありがとうございます!」とお礼を言って、出された蕎麦を食べましたが…、やっぱりほぼ同じ食感。蕎麦の断面の角が分かるような強いコシは出ていません。

 もういいや、と思ってお代を払って店を出ましたが、お店の方は私がなんとなく満足していないことを悟って、ちょっと申し訳ないような素振りです。


      ◆   


 そんなことがあって、有名店でもあまり美味しくない蕎麦があるんだな、と勉強になったと思っていたのですが、その後あるときに、全く同じような食感の蕎麦を食べて、その時のお店のことを思い出しました。

 実は同じ食感の蕎麦は、「一本引き」という粉で打ったそばでした。

 普通蕎麦粉は石臼などで挽いて、細かくなった粉を篩でふるい分けして大きい粉を又挽いて…と何度も挽きます。

 そして出てくる順番に一番粉、二番粉、三番粉…とわけてこれらを適当なバランスでミックスして使います。

 一番粉を多くして打てば更級蕎麦になりますし、二番粉、三番粉と蕎麦の実の外側が入って来ると緑色が強くなり田舎蕎麦らしくなります。

 そして「一本引き」とは、これらを分けずに全部を混ぜ込んだ粉で、これで打った蕎麦は田舎っぽい味なのにどこか更科の様なプルプルした感じが残ります。

 実はかつて伊那谷で食べた蕎麦もまさにこの一本引きの粉を使っていたに違いありません。それはそれで一つのお店のポリシーだったわけで、私がそういうジャンルを知らない無知でした。

 田舎蕎麦のような強いコシこそが美味い蕎麦の条件のように思っていた私は、それを知って(私の無知ゆえに、あの時のお店に悪いことをしたなあ)と恥ずかしく思ったのです。

 もしも「一本引き」なんて単語を聞いたら、どういう食感化を確かめていただくのも良いかもしれません。

 本当に蕎麦は奥が深いのです。
 

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恥ずかしかった蕎麦屋さんでのエピソード

2014-10-10 23:45:00 | Weblog

 昨日の蕎麦談義はフェイスブックでシェアしてくれた方もいて、ずいぶん多くの方に読んでいただいたようです。改めて蕎麦好きって多いのだなあと驚きました。

 さて今日は私のちょっと恥ずかしい蕎麦エピソードをご紹介します。

 平成8年に信州安曇野へ転勤をして公園事務所で公園づくりを始めた私でしたが、最初はこの信州の人たちに受け入れられるために、地元の人たちが誇りに思うものを勉強して共感をしよう、と思い立ちました。

 そこで信州安曇野の人たちの誇りは何かな?と思ってよくよく見ていると、どうやら「北アルプスと蕎麦」が自慢らしいということが分かってきました。

 北アルプスのことは地域の西側に屏風のように立ち上がって美しく、地元の皆さんは"西山"と呼んでいました。

 そしてもう一つが蕎麦、ということで県内の名だたる蕎麦屋を食べ歩いて一軒一軒の感想をエクセルに書き込むということを始めました。すると最初は「美味い蕎麦とは何か」ということすら分からなかったのが、30~40軒を過ぎるころから「おいしい蕎麦とは風味やコシがある蕎麦だ」ということが分かってきました。

 人間、数を重ねると眼力がついてくるものです。

       ◆   

(なるほどなるほど、そういうことか)と少しは蕎麦が分かってきて嬉しくなっていた頃合いに、南信は伊那谷であるお蕎麦屋さんに入りました。

 そこもこの地域では美味しいと評判のお蕎麦屋さん。さっそく大盛りを頼んでちょっと太めのお蕎麦をズズッといただいたのですが…(んん…?)ちょっと思ったようなコシがありません。

 噛むとグンと返ってくるような強いコシを期待したのに、なんだかグニュッというようなやわらかくてツルンとした食感なのです。
(なんだこりゃ…?)

 訳が分からなくなって、途中まで食べ進んだところでおずおずとお店の方に声をかけて、「あのう…これはゆで時間が長かったとかそういうことはありませんか?」と訊いてしまいました。

 すると女性の店員さんは「あら、柔らかかったかしら。それじゃ茹でに気を付けてもう一枚お出しします」と言って、私の蕎麦を食べもせず蕎麦をもう一枚出してくれました。

 「ああ、ありがとうございます!」とお礼を言って、出された蕎麦を食べましたが…、やっぱりほぼ同じ食感。蕎麦の断面の角が分かるような強いコシは出ていません。

 もういいや、と思ってお代を払って店を出ましたが、お店の方は私がなんとなく満足していないことを悟って、ちょっと申し訳ないような素振りです。


      ◆   


 そんなことがあって、有名店でもあまり美味しくない蕎麦があるんだな、と勉強になったと思っていたのですが、その後あるときに、全く同じような食感の蕎麦を食べて、その時のお店のことを思い出しました。

