松本市制100周年記念事業
信州の山岳ガイドと行く『100周年に100名山に登ろう』
6コースの第2回目は7月13日14日常念岳
信じられますか?里から眺めては感嘆し写真を撮ってるだけだったのに・・・・・
せっかく毎日見える山だから燕岳に登ろうと決心し、春から里山歩きを始めたばかりなのに・・・
なんと無謀な!------------でも登ってしまった
↓2007年4月15日掲載の桜と常念岳
蛇足だけど、今は雪は筋にみえるくらいだよ
午前7時30分集合
スタッフ6人 参加者22名。女性がやや多い
分乗して歩き始め場所まで移動。昨年の土砂崩れ復旧作業現場の横だ。
標高1260メートル一の沢登山口から山へ入る。9時スタート
ベテランガイドFさんが私たちのリーダー。
私は山歩きに慣れていないこと、歩行に安定感がないことなどを告げて指示を受ける。やや蟹股歩きが安定する、ゆっくりで良いこと、呼吸法等を教わる
■ちょっとここで寄り道
高山病にかからない呼吸法とは、息を吸う吐くを左右の足移動とあわせる。
踏ん張りを右足にするなら、左足を着地する時は息を吸い右足を着地する時は大きく吐くのがコツ。
おかげで頭痛や吐き気もなく楽しく食事もいただきぐっすり眠れた
さて先を急ごう
■当分写真はなし。事務局の方(登山学校のスタッフが当たっている)から「あなたは写真を撮らないように」と言われた。たぶん安定感が悪いのにアングルを決めたり、夢中になるクセがあるからだろう。まッ事故防止でしょう。二度と来ないかもしれないのにと残念だったがとりあえず守った。
小さな鳥居がある「山の神」に無事を祈り通過
「王滝ベンチ」1500メートル付近通過
いくつかの丸木橋があるが、長い丸木橋には手すりロープがあり、やれやれ。
足元ばかり見て歩いていたので花や景色を見る余裕がなかった。急に涼しくなったと感じたら
「笠原沢」1700メートル11時頃に到着。ここまでの標高差440メートル、まだ大丈夫だ。
■ここで約束を破り
美しい水流をみていると、安曇野を潤す田やワサビ田の湧水群になり代わり感謝する
斜面の残雪・新緑と濃緑・遠くの霧の四重奏
その後「胸突八丁(胸に迫ってくるような急斜面をふうふう言いながら登る場所)」から急登となる
そして「最後の水場」たぶんここらあたりで2000メートルを越えたと思う。美ヶ原の標高を越えたのだ。
ここから常念小屋2466メートルまで最後のガンバリ。午後2時半頃だったか突然開けて小屋が近いことを知る
右:ドコモのアンテナ。これは付近の山を含めてどれだけの貢献をしているやらと想像する
常念小屋正面
1919年開設の北アルプスで一番古い山小屋です
多くの登山者を迎えては送り出した老舗小屋は、台風の影響でキャンセルも多かったのでは?
殆ど貸切状態
荷物を置き、今日のうちに頂上を目指すことになった。
明日では台風の影響をうけるだろうし、せっかくここまで来たのだからと責任者の判断でした。あと400メートル上るのかぁ。
しかし岩ばかりで怖かった。まっすぐ立って登れない。そのため這って岩登りをしているようだ。登山者はこうまでして山頂につきたいのか?と恨めしかった。小屋までにしておけばよかった、来るんじゃなかったと後悔の連続。
やっと到着。標識の周りは石だらけ。周りの山々が見えればもっと感動したのだろうが、達成感はGood!
左:記念写真や証拠写真撮影でなかなか順番が来ない。やっと最後にパチリ
右:祠の周りも石だらけで、怖くてこれ以上離れて撮影できない。とほほ
■山の自然環境を壊さない努力
トイレと各ドアの貼り紙
玄関奥にトイレチップの募金箱が設置されていたが、入れる人は少ないようだ。
例えば1泊で一人3回利用して300円、例えばひと夏2,000人としても60万円の寄付になります。国や県の支援をうけているといっても、その設備費維持費は大変だと想像できる。日本人は寄付の習慣が薄く、宿泊費を払っているんだからということだろうか。
『山の美化のため』の募金箱の貼り紙
「し尿処理施設」「雑排水処理」「自然にやさしい焼却炉」「登山道補修・清掃」
近いうちに環境税導入もありうるかもね
翌朝、部屋の窓から初めて頂上と稜線が見えた。ふ~んというか、
岩ばかりの頂上がこんな風に見えるんだ、と
そっけないほどの感慨しかなかった
よほど岩登りがしんどかったのだろうか。登山は私には向いてないのかもしれない。遅れては悪いなと必死に歩かねばならない、もともと団体行動が苦手な性格も災いしているかもしれない。
里からもう一度山を仰げば、またひとしおかもしれないが・・・・
そして
左:窓から槍ケ岳も見えました 右:小屋の正面玄関の上にも
中央の薄黒い影は穂高岳
■花はたくさんありましたが、全部覚えられないので気になったものだけ
紅サラサドウダン。房は少ないが、各花の大きさは里で見るより大きい。散ったあとかも?
