映画自体がここで描かれる一種の小宇宙として自足していて、何かのために貢献するといったあり方とは別なのだろう。
三十年にわたって家から出ていない、というのはさすがに画面を見ていても話半分だが、画材の類はどうしたのだろう、業者が届けに来たのだろうか、と真面目に問うのはまあヤボだろう。
画を描く場面もないし、個展を催す場面もない。
インドの詩人ラビントラナート・タゴールが幼いときの映画監督サタジット・レイに贈った詩にこういうのがある。
私は広い世界を経巡り
山や川を見た
多くの金を費やし
遠い道を歩み
世のすべてのものを見た
けれども
私は忘れていた
私の家のすぐ外に
小さな草の葉に
一粒の露がやどって
そのくぼみに全世界を写し取っていたことを
この詩と世界の捉え方に共通するものがあると思える。
山崎努と樹木希林が芝居を極めて芝居を超えた虫か草木と紛れる存在になっている。
場内は年配客で意外なくらい埋まっていた。美術展の客層と共通している感。
「モリのいる場所」 公式ホームページ
「モリのいる場所」 - 映画.com