 実は同じ食感の蕎麦は、「一本引き」という粉で打ったそばでした。

 普通蕎麦粉は石臼などで挽いて、細かくなった粉を篩でふるい分けして大きい粉を又挽いて…と何度も挽きます。

 そして出てくる順番に一番粉、二番粉、三番粉…とわけてこれらを適当なバランスでミックスして使います。

 一番粉を多くして打てば更級蕎麦になりますし、二番粉、三番粉と蕎麦の実の外側が入って来ると緑色が強くなり田舎蕎麦らしくなります。

 そして「一本引き」とは、これらを分けずに全部を混ぜ込んだ粉で、これで打った蕎麦は田舎っぽい味なのにどこか更科の様なプルプルした感じが残ります。

 実はかつて伊那谷で食べた蕎麦もまさにこの一本引きの粉を使っていたに違いありません。それはそれで一つのお店のポリシーだったわけで、私がそういうジャンルを知らない無知でした。

 田舎蕎麦のような強いコシこそが美味い蕎麦の条件のように思っていた私は、それを知って(私の無知ゆえに、あの時のお店に悪いことをしたなあ)と恥ずかしく思ったのです。

 もしも「一本引き」なんて単語を聞いたら、どういう食感なのかを確かめていただくのも良いかもしれません。

 本当に蕎麦は奥が深いのです。
 

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蕎麦の食べ方で通ぶるには

2014-10-09 22:21:14 | Weblog

 

 「知らないと恥をかく、そばの食べ方」という記事があって興味深く読みました。

 3つのポイントに絞って、先輩が後輩にそばの食べ方を指南するという記事です。

 そばの食べ方に正解はないと思いますし、この記事の中身にも割と突っ込みどころがありました。

 最初に注意されたのは「わさびはそばつゆに溶かすな」ということ。

 そうそう、蕎麦の場合は汁とかいて「つゆ」と呼びます。決して「タレ」とは言わないのでご注意を。

 それでわさびを汁に溶かすな、と言っていますがこれはこれで結構。溶かすとわさびの風味が飛んじゃいますからね。

 しかし安曇野にいた時に地元の方に蕎麦の薬味について訊いてみると、わさびよりも七味唐辛子を使うという人が多いのに驚いたことがあります。

 安曇野のわさびは明治時代から栽培が始まったもので、元々の有名産地は静岡や伊豆でした。それが大正12年の関東大震災のために静岡の産地が大打撃を受けて、そこから安曇野のわさびが注目されるようになったもの。

 信州の人たちは蕎麦にはわさびよりも七味のようです。そしてその七味は何と言っても善光寺門前は八幡屋磯五郎の善光寺七味。これをかけ蕎麦のみならず、冷たい盛り蕎麦の上にもぱらぱらと振りかけて食べます。
 七味ももちろん先に汁に入れてはいけません。

 冷たい蕎麦に七味というのも意外にオツなものですよ。お試しあれ。


   【善光寺七味】


       ◆   


 蕎麦の食べ方2つ目は、「つゆにそばの下部分だけをつけて、すすって食べる」というもの。

 関東の汁は辛め(しょっぱめ)なので、どっぷりとつけるとしょっぱくなってしまうというので下だけちょいとつけろ、と言われます。

 でもこれは汁が辛めのときの話。汁にちょんとつけるよりはどっぷりとつける方が美味しいので、どっぷりとつけても良いくらいの濃さの汁で作るお店もありますから、自分の好みで良いのだと思います。


       ◆   


 そばの食べ方その3は「運ばれて来たら相手を待たずに速攻ですぐ食べろ」ですが、これには同意です。

 蕎麦は茹でたてが美味しくて、時間が経つと乾いてしまって風味が失われます。

 一緒に注文して、自分にだけ蕎麦が来て相手にまだ来ない、というときでも遠慮せずにどんどん食べてください。

 蕎麦は乾くのを嫌って、大盛りでは頼まずに少なければ二枚、三枚と頼むなんていう通の方もいます。
 
 でも知識ばかり詰め込んで通ぶるあまり、気を使ってばかりというのでは蕎麦を存分に楽しめませんね。

 大盛りをどっぷり汁につけて食べたいように食べるのが庶民の蕎麦で良いのではないでしょうか。 

 

【知らないと恥をかく、そばの「3つの食べ方」】
   

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クライシスマネジメント~不幸にして事件が起きたら

2014-10-08 22:44:01 | Weblog

 

