チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

柳橋連合市場

2025年01月21日 | 日々のこと

曇、7度、70%

 主人が週末には香港から帰宅します。食卓にのせるものを探しに「柳橋連合市場」へ行きました。「福岡の台所」などと今は呼ばれているそうですが、古い古いアーケードのある市場です。昭和の初め頃から魚を近隣の料亭に入れる魚屋から始まったと父から聞いています。料亭が並ぶ中州に程近く、質の良い魚や野菜が並んでいます。魚屋が多いのですが、お茶を商う店や練り物、肉屋もあります。年末はお正月準備の市民も大勢通う市場です。コレという目当てのものはありません。何か主人の好みのものがあればとそんなに大きくもない市場を歩きました。

  この時期の「百合根」デパートの品より立派です。 「わさび」もいい品が入っています。 「練り物の天ぷら」お惣菜で買う人より「うどん屋」などに卸しているのかもしれません。 すぐに使えるようにカットされた野菜、「がめ煮」用です。「がめ煮」は「筑前煮」のことです。福岡ではお正月だけでなく年中作ります。 福岡ならではの「鯨の肉」の店です。

 お正月が明けてすでに20日を過ぎてますが、魚の並びが今ひとつです。「サヨリ」や「コハダ」はこの旬の魚です。長浜の「魚市場」に十分な水揚げがないかと疑うほど魚が少なく感じます。8年前帰国してすぐに幾度か通った時にも同じことを感じました。昔の勢いがなくなったのか?卸に専念しているのか?「料亭」の数も減っていると聞きます。少しがっかりして市場を去ろうと振り返りました。 昔ながらの今にも吹き飛ばされそうな古めかしい市場です。建物自体昔のままです。足元も暗く、こんなところで捌かれた魚を買う気にならないなぁ、などと思ってしまいます。観光客がたくさん、でも観光客は魚は買いません。デパートより立派なしかも高価な「白いイチゴ」を喜んで買っていました。

 立て替えて清潔感のある市場にしたらどうかしら?昭和の名残は懐かしさもあります。買うものもなく手ぶらで市場を後にして時代に沿うことの大切さを感じました。

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お餅交々

2025年01月20日 | お正月

晴、7度、81%

 子供の頃の冬のお留守番、この古くて暗い家に煉炭火鉢とお餅だけで親の帰りを待ちました。時代がそういう時代だったのですが、私にはいい思い出ではありません。お餅は「醤油砂糖」で食べました。大きくなって「醤油砂糖」のお餅を食べたことはありません。お留守番の記憶からでしょう。

 少し焦がしたお餅をそのままパクリ。野菜沢山のお味噌汁にお餅を入れて。きな粉餅、安倍川餅、この半月食べ続けました。少し飽きて来たらアレンジします。

 「XO醬」を焼いたお餅と合わせます。 頂き物のお餅は丸餅ですが、平たいので直ぐに柔らかくなります。ちぎったお餅に「XO醬」を絡めると、油と「貝柱」「干しエビ」の食感と共に止められない美味しさです。大事な「XO醬」です。食べ過ぎないよう要注意。

 「ピスタチオのふりかけ」をかけるとちょっと物足りない。そこで「黒七味」の登場。 写真は振り分けてかけていますが、食べる時は混ぜて頬張ります。もぐもぐ。「黒七味」がピスタチオの味陰から見え隠れ、摩訶不思議なお味です。お餅は色は白く、味もまっさらですから何でも受け止めるんだと気付きます。  「黒七味」は少なめに。

 自家製「デュカ」をふりかけました。 ごろごろと「くるみ」「カシューナッツ」が入っています。「クミン」や「コリアンダー」とお餅はどんな具合でしょう。お餅の柔らかさにナッツやつぶつぶの「コリアンダ」「クミン」が味や香りだけでなく歯応えをくれました。これもなかなかよし。

 ナッツの油脂分や「XO醬」のオイルが喉越しをよくしてくれます。毎年年末、お家でついた丸餅を頂戴します。ああ、残り2つになりました。今日はどうやって食べようか?正統派「きな粉餅」のつもりです。

