オープニングのレコード盤のアップや、鎌倉のトンネルや蒸気機関車の中のイメージ・ショットなど監督の荒戸源次郎が30年前プロデュースした「ツィゴイネルワイゼン」を明らかに想起させる。わざわざトンネルの中で日本酒をウィスキー用のスキットルに移して飲むあたりも、同作のオープニングの引用がかっている。
前畑秀子のベルリン・オリンピック(1936)金メダル獲得の河西三省NHK アナの「前畑がんばれ」の連呼や、1941年12月7日の真珠湾攻撃などの臨時ニュースなどがラジオから流れても、主人公はまるっきり聞いておらず、大状況にまるで無関心。しかし、オリンピックに湧いている周囲の人間、ラジオの受信状態がやたら悪いのは隣に置いてある扇風機のせいだとわからないのが見ていても見えていないというのか、あたまから聴いてもいないのと五十歩百歩のようでなんとなく可笑しい。。
blue-radio.comで荒戸監督が自分でプロデュースする時と違って金の心配してないから遠慮せずに使ってますって語ってたけれど、撮影や美術(今村力)がずいぶん手がかかっていて、見ごたえあり。
生田斗真はいかにも女たちが引き付けられそうな甘さと影があって、適役。
これくらい酒を飲んでばかりいる映画も最近珍しい。飲んでいない時はモルヒネを打っているのだから、どうしようもない。アル中って汚いんですけどね。映画と離れるが、中島らもとか高田渡みたいに酒で寿命縮めた人をいまだにロマン化して見るきらいがあるのは、こまりもの。
「ワザ、ワザ」「生まれて、すみません」「選ばれてあることの恍惚と不安」(これはもとはヴェルレ-ヌだが)などなど、太宰流のアフォリズムが決め打ちで散りばめられている。ちらっと「かちかち山」の絵を小さな女の子が見ているシーンは、太宰の「御伽草子」からの引用だろう。太宰が好きで作っているのが窺われる。
(☆☆☆★★)