チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

アスパラガスの炒飯の思い出

2020年06月04日 | 昨日のお昼ご飯

曇、22度、96%

 リーマンショク以前の香港では大きな中華レストランで結婚式やバンケットが行われていました。広い式場には円卓がたくさん並びます。もちろん料理は中華です。こういう大きな式典では料理に期待することはありません。中華のコース料理が次々に運ばれてきます。テーブルに従いている給仕係が運ばれて来た料理を見事に等分して取り皿に分けてくれます。料理は時には冷めていることもありました。美味しいとは言い難いコース料理もしばしばでした。でも中華のコース料理の流れを知るにはいい時間でした。リーマンショック後、大きな中華レストランは倒産しました。

 中華のコース料理の締めくくりは「ご飯物」と「「麺物」の両方です。ここに辿り着く前にすでにお腹いっぱいということもありますが、小さな茶碗に盛られた少量の「炒飯」には思わず手が伸びます。レンゲで三口も食べれば終わる量です。そして大きなバンケットでは手の込んだ「炒飯」は出てきません。具材は卵は必須、あとは微塵のお野菜です。彩りが良ければいいのです。

 ある時の最後の「炒飯」、卵炒飯に綺麗なまん丸い緑が混ざっただけのものでした。その緑のまん丸なものの正体がわかりません。一口食べても「?」お隣の方と「何でしょうね?」するとテーブル向こうから「アスパラガスじゃない?」とどなたかが言います。確かにアスパラガスが出回っている時期でした。ただ当時の香港のアスパラガスはほとんどアメリカからの輸入品で超高嶺の花でした。別の高級料理に使うアスパラは先の方だけ、残る茎の部分を薄切りにして筋を感じさせないで炒飯の緑に使ったものでした。つまり「始末炒飯」でした。レストランですら始末の良い料理が出てきました。冷凍のミックスベジタブルなどよりは好もしい「炒飯」でした。

 アスパラガスの季節を迎えました。気が付けば私の冷蔵庫にもアスパラガスの半分から下の茎だけが溜まって来ています。残り物のご飯と卵だけで「アスパラガス炒飯」を作りました。 この「炒飯」を作りながらあの頃のテーブルを囲んだ友人たちの顔が浮かびます。今だに付き合いのある人たちは30年以上になりました。ガヤガヤと広東語、英語、日本語が飛び交う中での食事は楽しく心温まる思い出です。

 アスパラガスの茎ですらほんのりと甘く、青臭さが残る「炒飯」です。私の冷蔵庫もすっかり始末よく片付きました。


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