よく指摘されるように火事で始まる3つのパートに分かれていて、それぞれが互いに隠された出来事を明るみに出していくという構成をとっている。
最初のパートだけ見ていると教師たちの無責任と「死んだような目」だけが目立つし、2番目のパートでは無責任に見えた若い男の教員にもそれなりの責任感があること、三番目のパートでは子供たちだけの世界で生まれ変わったわけではないがそれなりに生きている姿が描かれるという具合に、誰にも「それなりの」生活があることが主軸に描かれる。
描写の線としては「羅生門」式に互いにまったく矛盾していて相容れないのとは違うし、あれほど力みかえってもいない。良くも悪くも穏当ないし初めから相対的と言える。
田中裕子と子供が演奏する調子が外れているようないないような音楽がBGMとしてオフでかかる、曲として出来すぎない処理が印象的。