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「その靴いいですね。」

2025年01月19日 | 日々のこと

晴、5度、80%

 昨日は晴れ。日中は暖かくなると予報です。時折訪れる「雑貨屋」があります。なにも買うものはありませんが、季節が変わると並ぶ品が変わります。見るだけでも楽しい。いつもは車で行って帰ってきます。その店から福岡の中心地「天神」までは洒落た店が多いらしい、ところが車で行くと路地の小さな店を探索することができません。この街に戻ってきてそろそろ8年です。車の道は覚えても路地裏は知らないままです。お天気の良さと温かさが「街歩き」に私を誘ってくれました。

 バスを使います。土曜日の昼前、バス停には私と同じ年頃の女性ばかりが待っていました。その中のお一人、とても目立つ服装をなさった人が私の方に寄って来ました。「その靴いいですね。」「どこで買ったの?」「おいくらぐらい?」と矢継ぎ早の聞かれます。歩くつもり、繁華街に出るので外出用のボアのライナーの「アグ」の靴を履いていました。 冬はもっぱらこの「アグ」の靴です。散歩の時は古い方、外出時にはちょっと可愛い「アグ」。温かなのが嬉しい。靴のことを褒めてくださっった女性とバスが来るまで立ち話、「靴フェチ」だとおっしゃいます。イッセイミヤケの「プリーツ」の上着、レオナールの大きな花柄のワンピース、77歳とおっしゃいますがよくお似合いです。私が「メガネ」を褒めると「メガネ」の話を延々。あっという間のバス待ち時間でした。

 目指す店で春らしい商品を見て、さあ、「天神」を目指して歩きます。韓国の観光客が地元の人より多いように感じます。新しくできたばかりの「チーズ専門店」を見つけたり、こんなところに!と驚きのいい魚が並んでいる「鮮魚店」を見つけたり。思ったより「天神」までは近いと知りました。

 「天神」でもいつもは行かないデパートの地下で食品チェック、普段とは違うコースです。お昼過ぎです。人の流れが多くなりました。さあ、お家に帰ろう。

 家の近く3キロ圏内はよく歩きます。バスに乗るのはほんとに久しぶりでした。「その靴いいですね」と声をかけてくださった方に「街歩き」の背中を押されたような楽しい時間でした。またこの靴を履いて「街歩き」に出かけましょう。

 

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1月17日はモモの誕生日

2025年01月18日 | もも

曇、6度、76%

 昨日1月17日、朝起きて、「なんの日だったかな?」と考えますが思い当たりません。17日というと我が家には3人誕生日の者がいます。月が違います。なにか引っかかるのにそのまま時間が過ぎました。昼前、Facebookを開くと一枚の写真が出てきました。 友人からの8年前の1月17日に送られてきたメッセージです。この写真は「モモ」ではありません。昨年末亡くなった「豪ちゃん」です。毎日毎日facebookで会っていた「豪ちゃん」から「モモ」へのお誕生日のメッセージ。「そうだった!モモの誕生日よ。」生きていれば21歳になっています。

 慌てて香港にいる主人に知らせました。このメッセージの2017年1月17日は「モモ」の最後の誕生日でした。まだ香港にいました。引っ越しの荷造りで家は段ボールが並んでいました。2月3日に5時間の飛行機で成田に着きました。翌4日は5時間の新幹線で福岡に着きました。そして4月29日に亡くなりました。短い日本での生活でした。「モモ」の誕生日だと知って「モモ」との出会いから亡くなるまでがぐっと私を巡ります。13年一緒に生活した日々が蘇りました。

 主人が「モモの写真を送ってください。」と言ってきました。2017年の1月17日は小さなケーキを前に座っています。見出し写真はその一年前、2016年1月17日、「モモ」12歳の誕生日です。ほらほら、いつものように座卓に上っています。座卓はもちろんテーブルの上にも上りました。「モモ」はこの家で13年過ごしました。

 「ごめんね、誕生日を忘れていたよ。」「豪ちゃん」のメッセージが教えてくれた「モモ」の誕生日でした。「豪ちゃん」ご夫婦は香港に「モモ」に会いにきてくださいました。私も「豪ちゃん」に会いに信州に出かけました。今では「豪ちゃん」も「モモ」もお空組。一緒に遊んでいるかな?

