東日本大震災から1週間が経ちました。
亡くなられた方々の ご冥福をお祈りいたします。
ご遺族の皆さまには、心からお悔やみ申し上げます。
そして避難所でお暮らしの皆さまには、お見舞い申し上げます。
1週間、ブログをお休みしました。
被災者の心情を思うと、私のモチベーションも上がらず
ブログは自粛して、静かに祈りを捧げたいと思いました。
どんな写真をここに置いたところで、それは自己満足であって
被災者の悲しみや、絶望や、憤りを埋めることなど、微塵もできない。
それならば、私も黙して、被災者の痛みを思い、天に向かって祈ろう。
それしかできないと思っての ブログ休眠でした。
大地震、津波、余震、原発。 これでもか、これでもかと追い打ちをかける。
1週間で死者6539人、行方不明者は1万354人となった。(18日14時現在)
現場から伝わる情報に、胸がつぶれる。
無力な私に、今、何が出来るのかと、自問自答する。
変わらぬ日常を生きている自分に、罪悪感さえ覚える。
でも今日から私も、発信したいと思います。
またブログを再開させていただきます。 よろしくお願いいたします。
原発が安全なら東京に造ればいい、という議論があった。
だが東京には原発はできず、そのリスクは遠い地域に委ねてきた。
今、暴れる原発から逃げる人々がいる。
利便を享受してきた地域が進んで受け入れよう。
まして電力不足など我慢できる。
今日も寒い朝だった。 長い1週間が過ぎた。
気が付けば、東大寺のお水取りも終わっている。
被災地にも、いずれ春が来る。
3月18日 朝日新聞・夕刊 「素粒子」より
私が、東大寺二月堂・修二会に行ったのは、3月12日。
震災の翌日でした。
東大寺のお水取りは、毎年3月1日~3月14日まで開催されます。
ここは、東大寺二月堂。
これは、修二会(お水取り)に使う、篭松明です
練行衆が篭松明を持って、二月堂へと上がってゆく。
修二会が始まる前に、僧侶の方が、マイクでご挨拶されました。
私が過去に何度となく、この神事に参列して初めて、異例のお言葉です。
「今日、ここにお詣りくださった皆さま、震災に遭われた方々のために
どうか・・・どうか・・・お祈りしてあげてください。きっと届きます。」
二月堂・修二会は、752年(天平勝宝4年)に、始められて以来
一度も途絶えることなく、今日まで伝えられています。
1667年に、二月堂が火災で焼け落ちた時も、三月堂で行われ
物資難から、諸々の行事が中止せざるを得なかった
太平洋戦争の戦中戦後も、続けられた。
2011年3月で、1260年=1260回目を数える。
19時28分。 まもなく境内の照明が、全て消されます。
1本目のお松明(たいまつ)が、二月堂の舞台を駆け巡る。(撮影 三脚無し)
人々は、「天下泰平」 「万民豊楽」 「五穀豊穣」 を 願って祈りを捧げる。
そして・・・ 一刻も早い被災地の救済を 心から祈った。
奈良の都の春を告げる、東大寺二月堂・修二会。
お水取りが終わると、関西にも春が訪れる。
このお松明の炎に託された祈りが、被災地の皆さまに届くことを願って
今日のエントリーとさせていただきます。