晴、27度、87%
昨日は母の5周忌でした。それに合わせて主人が戻って来ました。5年前、パーキンソン氏病を患っていた母は施設に預かっていただいて既に3年が過ぎようとしていました。パーキンソン氏病は生死に関わる病気ではありません。知らせを受けた時は唐突な心持ちでした。施設にお預けした頃から、いざの時のための心準備、実際どう行動するのかを幾度も考えていました。そして、葬儀は母の希望通り血縁である私と息子の二人で行いました。結婚以来主人と母との間にもわだかまりがありました。実の娘の私も母のことは子供の頃から好きではありませんでした。
母を送り、息子をが東京に戻り、一人諸手続きのために福岡に残りました。ちょうどこの家の改築の真っ最中で屋根と柱だけになった家を暑い中ぼーっと見ていた記憶があります。突然でしたから居なくなったという空虚な気持ちはありました。ところが悲しくはありませんでした。どちらかというと「やっと母に会わなくてよくなった。母の声を聞かなくてもういいんだ。」という安堵のようなものがありました。母が逝ってこの5年間、母のことを想って泣いたことはありません。普通の娘の感情ではありません。お骨をお寺に預けて、手続きを済ませて香港に戻りました。さすがに疲れました。
香港の家のドアを開けると、主人とモモさんが迎えてくれました。疲れが吹っ飛ぶ瞬間です。そして、驚いたことに50本もの白ユリが飾られていました。主人の母への手向けです。次の年もその次の年も母の命日に主人は白ユリを抱えて帰って来ました。母が白ユリを好きだったわけではありません。娘の私ですら母の好きな花を知りません。なのに、白ユリは母の命日の花になりました。
昨日は白ユリを1本、私が求めて来ました。仏壇のあった場所に花を手向けます。花を前に母は一体何の花が好きだったのかと思い出そうととします。この家に40年一人で住んで、庭の手入れをするでもなく、家の手入れをするでもなく生活していた母は、私にとっていまだに反面教師です。百合が緩やかに開き始めました。その様子を見て、母の命日の白ユリは私の心が解放された日の花だと思いました。
人には理解されない感情ですが、親の死が親からの解放を意味し安堵する者も世の中にはいます。これからも母の命日には白ユリを飾るつもりです。