看取り士といっても馴染みがなくて、ホスピスや終末医療とどう違うのだろうと思っていたのだが、初めて榎木孝明の主人公が早死にした友人野墓参りで看取り士と会って興味を持つところでぽんと十年とんで当人が看取り士になって新人を受け入れるところになる。
普通、こういう馴染みのない世界を紹介する時は観客代行のキャラクターを立ててその目を通して見せていくことが多いし効果的でもあるのだが、そういう段階をとばしていきなり看取士たちのドラマになって、看取る側の立場から看取られる側を描くようなバランスになってしまう。
冒頭で看取り士は医療行為や身の回りの世話といった介護はしないが映画ではこの限りではないといった字幕が出るのだが、なおさらではどう違うのか、看取られる側で一人でもかまわないと思っている人は本当にいないのか、どういう事情で一人になったのか、家族がいても疎遠なのではないかなどなどいくらも事情やそこから発展するだろうドラマが考えられるので気になっていけない。看取られる側が主役になってそこからどう対応していくのか考えるのが本来の順序ではないか。