 歳をとると忘れることも必要です。思い出すことはもっと大事です。来年、また「モモ」の誕生日を私が忘れていてもきっと何らかの形で思い出させてくれると信じています。

 「モモ」お誕生日おめでとう。

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お汁粉

2025年01月17日 | おやつ

雨、5度、62%

 時折粉雪が舞う日のおやつ、温かい「お汁粉」もいいものです。焼き餅を浮かして「柚」の皮をのせます。小豆、お餅、「柚」の香りが湯気に漂います。 

 広東料理のコースを締めくくるデザート、よく「お汁粉」が登場しました。冬は温かく、夏は冷たい「お汁粉」です。日本の「お汁粉」のような甘さはありません。さらりとした味わいの奥に微かに香るものがあります。「はて?なにかな?」後になって知ったことですが、みかんの皮を干した「陳皮」を小豆と一緒に炊くのだそうです。甘すぎない「お汁粉」にかすかな柑橘の香り、時には「蓮の実」が入っていました。白い「蓮の実」を見つけると嬉しくなりました。もっちりした「蓮の実」は食感のアクセントです。

 コース料理の後のデザートも西洋料理では甘い甘い小さな菓子とビターなコーヒーで締めるものもあれば、甘く強いリキュールをショットでクイット収めるところもあります。広東料理は「お汁粉」のほかには「西瓜」「金木犀のゼリー」などどれも甘味の薄いものばかりでした。料理とのバランスなのか、どこのお国のデザートもそれなりに納得いく甘さです。

 家で小豆を炊く時に「陳皮」をひとかけ入れます。みかんの皮を干したものですが古い「陳皮」は高価です。きっと今頃香港では乾燥と寒気の中、緑のみかんの皮が干されている光景が見れるはずです。

 この季節「柚」が出回ります。「柚」の皮は一年中使えるように薄くはぎ冷凍します。「柚」の皮を「お汁粉」に浮かべると温かさが増すように感じて必ず浮かべます。「お餅」だけを食べる時には焦げ目がつくほど焼くのですが、「お汁粉」に入れるときは焦がさず白いまま使います。「小豆」「柚」の香りを損ねません。デザートの「お汁粉」は小椀に出てきました。おやつですから量もたっぷりにすすります。

 寒い日のおやつは湯気までもお腹を満たしてくれます。

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13年前の香港の写真

2025年01月16日 | 香港

曇、2度、60%

 Facebookが以前ポストした記事や写真を送ってくれることがあります。先日は13年前の香港の写真でした。目に飛び込んだのは「蒸し卵」、日付が一月十二日ですから香港でも寒い季節です。寒くなると「焼き栗」や「蒸し卵」のリヤカーが出ます。これは「元朗」という中国深圳との境に近い田舎町です。まだベットタウンになる前の寂しい田舎町の頃の写真です。

 香港の田舎、昔は本当に田舎でした。高層ビルはなく昼間は年寄りばかりが住む街になります。「元朗」「粉嶺」「大哺」今はどこも香港島なみの高層ビルが立ち市場よりも大型商業施設での買い物が主流です。田舎の市場には大きな犬が歩いていたり、この写真のように猫の姿を見るのは当たり前でした。私はキャプションに「暖かい場所をよくご存知です。」と書いています。「蒸し卵」の下はコンロでその横には猫が昼寝中です。猫の頭の方に「大根餅」が売られています。おそらく旧正月前の時期だったのでしょう。写真から「蒸し卵」の匂いが伝わります。写真からこの市場のざわざわが伝わります。2012年ですから「iPhone」で撮った写真です。香港に渡った当初40年ほど前は一眼レフを持って出掛けていました。香港の田舎町、香港島からバスで行きました。今は電車がくまなく走っています。香港中心地は一時的居住者、仕事で赴任してきている人の多い街です。田舎はその土地に足をつけて生きている人を見ることができました。そしてその両方が香港です。

 主人がつい二日前、香港セントラルの写真を送ってくれました。市場ではありませんが足繁く通った「プリンスビルディング」の「オリバース」や「パンハンドラー」「ベットアンドバス」の写真です。市場とは違い香港でもハイエンドな店の写真です。懐かしさで胸いっぱいになりました。市場の片隅、屋台の食べ物ばかりか高級食材店に並ぶ各国のチーズにも香港らしさを感じます。混沌と入り混じる、その全てが香港です。30年住んだ土地はしっかりと私の中に今も生きてます。「昔の私の地元!」と主人にメッセージを送りました。主人の返事は「今も僕がいるから、真奈さんの地元だよ。」一枚の写真が仄かな温かさを運んで来てくれました。

