prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「デ・パルマ」

2019年01月07日 | 映画
コロンビア大学在学中に徴兵逃れのため同性愛で共産主義者を装って精神異常を主張したというからカウンターカルチャー時代よりちょっと前の時代色が出ている(デ・パルマは1940年生まれだから、ベビーブーム=団塊よりちょっと年上)。

サラ・ローレンス大学の後輩の後輩ウィリアム・フィンレーやジェニファー・ソルトを起用したり、南カリフォルニア大学つながりのルーカス、スピルバーグとの交友など、大学からみの人脈を役立てていることが多いのがわかる。

「悪魔のシスター」でバーナード・ハーマンに音楽を依頼する前に彼の「サイコ」などの曲をつけておいた版を見せたら「曲が聞こえないぞ」とかんかんになった。武満徹の「無音のラッシュを見ると私の耳にはたくさんの音が聞こえてきます、必要なのはその音を再現するのではなく削っていくことなのです」といった発言に通じるか。

「キャリー」のラストがジョン・ブアマンの「脱出」をヒントにしているというのは、やはりと思った。
スプリットスクリーンはもっと多かったのをカットした、違和感を持つ人が多いからだというが、実際クライマックスのプロムをぶち壊すところで画面が割れるのはアクションが盛り上がるのに水をさした感じはした。
「キャリー」のリメイクや舞台版で「私が回避した地雷を踏んでまわっているのを見るのはいい気分だ」というのは意地悪。

「スカーフェイス」は公開当時はオリジナルの「暗黒街の顔役」と比較されて不評だったが、ヒップホップで人気になり、サントラのヒップホップ版まで出るまでになり、さらにゲームでも人気が出て今では独自の評価と人気を得ている。

成人映画のスターだったアネット・ヘブンを「ボディ・ダブル」で使った時の周囲のあたらさまな差別意識というのが気になった。日本にも階級意識はあるだろうが、成人映画と一般映画の垣根は割と低いのではないか。

女性を撮るのも追いかけるのも好きというあたり、まあスケベ。

けっこう劇場未公開作が多い。大作の一方でプライベートな小品も作っていた、というより大作でもプライベートな要素は多いのだろう。

我々の時代は脚本と監督との関係は運命共同体だったがとデヴィッド・コープが降ろされたり別のところで復帰したりと、脚本家の扱いがぞんざいになってきた、かといって監督の力が強くなったわけでもなく、「スカーフェイス」とシドニー・ルメットが監督した「プリンス・オブ・シティ」の監督はそれぞれ逆に予定されていたというあたりのスタジオの判断のいい加減さを語っていることになるだろう。

特殊効果は便利だけれど、大量の陳腐な映像を生み出すことにもつながると語る。ホントその通り。

映画監督の仕事というのは、自分のミスを記録するのと一緒だというラスト近くのデ・パルマの言葉が印象的。



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