 職場内研修で、"クライシスマネジメント"についての講義を受けました。

 クライシスマネジメントは日本語では「危機管理」と言います。

 似たような言葉で"リスクマネジメント"という単語がありますが、こちらは「危険管理」と訳されます。

 その意味の違いですが、リスクは事件や事故を発生させる危険のことで、そういうものを事前に察知して排除するのがリスクマネジメント。

 そうはいっても事件や事故は起こるものです。自然災害や人為的な事件・事故を含めて、組織の存亡を左右するような事象が起こってしまった後にどうするか、というのがクライシスマネジメントというわけです。


    ◆


 講義ではまず、組織全体をマネジメントするうえでの悪い例を紹介されました。

 企業を始め現代の組織は多くの業務を効率的にこなすために階層構造にせざるをえないが、そのためにトップと現場など、上部と下部の距離が離れてしまいがち。そこで情報が伝言ゲームのようになって正しく上がらなかったり、誤解を生んだりします。

 そしてそこに、トップに近くて権力欲の強い者がいたりすると「虎の威を借る狐」のような人間が登場する素地がある。
 
 情報がなかなか上にあがりにくいのは、部下がトップに直談判をすることを「ルール違反」だとか「周囲のコンセンサスを取ってから伝達すべき」というような文化も背景にあると言います。

 こうした状況を打破するための組織風土として、「報連相」つまり、報告・連絡・相談するということを当たり前にする体制が望ましい。現場の正しい情報を上はもちろん、周囲にも連絡するような組織風土は確かに望ましいことで、質の高い組織マネジメントと言えるでしょう。


 小林製薬という製薬会社がありますが、こちらでは社内提案制度というのを作っていて、社員に対して自社製品の改善のためのアイディアを募集しています。そしてこれがとてもうまくいっていると評判です。

 社内提案制度というのはどの組織でも作られることが多いのですが、多くは「アイディアを出しても仕方がない」と思う社員が多く、形骸化しているのが現実。ところが小林製薬では、出されたアイディアは全て担当の部所に回して、採用できるものは採用し、採用できないものはなぜ採用にならないかをしっかりと検討してそれを発案者に返すということをルール化しているのだそう。

 発案者は自分の考えに対して真剣に応えてくれるという姿勢を感じて、又出そうという気持ちになると言います。やりっ放しにしないという組織風土が構成員のモチベーションを上げている好事例と言えそうです。


        ◆     ◆   


 さて、いよいよクライシスマネジメント。

 組織としては報連相を素早く行うということにつきるのですが、しばしば問題になるのはトップのマスコミなどに対する姿勢や態度だったりと、案外とんでもないところに失敗の種が転がっているものです。

 事件や事故があった際の大失敗事例として先生が示されたのは、雪印乳業が毒入り牛乳で批判された時の社長の「私も寝ていないんだ」発言と、船場吉兆の産地偽装問題に対する謝罪会見時に社長が謝罪する言葉を横から女将さんが囁いた言葉が全部マイクで拾われて、社長の謝罪に対する誠意のなさが批判を受けた事例でした。

 これに対して謝罪対応が上手だった事例として先生は、顧客情報が大量に漏洩した際のジャパネットたかたのタカタ社長の会見をあげました。
「タカタ社長はテレビ慣れしているということもあったでしょうが、相当に世間の目を意識して演出していたので問題が大きくならずに沈静化しました。まさに上手な対応の好事例だと思います」

 
 危機に陥った際のトップの態度は組織の命運を分けるようです。

【雪印乳業石川社長『こっちは寝ていないんだ』】
   

【船場吉兆の「恥の上塗り会見」】
   

【ジャパネットたかた 高田社長の謝罪会見】
   

        ◆     


 さて、報連相をする組織風土においては報告・連絡・相談を受けたときの上司の態度も問題になる、と先生はおっしゃいます。

「報連相の反対は"メイカイエン"と覚えてください。メイカイエンとは、命令・解説・援助の略語ですが、嫌な情報が上がってきた時にも上司は笑う余裕を見せた上で、命令・解説・援助をすべきだ」と先生はおっしゃいます。

 いざ事件事故が起きた時には、部下が実践する報連相の組織風土に対して上司も応える組織風土が求められます。

 上司も部下も頑張って、健全でパフォーマンスの高い組織風土を作り上げましょう。

 

 

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クライシスマネジメント~不幸にして事件が起きたら

2014-10-08 22:42:25 | Weblog

 

 職場内研修で、"クライシスマネジメント"についての講義を受けました。

 クライシスマネジメントは日本語では「危機管理」と言います。

 似たような言葉で"リスクマネジメント"という単語がありますが、こちらは「危険管理」と訳されます。

 その意味の違いですが、リスクは事件や事故を発生させる危険のことで、そういうものを事前に察知して排除するのがリスクマネジメント。

 そうはいっても事件や事故は起こるものです。自然災害や人為的な事件・事故を含めて、組織の存亡を左右するような事象が起こってしまった後にどうするか、というのがクライシスマネジメントというわけです。


