prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「選ばなかったみち」

2022年03月12日 | 映画
認知症になった父親を介護する娘という重い話。

途中から意識の映像化のカットや半ばイメージと化した回想らしきカットが交錯するようになるのだが、本質的に発展性や未来への見通しがあるモチーフがあるわけではないので、一種もっさりした感じになるのは避けられない。





「ナイル殺人事件」

2022年03月11日 | 映画
ミステリー特に本格推理の探偵はさまざまな性格づけをしていても、ゲームのキャラクターの設定に近いものがあって、ドラマの中で他と葛藤したり変化することはあまりない。
また、連続殺人は止められないのに事件の真相を解明したらすべてOKというのも考えてみると変なのだが、このあたりの矛盾にツッコミを入れた作り。

ドラマの中でも他の登場人物あるいは容疑者を尋問することに対する逆襲の形でどういう権限で人の殺人の動機になるような隠しておきたい部分を暴くのか、犯人ならともかく犯人ではないことの方が多いわけで、その暴かれた側の気持ちはどうなのかといった、名探偵がドラマに参加しないで済む特権みたい
なものを俎上に上げている。
ポワロのトレードマークであるピンとはねた口髭が彼の肉体的精神的傷を隠すためのものという設定からしてそう。

キャラクターに有色人種や性的マイノリティを入れているのも今風というか、約束事としてのミステリのゲーム性を破った作り。

しばしば左右対称の構図を多用しているのは、エジプトのヴィジュアルの核になっている王が死んだら女王も傍に葬られる像の並びになぞらえてだろう。作中で殺された遺体が白い布でぐるぐる巻きになって船から降ろされるのも同様。

ひたすら贅沢なオールスター娯楽トラベルミステリ大作だった78年度版の映画化、特にアンソニー・シェーファーの流麗な脚色とはずいぶんとテイストが違う。
あれは個々のキャラクターを端的な描写で描き分け、それぞれの犯行場面も空想で画面で再現して目くらましにしていた。
こちらは事件があってからそれぞれの動機を改めて描くみたいで座りはあまり良くない。

エジプトロケ効果も衣装・美術・撮影も贅沢には違いないのだが、単純にジャンル映画として楽しむのとは違う。





「ガガーリン」

2022年03月10日 | 映画
ガガーリン団地というのが実在したというのにまず驚く。
フランス共産党の「成果」としての公営住宅だそうだが、今やそこは「憎しみ」や「レ·ミゼラブル」のように荒廃と人種·民族間の断絶と対立の舞台になっているみたいなのが皮肉。

ここでの主役はアフリカ系の男の子とロマ(昔でいうジプシー)の女の子になるのが、典型的な民族間の差別と対立の構図になる。
団地からの排除の仕方がいかにも乱暴なのは国を問わないのがわかる。

それと人類初の宇宙飛行士であるガガーリンの名前をひっかけて、取り壊し中の団地に一人残り、外部から切り離された一個の小宇宙を作って生きているのがこの世界から離れて生きている象徴的な図になるリアリズムから飛躍した発想が優れている。
男の子が世界から孤立して生きている図であるとともに、地球が閉じた系であり他にありえないのとも重なる。

そういえば黒人の宇宙飛行士というのは誰がいたのかと思って調べたら、
60年代のジェミニ計画で選抜されたロバート·ヘンリー·ローレンスJR.が初だが、1967年12月8日に訓練中に事故死している。
1983年8月のスペースシャトル・チャレンジャーのSTS-8ミッションに搭乗した、ギオン・ブルーフォードが宇宙に行った初の黒人宇宙飛行士ということになる。
20年以上遅れた参加ということになる。









「シラノ」

2022年03月09日 | 映画
元の「シラノ・ド・ベルジュラック」では剣の名手にして詩人という文武両道に秀でていながら巨大な鼻をコンプレックスにしている男が主人公なわけだが、ここでは「ゲーム·オブ·スローンズ」で有名な小人症の俳優ピーター·ディングレイジがシラノを演じる。

