晴れ、2度、72%
東京は、14日、15日の雪の名残が、まだここかしこにあります。北向きの屋根には、真っ白く残ったままの厚ぼったい雪すら見られます。昨日などは気温も上がりお天気がいいにも関わらず、道端に搔き上げられた雪は溶ける様子もありません。日本各地ですらこんな大雪は何年ぶりとのこと、まして、香港生活が長いこの私は、こんなに雪を見たのは30年ぶりくらいのことです。
晴れ渡る関東の空の下、そんな雪の残る景色を見ながら多摩川を超え、多摩丘陵の街へと向かいました。17日の午後、36時間の後にやっと産まれた初孫に会いに行くためです。
幾度かの陣痛を経験し、明け方の大雪が積もる中を病院に向かったこともあったそうです。お嫁さんのお父様、息子は、車を出すために雪かきをしたのだと聞きます。笑って、あの時は大変だったね、と言っていただけるのも、赤ちゃんの無事な出産のおかげです。
孫に会う、実のところまだ、お婆ちゃんになった実感などありません。お嫁さんのふっくらした笑顔に迎えられました。36時間の出産は、やはり、随分と堪えた様子です。一日目の新米のお母さんの彼女は、それでも、しっかり母親の顔に変わっています。彼女がおして部屋から出て来たコットの中の小さな赤ちゃん。初めまして、あこちゃん。
授乳の後でまだ目が覚めています。コッとを覗き込んだ私に、ホッと目元が笑っているようです。あこちゃん、ようこそ。
赤ちゃんお存在がこんなにも暖かなものだとは、恥ずかしい話、今さらのような感じです。36年前息子を産みました。8ヶ月の早産でした。息子は出産後すぐに救急車で、未熟児室のある広尾の日赤病院に運ばれました。息子に初めて会ったのは出産後4日目、私が入院している病院の先生にやっと外出許可をもらって、出かけたにも関わらず、ガラス越しにコットに眠る自分の子供を見ることしか許されませんでした。
私の出産後1週間の入院中、病室を尋ねて来てくれたのは主人だけでした。私たちは、両方の両親の反対を押し切っての結婚です。覚悟なんて、そんな立派なものも持ち合わせていません。ただ、この子を守るのは自分しかいないと、心に決めていたように覚えています。沢山の人に祝福されての出産ではありませんでした。まだ、息子が結婚する以前から、彼のお嫁さんには私が味わったような思いはさせてくない、そう思い続けてきました。
おかげさまで、お嫁さんの暖かなご家族にも囲まれています。仕事で香港を離れられない主人も、こうしてみんなが集まっている時に電話を入れてくれます。きっと、これが普通のこと、当たり前のことです。よかった、ほんとにこの一言だけが私の本音です。
お嫁さんが、そっとあこちゃんを私に渡してくれます。この重み、この暖かさ。
あこちゃん、お嫁さん、息子、お嫁さんのご家族、そして、主人に、ありがとう。この、36年間、私の心のどっかにあった硬いものが、やっと解きほぐされたようです。
高台の病院の窓から見えるのは、雑木林に残る雪景色です。あこちゃんを囲むその部屋は、不思議な温かさに包まれていました。あこちゃん、ようこそ。
息子夫婦の許可を得て写真を載せます。