マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

京都の熊野

2017-03-09 | Weblog
3日の夜、母が自分の部屋で転び、
土曜日にタクシーで病院に行き、
大腿骨骨折の診断でそのまま入院、
火曜日に人工頭骨置換術の手術を受けました。
古い病院(建物もとても古い)ですが、
内科と整形外科、麻酔科との連携が直ちに行われ、
CTやレントゲンなどの検査施設の位置が人のサイズで設置されているので、
不必要に病院内をウロウロすることもなく、
当人も家族も安心でき、助かりました。
無事に手術も終りホッと一息。
今日は何と看護師さんたちに助けられ、
車椅子でトイレに行きベッドまで歩行器で帰ってきました。
手術からまだ40時間位しか経っていません。
すごいなー!

街の中の病院ですが、
窓の向こうに東山連峰を望み、
近くに聖護院と熊野神社があります。

八ッ橋屋さんの向こうの緑の部分が熊野神社です。

子どもの頃は、熊野神社がなぜ京都に幾つもあるの?
と不思議でした
平安後期から熊野信仰は浄土宗と合体し、
熊野詣が盛んになり、
特に後白川上皇は生涯に34度も熊野御行をしたそうです。
今でも熊野三山(和歌山県、三重県)に行くのは大変なのに、
いったいどんな旅だったのでしょう。
当人は御輿に乗っていて、歩くわけではなく、
荷物も全部人に持たせるわけですが、
34回も、というのは!
きっと京へ戻ったら直ぐに次の旅の準備をしたんだろうと思いますが、
そして、余程強い権力を持っていたのだとは思いますが、
それにしても…

熊野には本宮、新宮、那智と3つの巨大な神域が造られていたそうです。
応仁の乱で荒廃するまで絶大な信仰を集めていたそうです。
で、京の町にも3つの熊野神社が作られました。
それが、本宮に対応する熊野神社、
そして、新宮に対応する、今熊野神社、
そして、那智に対応する熊野若王子神社、らしいです。
遠く熊野まで行くことができない人たちが、
そこへお参りに行ったのでしょう。
やはり応仁の乱で荒れ果てたそうです。
熊野神社の復興は江戸時代に入ってからだったそうです。

熊野神社のシンボルは、
神様の道案内をしたと言われる3本足のカラスです。



門扉も

手前の鉾の旗にも、カラスが見えるかな?

この辺りは、京都名物「八ッ橋」の地元。
「老舗」や「本家」の立派な建物が何軒もあります。




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石ころが仏さんになる時

2017-03-06 | お地蔵さん
このお地蔵さん、
石を彫って作ったものではなく、
石に顔を描いただけのように見えます。
ある時一個の石が、誰かの目にお地蔵さんの顔に見えて、
ここに据えられることになった、のかもしれません。
その石の見つかった場所が、大切だったのかもしれません。
これらの原初的で素朴な(プリミティブな)お地蔵さんたちを見ていると、
人の目の不思議と、
心の不思議と、
人の温かさを感じます。
左から2番目のはお地蔵さんというより天使のようです。







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うまい!

2017-03-04 | Weblog
フェイスブックにこんなマンガが上っていました。
少ない線で!少ない文字で!みごと

美しい国の美しい友情

作者はイラストやマンガ、DVDなどを、
フリーで、製作している女性のようです。
いわゆる説明マンガ、を多数書いておられるようですが、
図柄が可愛くてうまい。
エネルギッシュな製作活動に拍手です。
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街角ウオッチング、もうすぐ春

2017-03-01 | Weblog
暦は替っても寒い。
マフラーを巻いて、手袋をして、
コートを着て、自転車に乗り、
街中を走ったら、

「春」が目に飛び込んできました。

そして


消火器の赤い箱に書かれた文字
これは珍しい町名、
そうか、当て字なのかな。

中を覗くと
なんとホカホカご飯たっぷりのお膳が!

そして昔の看板はやっぱり味わい深い。

待ち遠しい春です。
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