prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

7月16日(月)のつぶやき

2018年07月17日 | Weblog

「パンク侍、斬られて候」

2018年07月16日 | 映画
主人公がいきなり巡礼の父娘のうち父の方をまったく何の理由もなく斬り捨てる、という完全に「大菩薩峠」そのまんまのオープニング。
「大菩薩峠」の主人公の机龍之介がストーリーの展開につれ失明して仏教でいう無明の闇を彷徨う姿を作者の中里介山としては大真面目に宗教小説として描いていたつもりらしいが、本作もロックに通じるような宗教的な熱狂をふざけた形で宗教にありがちな臭みをあまり感じないようにアレンジしてはいるが通してみると意外と正面から描いている。

石井岳龍(聰亙)はもともとロックを映画にしたような「狂い咲きサンダーロード」「爆裂都市」からなぜかスピリチュアルな方向も目指しだして前の時代劇「五条霊戦記 GOJOE」でもそういう面がかなりあって正直どうも違和感があったが、ここに出てくる宗教集団?は腹振り党というあまりにナンセンスな集団なのであまりひっかからない。

「ええじゃないか」的なヤケっぱちというのか、ストーリーが進んだかと思うといきなりバックして、また進んだかと思うとバックするジクザクした展開がこの世界に論理や秩序といったものがおよそないのがわかるし、それは自然にスクリーンの外に地続きになっている。

パンク、というのがどういうものなのかよく知らないが、役者たち全員にとってもおそらく全部違っているだろう。
全員、まったく違う方法とアプローチでノリノリ。
浅野忠信など、最初誰だかわからなかった。エンドタイトルまで誰だかまったくわからないキャストもあるくらい。
(☆☆☆★★★)

「パンク侍、斬られて候」 公式ホームページ

「パンク侍、斬られて候」 - 映画.com

ホームページ

7月15日(日)のつぶやき

2018年07月16日 | Weblog
この時かわからないが、フェリーニ、ベルイマンの二大巨匠が映画祭で歩きながら話しているので、何を話しているのだろうとリヴ・ウルマンがついていって聞き耳を立てたら、女の悪口だったというエピソードがある。

「レディ・バード」

2018年07月15日 | 映画
イタい女性といってしまうと安くなるが、自分を持て余している若い女性の持て余している感覚がなんとも身についている感じ。

監督も主演も微妙な美人で共に演技者というのとも関係あるかもしれない。

公式ホームページ

「レディ・バード」 - 映画.com

ホームページ

7月14日(土)のつぶやき

2018年07月15日 | Weblog

「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」

2018年07月14日 | 映画
ウィンチェスターというのは、まさに「ウィンチェスター銃'73」の銃器メーカーのウィンチェスター。
銃で殺された人たちが霊となって屋敷に集まるという趣向は古くて新しい銃規制の問題とも絡んでくる。

屋敷は実在していて前にテレビで見た覚えがある。
やたらと意味不明の増築しているあたり、アウトサイダー・アートみたいでもあるけれど、ここでは作らせている屋敷の主であるサラ・ウィンチェスター(これまた実在の人物)のドラマとしてかなり理詰めに解き明かされる。

前半は幽霊屋敷で間を外しながら思わぬところから怪異現象の脅しをかける演出でひっぱるが、次第に精神科医が半ば探偵役(薬物中毒というあたり、ホームズみたい)として謎解きを交えて展開し、しかも医師自身のプライベートな過去が絡んでくるあたり、ちょっと「チェンジリング」を思わせるストーリー上の工夫がみられる。

雇人たちのキャスティングがなんともいえない肉食っぽい歯をした顔を並べていて、またそういう微妙に目立つ役者を膨らませて使うあたり、うまい。

ヘレン・ミレンの貫録と魔女がかった怖さをないまぜた芝居はさすが。
(☆☆☆★★)

