つまり妻が生理中に隔離され不潔な布を使わなくてはいけない状況を見かねた夫が安価に使える生理用品を開発しようとするのだが、男がそんなものを作ろうとすること自体を周囲から白眼視され、親戚はともかく肝腎の妻までが恥ずかしくて堪らないと離れていってしまうところで第一部が終わる。
男が開発に成功するのは事実からしても初めからわかっていることで妻のもとに戻れてめでたしめでたしになるのかというと、微妙に違っている。
つまり第二部に入ってからもう一人のヒロインが登場し、自分で音楽をやるばかりでなく主人公を助けて事業化させビジネスパートナーとして腕をふるう都会的近代的な自立した女性として描かれる。
ずいぶん仲良くなってもプライベートなパートナーにはならないのだが、通常だったら妻の助けで事業に成功しました式の描き方をしそうなのを外して旧弊なしきたりと縁戚関係から逃れられない女性とそれらとほぼ縁を切った女性とに分けて描いている。
それだけインド内部の階層の隔絶というのはそう簡単に乗り越えられることではないのを示唆しているのかもしれない。
事業として大きくして多額のお金を動かせるようにした方が世の中をよくするのに根本的に大きな影響を与えられるのではないかという気もちょっとした。金持ちになったら堕落することも多いから、なんともいえないが。
国連での演説で、限られた英語のヴォキャブラリーの中からすこぶる豊かな表現を見せるのにちょっと「E.T.」を思い出した。
同じ演説の中で、エベレストに最初に登ったのは(ヒラリー卿ではなく)テンジンとさらっと言っているのはインドでは、あるいは国連的には常識なのだろうか。
「パッドマン 5億人の女性を救った男」 - 公式ホームページ
「パッドマン 5億人の女性を救った男」 - 映画.com