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バルミューダートースターで焼いた「干し柿パイ」

2025年01月15日 | おやつ

雨、8度、77%

 「バルミューダー」のトースターをポイントで買ったのは2年前でしたか?加湿で食パンが驚くほど美味しくなるというオーブントースターです。買ってはみたものの、朝は焼きたての「バゲット」を毎日食べます。たまにスコーン、孫娘が来た時に「ピザ」を温め直すのにしか使いません。勿体無い、使い道を探ります。大きなビルトインのガスオーブンは欲しい温度に達するまで時間がかかります。以前、クッキーなど小さめのものを焼いてみたのですが、庫内の狭さで焦げが出てしまいました。

 先日「ガレットでロア」を作ったパイ生地が残っています。干し柿がまだあるので種を取って「干し柿パイ」を作りました。焼く段になって「バルミューダー」のオーブン機能を使ってみようと思い立ちました。 温度上昇が本当に早い。残り生地が少ないので小さな「干し柿パイ」です。パイ生地が膨らみ始めて「あっ!」上の電熱にパイ地が迫っています。いい焼き色を通り越して焦がしてしまいました。「まただわ。」

 薄っぺらなものを焼いたり温め直すには向いている「バルミューダー」のオーブントースターですが、厚みのあるもの大きな塊肉には不向きです。肉の塊は300グラム前後までです。その上パン屑などの掃除がしにくい構造です。ただ、パン全般の温め直しは非常に美味しく仕上がります。

 さて、「干し柿パイ」 ねっとりとした「干し柿」に「梅酒」を振ってパイに仕立てました。甘味が強い「干し柿」にバターの風味が思いの外マッチしています。10センチ四方の大きさですが、半分でお腹がいっぱいです。「干し柿」がバターとも相性がいいと知ったので、何かチーズと合わせてみようかと考え中。

  「バルミューダー」のオーブントースター、オーブン機能の良い使い道がないかしら?パンの温め直しに特化させるには勿体無いと思うのですが。

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油、脂を摂る

2025年01月14日 | 日々のこと

曇、5度、72%

 若い頃は太ることを気にして、油脂の摂取を控えていました。バターも少なく、揚げ物も控えめに。60歳を過ぎた頃からそんな私が方向転換、油脂をしっかりと摂るようになりました。子供の頃の体型は小さく細く、食も細かったのに、思春期以降はそれなりに丸くなりました。出産後はそれはそれは風船のように。現在は子供時代に戻ったのか小さく細い姿です。

 油脂を取ろうと思い立ったのは、一番は美味しい、次に油脂が好き、そして油脂に身体を守ってもらおうと思ったことがきっかけです。60歳にして30年離れていた日本に戻りました。30年間、冬でもさほど寒くない香港に暮らしました。日本の冬の寒さが帰国した年に身体に沁みました。冬服の着方もわかりません。そもそも冬服自体手持ちは数少なかったのです。寒さの影響を受けないためにも、身体に油脂を取り込みました。

 お魚の皮の下の脂、豚の脂身、揚げ物の衣、どれもまずは美味しい。美味しいから好きです。子供時分はすき焼きの最初にお鍋に入れる「牛脂」が透明になるとすぐさま口に入れるほど油脂が好きでした。油の取り方は揚げ物だけでなく、出来上がりにかける、たっぷりとマリネする、そのままを加熱せず身体に入れます。「オリーブオイル」は優秀ですが、「クルミオイル」「アボガドオイル」「ヘーゼルナッツオイル」「ピーナッツオイル」など美味しい油があります。「クルミオイル」との付き合いは長く、30年以上です。「クルミパン」を焼くのにアメリカからのオイルを買いました。良いお値段でしたが、その香りその味にすっかり魅せられました。「ピーナッツオイル」は中国の基本の油です。「ピーナッツオイル」の炒め物、揚げ物はそのダイナミックな使い方とともに美味しさを引き出します。

