ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

浦島太郎になった気分

2006年10月10日 08時07分52秒 | 思ったこと
 ヨメと2人で俺が子供の頃過ごした府中の街(東京都)を歩いてきた。京王線の府中駅を降り、まず農工大学に向かって歩く。三鷹まで自転車で行ったことはあるけどこの辺りが活動範囲の北限。農工大はカブト虫の居た雑木林くらいしか記憶にないがそれらしき林は見当たらず敷地内をぶらぶら歩いた。ベンチで一休みしていたら藪蚊が出てきたので退散。

 今度は降りた府中駅に向かって通ってた小学校を目指す。これは電車から何度か見てるのでまぁこんなもんかってところ。それにしても背の高い建物が増えた。昔は平屋か2階建ての家ばかりだったところに見上げるような集合住宅が幾棟も建っていた。以前は2階の窓から遠くが見えたけどもうそういう事は無さそうだ。そしてあまりの変り様に知ってる人がまだ住んでるのかなぁなんて期待は直ぐに消えた。

 そして住んでた所に向かう。そこに伊勢丹が出来たというのは知っていたが聞くと見るでは大違い。一目、宮町1丁目の神社前、全滅。ケヤキ並木や甲州街道は倍くらい広くなってるしで当然ながら昔の面影なんてのは全くまるでなし。以前あった商店も見当たらない。昔見た物が数えるほどしか見つけられない。見つかるのは喋らないケヤキの大木、朽ちて無くなった杉の大木、神社の狛犬や建物、そんなものばかり。

 都心も随分と変ったけど、これほど変った場所も少ないんじゃないのかなぁ。でも都市近郊の街ってのは皆こんな風に変わってしまったんだろうな。まだ老の域にはもう少しあるが、浦島太郎体験をしてしまった。せめて人間の一生の間は違いが分かる程度の変化でいて欲しい。

太い杉の木は無くなって、切り株の中から新しい杉が生えていた

 写真は大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)の境内で撮ったもの。かつて太い杉が生えていたがそれは無く、切り株の中に樹齢20~30年くらいの小さな杉が生えていた。当時の大木は健康そうだったけどどうして無くなったんだろう。
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老木の杖?

2006年10月10日 08時07分44秒 | 思ったこと
老木の枝に突っ支い棒@東京都府中市

 誰も世話をしない社内にあるレンタル観葉植物を見て植物虐待と感じた友達がいた。写真は府中のケヤキ並木にある大きなケヤキの中の1本。この木を見た時、それに近いものをふと感じた。しかしこの木、巨木ではあるがまだこんな姿になるのはちょっと早いって感じだ。

 街路樹や鎮守の森が無いような街は殺伐としてとても住む気になれないが、こうやって街の中に木が何本も残っているのは良い。建物は増えたけど思った以上にこの街には木が沢山あった。

 大きな木があると癒されるから何とかして木が枯れたり折れたりしないようにしてるわけだけど、木にとって今の環境は厳しい。近くにはずっと日が当らないんじゃないかという感じがする高層住宅の間に植えられた木もある。大きな道路の畳半畳の場所に植えられた木なんか気の毒だ。

 この写真の木が生まれたのは恐らく江戸時代。その頃はこの佐久と同じくらいかそれ以上に木や草が生えていたんだろう。木は何も考えたりしないだろうけど見る方は勝手に想像したり感じたりする。これき杖をついた老人にも見えるけど、病院の点滴チューブだらけの寝たきり老人とも重なる。この木は早く楽にしてくれと思ってるだろうか。それとももう一度復活を夢見てるだろうか。
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