prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」

2019年09月29日 | 映画
果てしなく時間が引き伸ばされるような感覚。おおげさに言うと、プルーストが記憶の中の愛着のある部分をえんえんと言葉の限りを尽くして描写しついには前後関係も曖昧になって浮遊しているような時間感覚と通じるようなものを感じる。
愛着の対象は実際に体験したものではなく映画や想像から生まれた夢の中のアメリカ西部であり、それを定着するために映画にした観もある。

今までテレビでは出だしとラストの決闘くらいしか集中して見ていなかったのだが、ウッディ・ストロードがspecial guest starとタイトルで冠されているのにちょっとびっくり。オープニングだけしか出ていないのだが。

三人の男たちの要にクラウディア・カルディナーレがいるわけだが、男たちが通り過ぎていったという感じではなく、それぞれ違う車線を平行に走りながら交錯していって、最後に残ったにブロンソンとカルディナーレがおそらく過去と未来に別々の道を走っていく、といった構造。

オープニングに出てくる駅舎のオープンセットの床が枕木を敷き詰めて造られているらしいのに、開拓にあたって鉄道建設するのに使う枕木の一時的な置き場所を兼ねているのだろうかと思った。

長い長い待ちの時間はモリコーネの音楽が鳴りわたるまでのタメの時間でもあって、風車の軋みや足音など効果音の付け方の緻密さがおそらく修復でよくわかるのがありがたい。
ブロンソンの持っているハーモニカの使い方といい、先に音楽を作って撮影現場で流しながら撮るという(という話が、上映後の宇田川幸洋×江戸木純の対談で出る)以前にシナリオ段階でモリコーネの音楽を想定しているのだろう。「心中天網島」の武満徹のようにシナリオ段階で事実上参加していたのかもしれない。

ヘンリー・フォンダの悪役というのが異色なのだが、シルエットに見せる脚の長さや「荒野の決闘」で見せた花道を歩くような歩き方などの恰好の良さをちゃんと生かしている。

西部劇の聖地といえるグランド・キャニオンが映る。ユタ州とアリゾナ州でロケしたとエンドタイトルに出るが、スタジオはチネチッタで、マカロニでよく使ったスペインでもロケしているらしい。

工場みたいな所で東洋人おそらく中国人たちが働いているのがちょっと見える。西部開拓鉄道建設に中国人労働者が使われたのは有名だが、そちらのシーンでは東洋人っぽい姿はわからなかった。








9月28日のつぶやき

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