完全なミュージカルというよりミュージカル・ナンバーを心象風景として配置した音楽映画といった作り。
冒頭、アルコールや薬物の依存症者たちが輪になっているところにド派手なステージ衣装のエルトン・ジョンがやってきて自分の来し方を告白していくところから始まって本筋が展開した末に衣装(自分を隠す装飾でもあり仮面でもある)を脱ぎ終えたところで終わるわけだが、製作総指揮をつとめたエルトンとするとこの映画の製作自体が自分をさらけ出し告白する一種のセラピーになっていたということか。
父親に愛されない子供時代の記憶、同性愛に対する一般社会はおろか親や自分自身ですら抱えている偏見、などドラマというより歌、特に歌詞にこめて表現していると思しいので、やや日本語字幕では膜がかかったようになる。
エルトンが映画「トミー」で演じた「ピンボールの魔術師」を歌うシーンで歌詞の日本語訳が出なかったのはどういうわけだろう。エルトンの曲ではなくザ・フーのピート・タウンゼントの作だから、エルトンの心象からは外れるからか。
ミュージカル的な処理では対象にぴたっと寄り添った移動とカットが変わると時間や場所が飛躍するといった処理の多用で流麗なタッチを出した。