大もとの原作はエドモン·ロスタンによる19世紀フランスの芝居だが、これをディングレイジの実生活の妻のエリカ·シュミットがミュージカルに脚色・プロデュース・演出してディングレイジが主演した2018年に上演した舞台が直接の原作ということになる。

巨大な鼻が容姿のコンプレックスという原作舞台はつけ鼻をつけて演じられるわけで、いかにも芝居っぽい設定だが、本物の小人症のディングレイジが演じるとなると、容姿の持つ意味はぐっとリアルで重くなる。
逆にそこに意義を見出だしたからディングレイジを主演に据えるというアイデアを実現したのだろう。

ストレートプレイのシラノはまず膨大な量の詩的な韻文のセリフをこなさなくてはいけないのが主演俳優の腕の見せ所なわけだが、ここではフランス語の響きの美しさに英語歌詞の歌が代わる。
ただ、正直言って一回聞いて歌いたくなるキャッチ―なメロディの歌というのはあまりなかったように思う。

ロクサーヌのヘイリー・ベネット は監督のジョー・ライトのこれまた実生活で夫婦で、こちらも夫婦の共同作業が入っているわけ。
クリスティンのケルビン・ハリソン・Jr. がアフリカ系というのも多様性の現れということになるのだろう。
どちらも古典的な美男美女イメージから離れているのは全体として反ルッキズむということになるのかもしれないが、映画自体の古典的なルックとは必ずしもうまく混ざっていないと思う。





「ドリームプラン」

2022年03月08日 | 映画
娘たちをテニスのトッププレイヤーにするという将来のプランを決めて、その通りに実行していく父親の実話なわけだが、星一徹と星飛雄馬のような葛藤が一向に現れないのは実際にそうだったのかわからないが、なんだか釈然としない。

早くからテニスだけの生活はさせず、学業もトップをキープすることで社会人としてのバランスをとらせるのはいいけれど、子供の将来を親が全面的に決めることに変わりはない。
結局、子供たちの側の意思がほぼ描かれていない、終始良い子で通していて、テニスプレイヤーとして成功したからいいのか、というのがどうもひっかかる。

コーチを頼んでおいて指導方針に従わなかったり(しかも無報酬)、ディズニーの「シンデレラ」を見せてその教訓を読み取れなかったらもう一度見せようとするとか、どう考えても相当変で困った人なのだけれど、どういうわけか(というか繰り返すが娘たちがテニスで成功したからか)許されてしまう。

ネタバレするが、クライマックスで良いところまで行くが惜敗するのが「ロッキー」みたいにやりきった感じがしないのは娘の独力した意思が描かれていないから。

なんか変な人を変だと認識しないで妙に肯定的に描いていて、エンドタイトルで実物が出てくるとますます本当に変な人だと思わせる。
これで感動しろというのかなあ、と、どうにも座りの悪い気分になった。

原題はKing Richard。実際にリチャードという名前なのだが、シェイクスピアのリチャード三世(あらゆる権謀術数を使ってのしあがるが結局破滅する王様)にひっかけてあるっぽい。
しかし暴君を暴君として見る目がすっぽ抜けている。





「日曜日は終わらない」

2022年03月07日 | 映画
NHK大阪のハイビジョンドラマとして1999年に製作された作品だが、ほぼ全編フィックス主体のワンシーンワンカットで、ほとんど引いたサイズ。
テレビ画面で見せるつもりがあったのだろうかと思わせるような撮り方。
なお、画面にフィルムチェンジ用の印が出るので、撮影はハイビジョンでもフィルム変換したものなのだろうか。
第53回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」正式招待作品 。

会社を人員整理で馘首になった男(水橋研二)が特に何をするでもなく風俗に行ったり、自転車に乗ったり、風俗嬢(林由美香)にプレゼントの下着を買ったりといった淡々を通り越してナンセンスに接近した情景が綴られる。
強盗や殺人?も描かれるのだが、すべてドラマチックのチックを排除した描き方。
脚本岩松了。

