曇、15度、83%
初めてパスポートを手にしたのは45年前のことです。福岡県庁海外渡航課というところに申請に行きました。当時は14歳のまだ子供が海外に行くのは珍しかった頃です。窓口の男性に海外渡航目的などを聞かれ、緊張した記憶があります。一ドルが360円、海外持ち出し上限金額もまだ少なかったと記憶しています。その時のパスポート、実家の整理の時見つけました。もちろん大事にとってあります。
昨日、香港の日本領事館に新しいパスポートをとりに行きました。10年目の更新です。古いパスポートをしまおうと箱を開けました。息子のパスポートが2冊、私の古いパスポートが3冊、主人のパスポートが10冊。
手元にある5冊のパスポートの自分の写真を見比べます。一人で大笑い。この4冊、香港と日本の往復、香港からインド、東南アジア、ヨーロッパへの往復に使いました。ヨーロッパはEU圏内での移動ではパスポートの入国の判を押してくれなくなったところもあります。パスポートの判をみる楽しみが減りました。昨年、香港から台北経由で日本に帰る時、福岡空港の閉鎖時間の兼ね合いで、止む終えず私と同じフライトの人は台北に泊まることになりました。この時びっくりしたのが、台湾に入国するのにパスポートコントロールを通らなかったことです。つまり私が台湾に入国した足跡は残っていません。もちろん翌日出国時にもパスポートコントロールはスルーしました。
一緒に箱から出て来た主人の10冊のパスポート、海外の出張が多い人です、10年のパスポートを作ってページを増刷してもらっても、10年未満で判子を捺す場所が無くなり更新します。主人の10冊のパスポートの重みは、取りも直さず我が家を支えてくれている主人の苦労と重なります。
いつかゆっくりとパスポートをめくってみようと思います。こんなに長居するとは思わずやって来た香港に来た日、体調を崩した母を思っての帰国、高校から日本に返した息子に会うため、母が亡くなったと知らせを受けて帰国した時、孫が無事産まれるようにと願い乗った飛行機、久しぶりのヨーロッパに胸弾ませたとき、私のパスポートからいろんな思いや記憶が甦って来ると思います。新しいパスポート、また新しい思いや思い出を載せてくれるはずです。そして、この菊の紋章をみる度、日本人であることを思います。