「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」 公式ホームページ

「ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷」 - 映画.com

ホームページ

7月13日(金)のつぶやき

2018年07月14日 | Weblog

「君が君で君だ」

2018年07月13日 | 映画
ずいぶんキモい三人の男たちの話。
自分の名前を捨ててブラッド・ピット、坂本龍馬、尾崎豊になりきって「愛する」女性を「見守り続ける」って、終盤当然ながら一方的に見張られていた女性が激怒するのだが、それ以前に実質ストーカーそのもので独りよがりに過ぎて、三人ともイケメンなのにも関わらず気持ち悪くて困った。

三人のセレクション自体イタすぎて、作り手が気持ち悪さを意識していないとは思わないが、手持ちを多用し色味が強いカメラもあって、なんとも風通しが悪い。

「君が君で君だ」 公式ホームページ

「君が君で君だ」 - 映画.com

ホームページ

7月12日(木)のつぶやき その2

2018年07月13日 | Weblog

7月12日(木)のつぶやき その1

2018年07月13日 | Weblog

「チャリング・クロス街84番地」 劇団俳優座演劇研究所28・29期中間公演

2018年07月12日 | 舞台
実在したニューヨーク在住の女性作家ヘレン・ハンフと、ロンドンの古書店の店主フランク・P・ドエルとの手紙とのやりとりで構成されたエッセイの舞台化。

この二人は第二次大戦が終わってから20年以上にわたって膨大な量の手紙をやりとりし続けたのだが、生涯ついに一度も顔を合わせたことがないというのがドラマの肝になる。
そして本を通してそれこそ森羅万象にわたる話題がのぼる。固有名詞だけでも大変な量だし、引用の仕方がいちいち凝っていて、ストーリーらしいストーリーなどないが不思議と飽かせない。

舞台面を斜めに割って右手前はニューヨークのアパート、左奥は高めにしつられロンドンの古書店に見立てた装置で、二人がそれぞれ手紙の内容を読み上げていく情景が何十年にもわたってえんえんと続くのだが、ひとつの空間に同居しながら直接目を合わせたりは決してしないのが、直接会わなくても理解しあっているであろう(あるいは別に違っていても構わない)ニュアンスを出した。

アン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンス主演で映画化していたが、こういうコトバのやりとりはやはり生の舞台の方が力が出るし、リアリズムに縛られない強味も出た。

ヘレンがだんだん歳をとっていくのを一人の女優がメイクを変えて演じていたのかと思っていたのだが、カーテンコールで似た感じの女優さんが三人並んだのに面食らった。三人一役だったらしい。わがガチャ目に呆れる。同じメガネをかけて背丈が同じくらいだとわかりにくいものです。
考えてみると研究生でずうっと出ずっぱりというのはないだろうということになる。

舞台の床に散らばっている本を始まる前にちょっと見てみると、洋書ばかりでなく日本語の古い演劇の指導書が混ざっていたりした。

[作]ヘレン・ハンフ
[訳]江藤 淳
[演出・指導]堀越大史

7月11日(水)のつぶやき その2

2018年07月12日 | Weblog

7月11日(水)のつぶやき その1

2018年07月12日 | Weblog

「女と男の観覧車」

2018年07月11日 | 映画
俗な言い方でいう母娘ドンブリ、つまり母と娘が同じ男とできてしまう話で、二人が義理の仲で血がつながっていないのが辛うじて言い訳みたいだが、ずいぶんと生臭い。
監督脚本のウディ・アレンがミア・ファローと結婚していた時に連れ子の少女とデキてしまい、のちに結婚している実生活をほぼなぞっているあたり、ほとんど不気味。

これまでのアレンだったら語り口や撮影・美術・音楽といった意匠の見事さでそういう生々しさを中和していたのだが、年齢のせいなのか何か居直ったような、ラストの処理など「重罪と軽罪」以来というか、あれ以上かもしれないひやっとする感触。

ヴィットリオ・ストラーロの撮影は毎度ながら原色のカクテルの仕方が見事。長いことフィルムを使っていたアレンを説得してデジタルに切り替えたというが、いまどきフィルムにこだわるのはナンセンスとまで言っているらしい。
(☆☆☆★★)

「女と男の観覧車」 公式ホームページ

「女と男の観覧車」 - 映画.com

ホームページ

7月10日(火)のつぶやき

2018年07月11日 | Weblog