歳がよくわからない、28歳だと名乗って若く見えると言われるのだが、(水橋研二は出演時24歳)
屋上で覆面した女が、殺人を犯して服役したようなことを言うのだが、それにしては若すぎる。
またブランコに乗りながらそう言う女がワンカットの中でフレームアウトしてまたブランコがフレームインすると女の姿が消えているといった奇妙なシーンがあったりする。
カットの構成、俳優の動かし方、オフの音声の使い方など完成した技法。

冒頭、海の中を赤いふにゃふにゃした赤い物体がゆらゆらしているのでタコか何かと思ったら後で女性ものの下着なのがわかる。何度も出てくる黒い覆面に対応しているのだろう。
よくNHKで通ったなと思わせるところはある。
演出の高橋陽一郎はこの前に「水の中の八月」このあと「オードリー」とかを演出している。

上映した国立映画アーカイブは満席。めったに見られない作品だからだろう。




「オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体」

2022年03月06日 | 映画
死体を道具として使う情報戦で、ミンスミートというのは挽き肉という意味、つまり「挽き肉作戦」という、「ハンバーガー・ヒル」みたいに一歩間違えたらブラックユーモアになりそうなのをいともマジメな演出で良くも悪くも淡々と見せる。

目の前にあるひとつの死体が情報戦に失敗した時の無数の死体を暗示する構造ともとれるが、その死体の過去が捏造されること自体故人に対する非礼なのをこれまた良くも悪くもあまり強調していない。

情報部員の過半数が女性というのが実際そうなのかどうかわからないが、派手な荒事ならぬ静か過ぎるくらい静かな和事な作戦の感じを出した。

しかし何かというとヒトラーやナチをタイトルに使う邦題のセンスは感心しない。





「Ribbon」

2022年03月05日 | 映画
115分と割と長尺で、冒頭の美大に打ち捨てられている作品や情景の無人のカットの積み重ねがかなりゆっくりしたテンポなので、終わりまで見ていられるかなと不安になったが、そのテンポに慣れると「何もすることがなくなった」コロナ下の日常の時間感覚で統一されて飽きずに見通せた。

さまざまなリボンが宙を舞ったり蠢いたりするイメージが一種現代美術的な単一の意味に還元されない感覚を示す。
てっきりCGでまかなったのかと思ったら、おおむね実写を合成したらしい。
リボンというときれいきれいな印象が強いのだが、ここでの蠢き方は何だか虫か触手のような不気味なところがかなりある。

登場人物がごく少なくて、しかもソーシャルディスタンスを保って離れたまま会話しているのを全景で捉えた構図が多く、その距離感がどこかユーモラスで俳優としてののんさんの持ち味にもつながる。
ほとんど二人だけのやり取りをじっくり見せて、役者たちを生かすのにも配慮した演出。

終盤、美大生がおよそやりそうにないことをするのだが、創造的破壊かつ他者の作品との融合というかたちで再生する(初めの作品は正直面白味がなかった。
)のがタイトルをrebornとも読めるのにひっかけてあるわけね。




「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」

2022年03月04日 | 映画
ビリー⋅ホリデイを扱った映画としては、ダイアナ⋅ロス主演、シドニー⋅J⋅ヒューリー監督の「ビリー⋅ホリデイ物語」があったわけだが、あれがまず歌手としての面の再現が前に来て麻薬の面はややひっこめた作りだったのに対して、こちらは逆に歌はそれほど出さず、麻薬取締局が「奇妙な果実」(リンチで木に首を括られて吊るされた黒人の遺体のこと)で黒人差別を歌うビリーをひっくくろうと弾圧してくる話がメイン。

汚いやり口でビリーを貶め亡くなった後でも手錠をかけた取締局の長官がケネディ大統領に表彰されている実写がなんともグロテスク。
何度もリンチや差別そのものを禁止する法律が提出されても成立していないという字幕が典型的にアメリカの闇を示す。
警官はもちろん、アメリカでは官憲・体制そのものが黒人の敵というのがありありとわかる。