    ◆


 講義ではまず、組織全体をマネジメントするうえでの悪い例を紹介されました。

 企業を始め現代の組織は多くの業務を効率的にこなすために階層構造にせざるをえないが、そのためにトップと現場など、上部と下部の距離が離れてしまいがち。そこで情報が伝言ゲームのようになって正しく上がらなかったり、誤解を生んだりします。

 そしてそこに、トップに近くて権力欲の強い者がいたりすると「虎の威を借る狐」のような人間が登場する素地がある。
 
 情報がなかなか上にあがりにくいのは、部下がトップに直談判をすることを「ルール違反」だとか「周囲のコンセンサスを取ってから伝達すべき」というような文化も背景にあると言います。

 こうした状況を打破するための組織風土として、「報連相」つまり、報告・連絡・相談するということを当たり前にする体制が望ましい。現場の正しい情報を上はもちろん、周囲にも連絡するような組織風土は確かに望ましいことで、質の高い組織マネジメントと言えるでしょう。


 小林製薬という製薬会社がありますが、こちらでは社内提案制度というのを作っていて、社員に対して自社製品の改善のためのアイディアを募集しています。そしてこれがとてもうまくいっていると評判です。

 社内提案制度というのはどの組織でも作られることが多いのですが、多くは「アイディアを出しても仕方がない」と思う社員が多く、形骸化しているのが現実。ところが小林製薬では、出されたアイディアは全て担当の部所に回して、採用できるものは採用し、採用できないものはなぜ採用にならないかをしっかりと検討してそれを発案者に返すということをルール化しているのだそう。

 発案者は自分の考えに対して真剣に応えてくれるという姿勢を感じて、又出そうという気持ちになると言います。やりっ放しにしないという組織風土が構成員のモチベーションを上げている好事例と言えそうです。


        ◆     ◆   


 さて、いよいよクライシスマネジメント。

 組織としては報連相を素早く行うということにつきるのですが、しばしば問題になるのはトップのマスコミなどに対する姿勢や態度だったりと、案外とんでもないところに失敗の種が転がっているものです。

 事件や事故があった際の大失敗事例として先生が示されたのは、雪印乳業が毒入り牛乳で批判された時の社長の「私も寝ていないんだ」発言と、船場吉兆の産地偽装問題に対する謝罪会見時に社長が謝罪する言葉を横から女将さんが囁いた言葉が全部マイクで拾われて、社長の謝罪に対する誠意のなさが批判を受けた事例でした。

 これに対して謝罪対応が上手だった事例として先生は、顧客情報が大量に漏洩した際のジャパネットたかたのタカタ社長の会見をあげました。
「タカタ社長はテレビ慣れしているということもあったでしょうが、相当に世間の目を意識して演出していたので問題が大きくならずに沈静化しました。まさに上手な対応の好事例だと思います」

 
 危機に陥った際のトップの態度は組織の命運を分けるようです。

【雪印乳業石川社長『こっちは寝ていないんだ』】
   

【船場吉兆の「恥の上塗り会見」】
   

【ジャパネットたかた 高田社長の謝罪会見】
   

        ◆     


 さて、報連相をする組織風土においては報告・連絡・相談を受けたときの上司の態度も問題になる、と先生はおっしゃいます。

「報連相の反対は"メイカイエン"と覚えてください。メイカイエンとは、命令・解説・援助の略語ですが、嫌な情報が上がってきた時にも上司は笑う余裕を見せた上で、命令・解説・援助をすべきだ」と先生はおっしゃいます。

 いざ事件事故が起きた時には、部下が実践する報連相の組織風土に対して上司も応える組織風土が求められます。

 上司も部下も頑張って、健全でパフォーマンスの高い組織風土を作り上げましょう。

 

 

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一気に三人も~ノーベル物理学賞受賞

2014-10-07 23:15:42 | Weblog

 夕方に素晴らしいニュースが飛び込んできました。

 2014年のノーベル物理学賞で「明るい省エネ型の白色光源を可能とする効率的な青色発光ダイオードの開発」が評価されて、赤崎勇名古屋・名城大学教授、天野浩名古屋大学教授、中村修二米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の3氏に贈るという発表がありました。

 NHKの夜七時のニュースでは、受賞に繋がった業績と名城大学の赤崎先生のインタビューが何度も放映されていましたが、受賞に興奮することなく、口数少なく「成否はともかく、やりたいことをやってきただけ」と朴訥に話される姿に古武士のような気高さを感じました。

 ノーベル賞を取ることは目的ではなくて、自分が信じて打ち込んだ研究の成果の結果としての他人の評価があるだけのこと。

 無理だと言われた青い光を放つ発光ダイオードを実現した窒化ガリウムは1973年から研究してきて1989年に青色発光ダイオードづくりに成功したというのですからもう40年以上にもなるわけです。