左:コバイケイソウ 右:コイワカガミ。葉が大文字草に似て、表面が光っている
コバイケイソウは毎年咲くとはかぎらない
ガイドFさんは群生を見つけ「今年は大当たり~来年は望めない」と興奮気味に撮影していました
そして興味深い樹の話も聞きました
下山路で樹齢130年と記した大きな切り株発見(帰りはやや余裕があった)直径40センチくらいだったか?
切り口爽やかなシラビソの年輪、イメージわかない絵。写真を撮りたかった
シラビソ(ヒノキ科は間違い→マツ科に訂正)という日本特産の常緑針葉樹で、古くなったり大風で倒れたりすると、そのすぐ近くに稚樹が芽吹いているという。つまり淘汰され倒れたり伐採された樹が「縞枯れ」現象を起こすそうです。うまく説明できないので樹の個性を知るの~シラビソを拝借しました。
余談
登山道が整備されているので感心する。7月上旬に常念登山案内人組合のメンバーや山岳ガイドさんたちが、倒木の除去・伐採・草刈り・道なおし・橋の補修などをしてくださり、我々は安心して登れるんです。
おまけ1
今朝はからだの節々が痛い。立ち居振舞いの度に「う~」
もうすぐ一の沢(ここらは気の抜けるところらしい)という標識の後で、濡れた小さい丸太橋で滑り尻もちをついたので尾骶骨が少々痛い。
これが岩ゴロでとがった石に尻もちを~~~、あぁクワバラクワバラ
おまけ2
せっかく登ったので記念に半袖Tシャツを購入。そして登頂記念に頂いた冊子や手ぬぐいや焼印の通行手形(?)
もう一度登頂の機会は訪れないかも・・・・
やったぜい!スタッフや仲間に助けられ標高2857メートルに立った
荻原碌山が眺めた常念、欧米留学中もふるさとの山を想った常念岳。
「常念を見よ」と臼井吉見の通った学校の校長先生が口癖だったという。
何があってもくじけるな、この山のように気高くあれと常念岳は諭しているのかもしれない。
全国何処へいってもきっと郷土が誇る山があるのだろう。大切にしたい
初志貫徹なら燕岳2762メートルが待っている。さてどうしたものか?
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信州の山岳ガイドと行く『100周年に100名山に登ろう』
6コースの第2回目は7月13日14日常念岳
信じられますか?里から眺めては感嘆し写真を撮ってるだけだったのに・・・・・
せっかく毎日見える山だから燕岳に登ろうと決心し、春から里山歩きを始めたばかりなのに・・・
なんと無謀な!------------でも登ってしまった
↓2007年4月15日掲載の桜と常念岳
蛇足だけど、今は雪は筋にみえるくらいだよ
午前7時30分集合
スタッフ6人 参加者22名。女性がやや多い
分乗して歩き始め場所まで移動。昨年の土砂崩れ復旧作業現場の横だ。
標高1260メートル一の沢登山口から山へ入る。9時スタート
ベテランガイドFさんが私たちのリーダー。
私は山歩きに慣れていないこと、歩行に安定感がないことなどを告げて指示を受ける。やや蟹股歩きが安定する、ゆっくりで良いこと、呼吸法等を教わる
■ちょっとここで寄り道
高山病にかからない呼吸法とは、息を吸う吐くを左右の足移動とあわせる。
踏ん張りを右足にするなら、左足を着地する時は息を吸い右足を着地する時は大きく吐くのがコツ。
おかげで頭痛や吐き気もなく楽しく食事もいただきぐっすり眠れた
さて先を急ごう
■当分写真はなし。事務局の方(登山学校のスタッフが当たっている)から「あなたは写真を撮らないように」と言われた。たぶん安定感が悪いのにアングルを決めたり、夢中になるクセがあるからだろう。まッ事故防止でしょう。二度と来ないかもしれないのにと残念だったがとりあえず守った。
小さな鳥居がある「山の神」に無事を祈り通過
「王滝ベンチ」1500メートル付近通過
いくつかの丸木橋があるが、長い丸木橋には手すりロープがあり、やれやれ。
足元ばかり見て歩いていたので花や景色を見る余裕がなかった。急に涼しくなったと感じたら
「笠原沢」1700メートル11時頃に到着。ここまでの標高差440メートル、まだ大丈夫だ。
■ここで約束を破り
美しい水流をみていると、安曇野を潤す田やワサビ田の湧水群になり代わり感謝する
斜面の残雪・新緑と濃緑・遠くの霧の四重奏
その後「胸突八丁(胸に迫ってくるような急斜面をふうふう言いながら登る場所)」から急登となる
そして「最後の水場」たぶんここらあたりで2000メートルを越えたと思う。美ヶ原の標高を越えたのだ。
ここから常念小屋2466メートルまで最後のガンバリ。午後2時半頃だったか突然開けて小屋が近いことを知る
右:ドコモのアンテナ。これは付近の山を含めてどれだけの貢献をしているやらと想像する
常念小屋正面
1919年開設の北アルプスで一番古い山小屋です
多くの登山者を迎えては送り出した老舗小屋は、台風の影響でキャンセルも多かったのでは?
