蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

懐かしのジョン・レノン

2006年10月01日 | 安曇野を離れて
ブログ違反のような古い話題ですが、9月20日、ジョン・レノンミュージアムに行ってきた
9月の墓参ついでである
品川発2時の新幹線に老母を放り込み、その足でむかった。結局3時半から閉館間際6時まで滞在してしまった。

2000年にオープン、大成建設株式会社による文化事業だそうだ。さいたま新都心なんてへんな名前をつけて街造りをした中の、さいたまアリーナの4・5階です。
オノ・ヨーコさんの意向も相当込められているだろうと思わせる白を基調のハイセンスな構成でした。私自身はビートルズの後半からのファンです。イギリスはとんでもないグループ(外貨を稼ぐ玉手箱と女王は大喜び)を生んだもんだと、ほとほと感心したのを記憶している。
 館内ロビーの大きなタペストリーのような写真
展示場は当然撮影禁止。ビデオによる人生の紹介、高さ4メートルはあろうかという写真がずら~り。白いピアノを配した部屋は、ちょうどその部屋に私がいるような構成になっている。愛用の眼鏡はもちろんクレジットカードまで展示されていました。
軽井沢へお忍びで何回か滞在しており、寛ぐ家族写真と当時着用の服が展示してありました。万平ホテル、コーヒーショップ、フランスベーカリー・・・・ほほほ軽井沢へいつか行ってみようとミーハーはほくそえむ。

時代は降りて、交響楽団がバロック風にアレンジしたレコードを聴く頃には、後世に残るミュージシャンだなと確信した。そしてわが夫の誕生日と同じ12月8日、銃弾に倒れる
またまた時代は下って、2002年7月ビートルズの生まれ育ったリバプールへ旅立つ
しかも航空会社のマイレージで・・・
写真左:ビートルズ・グッズで溢れたショップ入口
写真右:世に出る前に演奏していた有名なキャバーンクラブ

ありがちな地方都市とでもいうか、有名なわりには人口の少ない静かな街でした。
アビー・ロードは歩いたか?って  モチロン

そしてイマジンへ、今では教科書にもとりあげられ、熱烈なファンの追っかけサイトも種々ある
売店には青いハンドタオル
 こちらが先行販売だと思うけど

余談
世界中に似た人は3人いるといわれる
ジョン・レノンに似た日本人を二人知っている。一人は次男の学生時代の知人の彼。もう一人は私の仕事時代の若い友人である彼女。不思議だ

おまけ
鉄道でリバプールへ入り船でマン島へ。ここは知る人ぞ知る、オートバイが地元の公道を走り抜けるレースで有名です。HONDAの伝説が生まれ、世界の税金がここへ回避され、ミニ鉄道が走る小さな島です。いつか時間をつくってインドやモロッコのように旅行記録を書いて懐かしもう・・・・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする