監督、ナレーター・足立正生
オーナー・佐々木守
製作・松田政男
撮影・野々村政行
音楽・高木元輝
音楽監修・相倉久人
編集・山田幸子 市村房子
音楽演奏・富樫雅彦
助監督・岩淵進
撮影助監督・山崎裕
といったスタッフによる1969年製作のドキュメンタリーということになるが、以上の名前はフィルムそのものにはまったく出てこない。
一時期のゴダールのように映画の私的所有自体を否定している新左翼的なラディカルな姿勢の表れということになるだろう。
連続射殺魔とは小説「無知の涙」でも有名な永山則夫のことで、後に何人殺せば死刑判決が出るかといった目安にもなったし(1997年死刑執行)、作家協会が彼を作家として認めるかどうかでもめたのも話題になった。映画とすると新藤兼人監督が「裸の十九歳」でドラマとして描いている。
ドキュメンタリーとはいっても、永山の故郷に始まり、集団就職でフルーツパーラーに就職し、それから職を転々として、拳銃を手に入れ、殺人を起こし、逃亡し、といった足取りをひたすら風景の連続として描く。
本当に風景だけがえんえんと続くので退屈かと思ったら、今の日本と違うところと通じるところが交錯して意外なくらい刺激的。
馬車が何台も連なっている光景が現れるかと思うと、高度成長期らしくトラックがたくさん走り回っていたり、デパートがいかにも華やかに映るかと思うと、廃墟になった建物や人気のない田舎の街並みが荒涼とした姿をさらす。
寅さんと「喜劇深夜族」の二本立て上映している田舎の映画館の向かいにも任侠映画を上映している映画館があり、ロビーに指名手配犯のポスターが貼ってある。
不穏なフリージャズは若松孝二監督の諸作でも響いていたが、やはり若松の「17歳の風景」で殺人を犯した少年がひたすら自転車で東北の風景を走る姿だけを追い続けたのともつながってくるだろうし、中上健二の「十九歳の地図」とその映画化にも残響は響いていると考えていいだろう。
長野で自衛隊を志願し不採用というところで当時の自衛隊の実写が映り、旧国立競技場前(!)の自衛隊の車両の列がえんえんと連なっている光景など、もろに現在につながっている。
積まれた木材がまだ日本で林業が盛んだったことを伺わせる、各地の祭りをいくつも撮っているのが、華やかさの一方で今ではこういう共同体的なつながりがどこまで残っているのかを思わせ、時間感覚が終始伸び縮みする不思議な感覚は、これからも変容し続けるのだろう。
略称・連続射殺魔 (1969) - YouTube