あれ、と思ったのはホテルに泊まっている若いタイ・シェリダンを訪問したオスカー・アイザックがそのまま部屋の奥に入っていき、手前にいるシェリダンがそのままドアを閉めないでやりとりするので、なんでドアを閉めないのだろうと思っていたら、ちょっと後の車の中の会話でシェリダンがドアを閉めるのが怖いと言っているのを耳にしてやはり意味があるのかと思った。
さらにモーテルに泊まっているアイザックが殴り込みに出て行く時にドアを開けっ放しにしているのだ。閉じ込められることに対する恐怖というのがあるのか。
セリフの合間を縫うようにナレーションが入るところや、家具をシーツ類で包むところ(クリストかおまえは)の手つき、監禁されていることが同時に解放されていることにねじれてつながるあたり、ブレッソンの「抵抗」や「掏摸スリ」をいやでも想起させる。
アイザックはアブグレイブで虐待に加担したという設定だが、ことはアブグレイブだけにとどまらず人が人を虐待することされること一般としてある。
ラストのふたりの手がガラスを隔てて触れ合うカット、あまりに動かないのでストップモーションかなと思ったらわずかに動いているのには驚いた。