 
 研究者に対するメッセージを求められて赤崎先生は、「そんなに偉そうなことは言えませんが、あまり流行の研究にとらわれるな、ただ自分がやりたいと思ったらやりなさい。仮になかなか結果がでにくくても自分がやりたいのだったらやる。それが一番だと思います」と答えていました。


 別な番組ではカリフォルニア大学の中村教授がインタビューを受けて、「日本の研究者が海外へ出る事例が多いと思うが、日本と研究環境はどう違うのか」と問われて、「アメリカは研究者が日本に比べて自由に研究ができる。日本は年功序列を始めさまざまなしがらみがあって、そういうかんきょうになりにくい。特にアメリカには思いついたことをすぐにビジネスにできるベンチャーキャピタルがしやすい。それに投資する投資家もいる。日本もそういう環境になると良いですね」と言っていました。

 日本は今でもすごいけれど、構造改善をすればもっとすごいことになりそうです。

 ノーベル賞はいくら業績があっても死んでしまっては受賞できません。赤崎先生は85歳とのことですが、長生きしておられるばかりでなく、「(青色発光ダイオードも)まだまだ効率化の可能性があるわけで、まだまだやることはいっぱいある」と言っておられました。

 このおかげで世界は明かりを灯すことに省エネを果たすことができて、世界を変える発明になったという評価ですが、まだまだ可能性はありますね。

 とても嬉しくて誇らしい一日となりました。

 

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「地方消滅」~人口減少に抵抗するこの一冊

2014-10-06 23:45:05 | 本の感想

 

 国交省職員から岩手県知事、そして総務大臣も経験された増田寛也さんによる編著「地方消滅~東京一極集中が招く人口急減」を読みました。

 以前から話題になっていた本ですが、職場の幹部から「改めてちゃんと読んでおくように」という連絡があってようやく手にしました。

 本の帯には「896の市町村が消える前に何をすべきか」と書かれていて、消滅可能性の自治体を赤色で塗った衝撃的な日本地図が描かれています。

 我が国全体としては少子高齢化が叫ばれ、子供が少なくなっていることから(やがて人口が減るんだろうな)と漠然と考えている人が多いことかと思います。

 しかしそれを地方都市の具体的な現場での減少として捉えると、それは地方自治体が消滅するという形で現れるのだ、というのが本書の指摘。そして人口の増減は【子供を産み育てることができる女性の数によって決まる】という『若年女性人口』という概念に着目しました。

 子供を産み育てる能力をもっている人たちの集団がどう動くかということが人口動態を決めるというのは実に炯眼です。

 そもそも国全体の人口は、子供を生み育てる女性の数とその女性が何人の子供を持つかという出生率で予測できますが、地域の人口となるとそうして生まれる子供による自然増に加えて、引っ越しや転勤などによる社会的増減によって決まってきます。

 急速に人口を減らしている地方部の小規模自治体では、女性が少なくなって子供が生まれないという事情に加えて、仕事や魅力を求めて若い男女が進学、就職のために都会に出て行ってしまい地域に残らないという現象が発生しています。

 せっかくの地元の子供も、働き結婚して子育てをするという世代としては地元で暮らさない。だから地域の人口はどんどん減るのだと。


 そうした若年世代が向かう先は、地域の中心都市であり究極の大都市東京です。

 ところが若い世代の子育て動向を見ていると、実は地方に暮らしている方が出生率は高く逆に東京は子育てのハードルが高くて子供を産み育てようという人が少ないのです。そのため東京は若者を集めては子供を産み育てない、人口増のためには全く貢献しないブラックホールになっていると増田さんは指摘します。
 東京は自分たちで人口増には寄与貢献せず、地方から人材をただ集めては無駄遣いしている都市であると。

 このような姿を増田さんは、「まるで、東京圏を始めとする大都市圏に日本の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝縮し、高密度の中で生活している社会である。これを我々は『極点社会』と名づけた」と書いています。

 つまり大都市に人口が集中することは、効率化と集中による魅力が増大する反面、大規模災害の被害度合いを多くしてしまい、しかも長期的には人口減少に繋がる事象であることから、これからの日本は、『極点社会』の到来を回避し、地方が自立した多様性のもとで持続可能性を有する社会の実現を目指すことが重要となるのです。


        ◆     ◆     


 東京へ東京へと若者がなびいてしまうことへの「防衛・反転線」は、若者にとって地方が魅力ある地域になれるかどうか、ということにかかってきます。そしてその魅力を集積させる拠点になるのは"地方中核都市"でありそれを軸とした「新たな集積構造」が求められる基本方向となるでしょう。