 脂の塊、「ラード」と「バター」そして「ギー」も日常に欠かしません。 毎日欠かさず油脂を身体に取り込みます。鮭の「ハラス」のきれいな脂はすんなりとお腹に収まります。「牛脂」だけは摂り過ぎるとお腹具合が悪くなりますが、豚脂の甘み、鶏皮の下の脂の美味しさ、満喫します。

 もうすぐ帰国8年になります。この7年間で冬に向かう服装の整え方も覚えました。風邪をひくこともありません。「油」「脂」に守られていると信じています。

 

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クロワッサン

2025年01月13日 | パン

曇、5度、56%

 バターを折り込んで作るパイ菓子や「クロワッサン」は冬の寒い時にしか作りません。この1週間ほど気温がグッと下がりました。一月六日の「公現祭」には「ガレットデロア」を焼くことができました。気をよくした私は「クロワッサン」を仕込みました。

 「バター」を大量に使う「クロワッサン」、折り込んでいくうちに気温が高いと手に負えなくなります。「バター」はどこかにセンサーを持ってるのかと思うほど、夏冷房を効かせた台所で作業していても緩くなります。幾度も作業中断で「パイ地」を冷蔵庫に入れなくてはなりません。ここ数日の気温、冷蔵庫で寝かせる時間も短縮できます。それでも2日かかりの工程です。楽に生地を仕込んで、さあ、最後の「成形」「発酵」の段になってハッと!気温が低いのは生地作りには適しているのですが、パイ菓子作りとは違い「発酵」を伴う「クロワッサン」はこの「発酵」時間が問題になりました。お店のように「発酵機」など持ちません。十分に発酵させるのに6時間もかかりました。やれやれ。

  家に充満するバターの香り、手に取ると焼く前とは違い随分軽く、大きくなった「クロワッサン」をガブリ。

 生地を伸ばして残った端は「カヌレ型」に入れて一緒に焼きます。 そして夜のワインのお供です。 

 朝起きても「クロワッサン」があると思うだけで、気分上上。 温め直して朝ごはんです。

 この冬、もう一度くらいは「クロワッサン」作れるかな?パイ生地のお菓子、「クロワッサン」は私の冬の楽しみです。

 

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「X」がスマホに戻って来ました。

2025年01月12日 | 日々のこと

雨、2度、82%

 青い小鳥のマークの「Twitter」が黒い「X」に変わったのいつだったでしょうか?「facebook」や「Instagram」とスマホの画面も煩わしくなりました。60歳半ばを越した私はそうした繋がりが少し煩わしくなりました。身辺を軽くしたいそういう思いから、「X」をスマホの画面から消しました。アプリ自体葬りました。何ら不自由なくこの数年過ごしました。

 今年年明け2日のことです。私のブログ元「goo blog」に記事がポストできなくなりました。PCでも開きません。数時間おいても一向に状況は変わりません。遠くにいる主人や友人から私の「ブログ」が出てこないと連絡を受けました。ちょうどお正月で帰宅していた息子にその旨を話すと「サイバー攻撃を受けたみたいだよ。」と返事。「何で調べたの?」「X。」

 息子の「X」という返事に急に2011年の「東北大震災」の時を思い出しました。当時私はまだ香港にいました。息子は東京です。日本からのニュースは全部「震災関連」のものだけに切り替わりました。息子の安否を知りたいと「電話」を入れます。発生当初でししたので運よくつながりました。ところが数分後には電話は不通になりました。次に試したのが「Twitter」でした。息子の所在や様子が流れて来ます。震災後しばらくは「Twitter」でしか息子と繋がることができなかったのです。後で知ったことですが、震災をいち早く世界に流したのも「Twitter」だったそうです。

 「Twitter」の時系列に情報を流してくれるのはその時を知るには最適です。「goo」の不調から数日後、「tenki.jp」がやはり開きません。スマホをシャットダウンしても開きません。そこで「X」を再インストールして調べました。出てます、出てます。多くの方が使う天気アプリ「tenki.jp」もサイバー攻撃を受けたらしいと「X」で知ります。私のスマホの不調ではありませんでした。

 情報を得る情報源として「X」を使おうとスマホの画面に戻しました。「その時を知る」時系列だからこそできる技です。様々な「情報」に左右される年齢ではありません。でも何が起こるかわからない今、「情報収集」の手段として「X」を再評価しました。

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