殆ど貸切状態
荷物を置き、今日のうちに頂上を目指すことになった。
明日では台風の影響をうけるだろうし、せっかくここまで来たのだからと責任者の判断でした。あと400メートル上るのかぁ。
しかし岩ばかりで怖かった。まっすぐ立って登れない。そのため這って岩登りをしているようだ。登山者はこうまでして山頂につきたいのか?と恨めしかった。小屋までにしておけばよかった、来るんじゃなかったと後悔の連続。
やっと到着。標識の周りは石だらけ。周りの山々が見えればもっと感動したのだろうが、達成感はGood!
左:記念写真や証拠写真撮影でなかなか順番が来ない。やっと最後にパチリ
右:祠の周りも石だらけで、怖くてこれ以上離れて撮影できない。とほほ
■山の自然環境を壊さない努力
トイレと各ドアの貼り紙
玄関奥にトイレチップの募金箱が設置されていたが、入れる人は少ないようだ。
例えば1泊で一人3回利用して300円、例えばひと夏2,000人としても60万円の寄付になります。国や県の支援をうけているといっても、その設備費維持費は大変だと想像できる。日本人は寄付の習慣が薄く、宿泊費を払っているんだからということだろうか。
『山の美化のため』の募金箱の貼り紙
「し尿処理施設」「雑排水処理」「自然にやさしい焼却炉」「登山道補修・清掃」
近いうちに環境税導入もありうるかもね
翌朝、部屋の窓から初めて頂上と稜線が見えた。ふ~んというか、
岩ばかりの頂上がこんな風に見えるんだ、と
そっけないほどの感慨しかなかった
よほど岩登りがしんどかったのだろうか。登山は私には向いてないのかもしれない。遅れては悪いなと必死に歩かねばならない、もともと団体行動が苦手な性格も災いしているかもしれない。
里からもう一度山を仰げば、またひとしおかもしれないが・・・・
そして
左:窓から槍ケ岳も見えました 右:小屋の正面玄関の上にも
中央の薄黒い影は穂高岳
■花はたくさんありましたが、全部覚えられないので気になったものだけ
紅サラサドウダン。房は少ないが、各花の大きさは里で見るより大きい。散ったあとかも?
左:コバイケイソウ 右:コイワカガミ。葉が大文字草に似て、表面が光っている
ガイドFさんは群生を見つけ「今年は大当たり~来年は望めない」と興奮気味に撮影していました
そして興味深い樹の話も聞きました
下山路で樹齢130年と記した大きな切り株発見(帰りはやや余裕があった)直径40センチくらいだったか?
切り口爽やかなシラビソの年輪、イメージわかない絵。写真を撮りたかった
シラビソ(ヒノキ科は間違い→マツ科に訂正)という日本特産の常緑針葉樹で、古くなったり大風で倒れたりすると、そのすぐ近くに稚樹が芽吹いているという。つまり淘汰され倒れたり伐採された樹が「縞枯れ」現象を起こすそうです。うまく説明できないので樹の個性を知るの~シラビソを拝借しました。
余談
登山道が整備されているので感心する。7月上旬に常念登山案内人組合のメンバーや山岳ガイドさんたちが、倒木の除去・伐採・草刈り・道なおし・橋の補修などをしてくださり、我々は安心して登れるんです。
おまけ1
今朝はからだの節々が痛い。立ち居振舞いの度に「う~」
もうすぐ一の沢(ここらは気の抜けるところらしい)という標識の後で、濡れた小さい丸太橋で滑り尻もちをついたので尾骶骨が少々痛い。
これが岩ゴロでとがった石に尻もちを~~~、あぁクワバラクワバラ
おまけ2
せっかく登ったので記念に半袖Tシャツを購入。そして登頂記念に頂いた冊子や手ぬぐいや焼印の通行手形(?)
もう一度登頂の機会は訪れないかも・・・・
やったぜい!スタッフや仲間に助けられ標高2857メートルに立った
荻原碌山が眺めた常念、欧米留学中もふるさとの山を想った常念岳。
「常念を見よ」と臼井吉見の通った学校の校長先生が口癖だったという。
何があってもくじけるな、この山のように気高くあれと常念岳は諭しているのかもしれない。
全国何処へいってもきっと郷土が誇る山があるのだろう。大切にしたい
初志貫徹なら燕岳2762メートルが待っている。さてどうしたものか?
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