 地方と大都市で圧倒的に差がついてしまうのは就職の機会です。地方には仕事がなくて本当は住んでいたいのにやむなく地方を離れる人は多いはず。

 増田さんによると地方の中規模のモデル都市で言うと、地域経済はおおよそ年金、公共事業、それ以外の「自前」の産業がそれぞれ三分の一ずつで回っているとのこと。

 しかし高齢者の年金だって、65歳以上の高齢者はあと十年間で三割増えてそこで頭打ち。そこから先は高齢者も減ってゆき、これを頼りにしているコンビニや商店も早晩立ち行かなくなることでしょう。


       ◆     


 本書では人口減少最先端地域として北海道を取り上げ、北海道総合研究調査会(通称"HIT")の調査結果を用いて北海道の現状分析と果たすべき政策等についても触れています。身近な地名が出てきて頑張っている自治体として中標津町、ニセコ町、音更町などをとりあげて好事例として紹介しています。

 こうした地域では農業や観光などの地域経済を回すエンジンが機能していて、若者の定着度合いが高いことから人口の増加安定という面で極めて良好な形になっています。

 しかしこれらを全ての市町村で果たすことができるわけではなく、どうしても都市的機能や商業機能を地方中核都市に委ねて縮小を余儀なくされる地域も出てくることでしょう。逆に言えば、だからこそ地方中核都市は地域を支えるつもりで頑張らなくてはなりません。


 地方で雇用をつくる企業活動について編者の増田さんはこう言っています。
「グローバル経済の時代と言われますが、全ての企業がグローバルである必要はありません。グローバル経済に対応する企業は日本の企業の中のせいぜい二割程度ではないか。残りの八割はローカル経済の論理で動いています。新陳代謝や代替性はあまり効かなくて、維持することの方が重視される。でもそれが悪いというわけではないのです。地域交通や地方の旅館などでも、儲けが出ればそれに越したことはないけれど、何とか成り立っているという状態こそが、その地域にとって非常に有益である例はいくらでもあります」

 儲かってどんどん事業規模を拡大させてゆくという経済活動ではなく、せいぜいトントンになれば良くて、事業を継続させてゆくことが地域の雇用を維持することだと割り切ってそこに注力する。地方にはそういう企業が沢山あれば良いというのです。

 そう聞くと少し心が楽になりそうです。そしてそういうところで働いて結婚して子供をのびのびと育てる。

 そういう価値観を尊重するようなところから始めないといけないかもしれませんが、とにかく東京へ行くことが出世で、地域にいることを情けなう思う必要はない。
 これは掛川の生涯学習がまさに求めた姿です。昭和52年に作られた掛川市の生涯学習都市宣言を改めて読み返したくなりました。

 地域に貢献してみたいと思う方はぜひご一読をお勧めします。

 
 

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憧れのダブルモニター環境

2014-10-05 23:45:44 | Weblog

 憧れのマルチモニター環境にしたくて、思い立ってモニターを追加で購入しました。

 新しく23インチのモニターを私用に買って、今私が使っている24インチは家庭用に移し、今家庭で使っている22インチを私の二番目のモニターにするという玉突きです。

 まだ置き方は定まっていませんが、いずれ仕舞ってあるモニターアームを出して調整をするつもり。

 ケーブルでつなぐだけでちゃんと認識するかどうか心配だったのですが、一応システム側でつないだモニターをちゃんと認識。

 新しいモニターを①にして古いものを②にして向かって左側に配置するようにセッティングしましたが、これで画面のウィンドゥを左にどらっぐするだけで左側のモニターに移すことができました。

 テレビやyoutubeの再生などと作業を一つのモニターでやろうと思うと、モニターの絶対的面積が狭いためにいちいち画面を切り替えなくてはなりませんでしたが、これだけ面積があればもっと多くの作業画面を開くことができます。

 フェイスブックをやりながらyoutubeを見つつ、ネットの画面を参考にして文章を書くといったマルチ作業が簡単になりました。

(おお、これは便利だ)と思ったのもつかの間、新しいモニターは画面が明るくて映像も素晴らしいのに対して、今まで使っていたモニターの方は古いだけに画像がぼんやりしていかにも見劣りしてしまいます。

 まあ今日のところは映ることが確認できたので良しとして、明日以降調整をすることにしました。

 ネットを探せば、韓国LG電子では34インチという超ワイドモニターも売り出しています。これなど一台で二台分のモニター面積になりますね。ちょっと高いので手が出ませんが良いアイディアだと思います。


 さてダブルモニター環境を実際にやってみると面積が広いのはうれしいのですが、右から左までマウスを動かす量が随分増えて首を動かす量も増えました(笑)

 良いモニターを見てしまうと古いのはちょっと残念ですねえ。こういう買い替え需要もまた経済なんですが。

 