リンチで黒焦げになっている遺体を前に白人たちが平気な顔で並んでいる実写写真がショッキング。
ただ実をいうと本物のビリーの「奇妙な果実」や自伝に比べると、どうしても再現の域を出ない感は免れない。





「約束の宇宙(そら)」

2022年03月03日 | 映画
宇宙飛行士の話だと聞いていたので、開巻フランス語が聞こえてきたのに一瞬違和感があった。もちろん日本人宇宙飛行士だっているのだから不思議はないのだが。
訓練機にロシア語が書かれていたり、国際色豊かではあるのだが、ロシアの男の宇宙飛行士がいとも当たり前のようにオサワリするあたりなど、最先端科学の基地ではあっても意識全般が必ずしも「進んで」いるわけではないのがわかる。
考えてみると、世界初の女性宇宙飛行士といったらソ連のテレシコワだった。

さらに女性、しかもシングルマザーという点が大きくハードルというかガラスの天井になる。
小さな子供が会いに来るところでいちいち書類を出させるあたり、微妙にお役所体質を匂わせて可笑しい。

記者会見場で一見してインタビューの場のようにマイクを使って受け答えしていた母娘を切り返しで見せて、接近するとガラスで隔てられているのがわかるのが、クライマックスの打ち上げでもやはり隔てられているのにつながり、逆に二人の結びつきを印象づける。






「ルクス·エテルナ 永遠の光」

2022年03月02日 | 映画
「2001年宇宙の旅」のクライマックスで使われたジョルジ·リゲティ作曲の音楽のタイトルをつけているわけだが、クライマックスの光と色の洪水は劇場で見たらヒキツケ起こす人出てくるのではないかと心配になるレベル。

一部、「バリー・リンドン」で使われていたヘンデルのサラバンドのティンパニを主体にしたアレンジが流れるけれど、あれはやはりキューブリックにひっかけているのか。

上映時間が約50分と長編劇映画で公開するのには足りないが、これ以上長くすると見てられなくなるかもしれない。

ドライヤーやゴダール、ファスベンダーといった先達監督の抜粋を出すのになぜか、カール・Th、ジャン=リッュク、ライナー・Wという具合にファミリーネームを省略化している、と思ったらエンドタイトルでキャスト、スタッフの名前がファーストネームだけでファミリーネームが出てこない。
どういうことなのでしょうね。
正直あまり真面目に解釈しようとする気にはなれない。この監督ギャスパー・ノエ得意の一種のハッタリとケレンじゃないのかというのが正直なところ。

映画撮影の現場を描いた一種のバックステージものなのだが、これくらい険悪な現場が描かれるのは初めてではないか。
ベアトリス・ダルとシャルロット・ゲンズブールの二人が当人役で出てきて、だらだらしたおしゃべりがマルチスクリーンで続く。そこから次第に加速度がかかっていってクライマックスに至る計算は立っている。

ダルが監督役なので現実にも監督経験あるのかと思って調べたが今のところない。わざともっともらしいフィクションを持ち込んでいる。
ゲンズブールが相変わらずスレンダーで、言い方悪いが火炙りになるのが絵になる。





2022年2月に読んだ本

2022年03月01日 | 
読んだ本の数:13
読んだページ数:2642
ナイス数:1

読了日:02月28日 著者:村山斉




読了日:02月27日 著者:遠藤 周作





読了日:02月26日 著者:池上 彰





読了日:02月21日 著者:ちば あきお




読了日:02月19日 著者:池上彰,佐藤優





読了日:02月18日 著者:北中 正和





読了日:02月12日 著者:池上 彰





読了日:02月10日 著者:フィリップ ジャン,Philippe Djian





読了日:02月08日 著者:伊藤 彰彦





読了日:02月06日 著者:宮口幸治





読了日:02月06日 著者:村上もとか




読了日:02月05日 著者:ジョージ・チャキリス





読了日:02月02日 著者:山本直樹