アニメーションでありながらドキュメンタリーでもある実験的な一編。
つまり描かれている出来事は実話に取材しているが、当人を映すと危険が及ぶという理由からアニメを採用したという。
日本ではこういう大人向けのアニメがおよそ作られていないという片淵須直監督の言は「FUNAN フナン」評でも紹介したが、アニメに限らずあらゆる媒体でそうなっていると思う。
ひどいボロ船に乗せられて海を渡り大きな客船に発見されてやれ嬉しやと思ったら客たちは写真撮るだけで助けてくれず、強制送還されてしまい、ボロボロの収容所(実写で映るが、トイレの汚いのなんの)に閉じ込められるという酷さ。
行進についていけない難民の老人を、足手まといだから殺してしまえばいいと平気で言い放つロシア人ブローカーや、モスクワにいた頃に警官が当然のようにカネをせびりカネがなければ腕時計で、女だったら体で払わせるというあたりの腐敗のひどさは今のウクライナ戦争でロシア兵の蛮行が伝えられる時期見るとなおさら生々しい。
先日閉店したロシアの第一号マクドナルド店の前でつかまるというのが偶然にせよアクチュアル。
これに性的マイノリティであることが重なり、それでも少しでもましな暮らしを求める一方で、つらい記憶に蓋をしがちなのを次第に話していく(それから同性パートナーの支え)など世界の今の問題そのもので、こういうアニメの作り方、使い方があるのかと思わせる。