 

 

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"こども代理人" ~ 子育て重視時代のキーワード

2014-10-04 23:38:35 | Weblog

 公益社団法人日本造園学会の北海道支部大会が北海道大学農学部を会場に開かれました。

 朝から学生さんらによる研究の口頭発表会、ポスターセッション、デザインワークショップなどが繰り広げられ、質疑応答も熱心に行われる活気ある発表会となりました。

 

 午後3時からはシンポジウムで、いろいろとインスピレーションの湧く時間でした。今回のテーマは「再考:都市の緑の活用 子供の遊び場の視点から」。

 公園を遊び場の視点から語るなんて、「いまさら」と思うかもしれませんが、最近は外で遊ぶ子供が少なくなったり、遊具のメンテナンスやリニューアルが遅れたための破損による事故が発生したりして、公園が子供の遊び場であるという地位がどんどん低下しています。

 しかしながら、人口減少の原因である少子化を反転させて子供を産み育てることに国を挙げて取り組もうとする今日、子供たちが幼い時代を豊かに過ごすインフラとしての公園をもう一度考えようという試みです。

 まずはじめに三名のパネリストから話題提供がありました。

 最初は札幌市みどりの管理課の新谷係長さんで、これまでの札幌市の公園整備の取り組みについて説明してくれました。

 札幌市は昭和50年代に公園百カ所作戦として年間に児童公園を百カ所つくる事業を強力に展開しました。公園建設というハード整備だけではなく、冒険広場事業やなかよし子供館での公園利用、新一年生お母さんの集いなどの先進的な取り組みが行われました。

 平成5年から古くなった施設を作り直す公園再整備事業をはじめましたが、今では20年以上経過した遊具が70%にもなり、予算も限界があり遊具の削減を検討しなくてはならない時代となったと嘆きます。

      ◆ 


 次の話題提供は、大人たちの見守りの下でかなりワイルドで自由な遊びを行えるプレイパークについてで、発表者は札幌市公園緑化協会の金由貴子さん。

 プレイパークは、世界で最初に1943年にデンマークで始まったものだそうで日本でも神奈川県や東京に様々な先進事例があります。

 火も使えたり地面を掘って泥遊びをするなど子供たちのやりたい放題を年上の学生や大人たちが見守ったりサポートしたりします。

 札幌市も平成23年に助成金を交付してプレーパーク推進事業でモデル的プレイパークを実施してきましたが、今年度から助成金を廃止して、中間支援組織の役割を緑化協会が担い始めたとのこと。
 
 22年度まで自主的にプレイパークを行っていたのは4団体だったのが、いまでは12団体に上るのだそうです。

 今はいつ行っても自由に遊べるような常設型のプレイパークはなくて、イベント的に公園を移動しながら行っているそうですが、関わる大人たちも、そのくらいなら付き合えるというような関係だそうです。

 実際に運営してゆく上では、行政の支援と地域の応援が欠かせないと金さんは経験談を語ります。


        ◆

 
 話題提供の最後は千葉大学の木下教授でテーマは『遊びと学びの自然・緑の環境を都市の中に』というもの。
 
 子供たちの遊び場に自然を取り入れようと言うと、部外者からは「自然が足りないと子供が育たないという研究結果や証拠はあるのか?」と言われたそう。このことは世間の常識としてはまだまだ認知されていないようです。

 リチャード・ルーブさんという方が「あなたの子供には自然が足りない」という自然欠乏症"nature deficit"の子供たちについての本を書かれて話題になっていても、です。
 
 東北では今公園が仮設住宅の敷地になり子供たちの遊び場がなくなってしまっています。

 そこで最初に気仙沼でプレイパークが始まり、今では40か所くらいのプレイパークができているとのこと。子供たちの成長を見守る地域の力がまだまだありますね。

 ユニセフには「子供にやさしいまち」というプログラムがあるのだそうですが、ドイツでは子供にやさしいと掲げたら子供が増えた、ここへ来ると子供を産みたくなるというマチがあるそうです。

 日本も少子化に手を打たなくてはならないというならば、子供に優しいまちづくりをすべきです。 


  【なんと柿泥棒ごっこ】


         ◆   ◆   ◆


 シンポジウムでは、北海道科学大学の椎野先生のコーディネーター、札幌市公園緑化協会の浅川先生によるコメンテーターという形で、これらの話題提供を受けてさらに話を膨らませました。

 
(椎野)冒険広場事業はもう札幌市ではやらないのですか?

(新谷)この事業は昭和59年にはもうほとんど残っていませんでした。滝野公園では管理された遊具がありますが、ああいうものをみていると、管理する人がいるとうまくいくなと思います。
 しかしお金はかかっても子供の喜びを見たいものです。大きな公園は指定管理者が入って管理していますが、そこでの実施事業でやっていただくとか、プレイパークをきっかけにして広がりが生み出されれば行政も動きやすくなるのではないかと期待します。

 
(椎野)金さん、プレイパークでは子供が遊具も場所から作る、子供が高校生になっても関わってくるということに驚きます。大人や若者、高齢者が加わると面白くなると思いました。
 プレイパークは移動型というかイベントとして行われているようですが常設にするための条件は何でしょうか。

(金)常設を目指す団体も札幌にはあるのですが、地域の人だけが常設を目指している所もあります。西岡の公園ではお母さんたちも年に何度かやれば十分という人が多く、常設となるとお母さんたちだけではやれないし行政のサポートが必要だと思います。


(椎野)プレイパークではこれ以上はやめてくださいといった制限はあるのですか。

(金)公園によりますね。出張イベントだと一回だけなので、土木センターと打ち合わせると「火はダメ、泥はダメ、水はダメ」と言われてしまいます(笑)。でもそんな中でできることを見つけながらやってみています。


(椎野)世田谷などの先進事例がうまくいった理由は何でしょうか。

(木下)地域で運営の組織を立ち上げるというところは頼もしいですね。地域で責任を持って引き受けるということでしょうか。
 公園の管理者が役人的に言うと、「原則は原状復帰ですね」ということになり、手作りの遊具などできません。
 話し合いの中で地域の組織が出来上がっていて、責任は引き受けるということならやれるのだと思います。
 「自分の責任で遊ぶ」というモットーを、子供にも親にも理解してもらうのです。事故がないわけではありませんが、事故の情報を共有して次に備えるという信頼で成り立っているのです。


(椎野)信頼関係の構築に成功したからということですか。

(木下)実は密集市街地で行おうとしたら騒音などがあって町内会とぶつかってしまって結局は成功しませんでした。なので町内会の意向でブランコ、滑り台などのごく普通の遊具を作ったら全く活力のない公園になってしまいました(笑)


(椎野)管理する側から見ると現状を変えたくないということなのでしょうか。

(木下)公園は不特定多数の人が使うものなので常に安全が求められます。逆に行政が甘く考えると管理瑕疵が問われることもあります。
 プレイパークを成功させようと思うと、地域は行政との信頼関係を作ることです。得体のしれない団体が火を使うということになれば、どんなことをされるかわからないので「お断り」ということになる。会との信頼関係ができればそれらはクリアされるでしょう。


(椎野)浅川先生はいかがですか? 特にこどもの冬あそびについて。

(浅川)夏と冬の真っ盛りはそれなりの遊びがあるのですが、北海道の場合はその中間のグレーシーズンの外遊びにハンデがあります。

 外で遊んでいる子供たちを調査すると、彼らは「もっと遊びたい」と言うんです。しかし外に出ていなくて内にこもる子供たちが出てくるということは少ないのです。そしてそれは親の影響が大きいですね。親が子供を積極的に外で遊ばせたいと思うかどうかが鍵になるでしょう。
 そして子供を外で遊ばせなくて平気な親は、子供時代にちゃんと冬に遊んでいない傾向があるんです。まずは大人が楽しく遊んで親になるというのが良いと思います。

 
(木下)昔は子供からアンケートを取るのも簡単でしたが、今はそんな子供がいません。子供たちが一番遊ぶ場所は室内ということで、文明が進化すると子供の遊び場は衰退するというのは皮肉なことですが実は先進国に共通しています。


        ◆  


 ずっとシンポジウムを聞いていて心に強く残ったのは、木下先生が言った一言。

「良い公園を作ろうと思ったら"子供代理人"を置くんです」

 公園づくりにアンケートなどで子供の意見を聞くということはよくあるのですが、ともするとそれは生の声をそのまま記載して、あとは多くの声を総合したプランになりがち。

 子供の声や意見を聞いて、それを理解し斟酌・解釈して大人たちや行政に対してある種の地域コーディネーターとして「子供たちはこういうことを言っている」という"子供代理人"という発想はとても考えさせられる単語でした。

 そうして子供たちの声を単なる公園づくりにとどまらずソフトの充実やもっと広いまちづくりにまで提言して予算や事業として実現させるような地域の声の発信者、それが"子供代理人"というわけです。
 
 それは行政マンでも良いのですが、公園のコンサルタントや学校の先生でも良いかもしれません。

 子供の育成に主眼を置いた行政に転換してゆかなくては少子化を反転させることはできません。その具体的なシステムとして子供の声を行政に反映させるような地域コーディネーターとしての"子供代理人"という単語に強く惹かれました。

 知恵も悩みも現場にあるものをいかに伝えるかというテーマへの一つの回答のように思います。

 関係者の皆様、お疲れ様でした。

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