9月7日 (金)

ヘルシンキ、オスロー、ストックホルムと、一緒に旅したアジさんが、
今朝 帰国された。

卒業以来度々お会いし、EMS研究会の旅行にも今回で3度目の参加。
お仕事先でも信頼され、いつもお忙しそうだが、何とか休暇を取って、
リラックスし見聞を深め、
次の仕事に向かいたいという姿勢はすばらしい。


さて、今日の目標は国立美術館とノーベル博物館。
また、地下鉄のガムラスタン駅まで行って、駅前の花屋さんで聞くと、
「歩いて行くととっても遠いから
(Hop-on Hop-off)の船に乗るといい。」と教えて下さった。

一日約1,000円ぐらいで乗り放題。

湾内7~8ヶ所の船着場があり、
行きたい場所に一番近い所で乗り降りが出来る。
私達は次の船着場で降り、国立美術館に向かった。


エントランス

2階から下を見ると・・・

レンブラントやミレー、セザンヌの作品が数点ずつあり、

名前はよく知らないが、有名らしい画家の絵や彫刻、
そして、現代画家の作品も数多くあった。
2時間ほど見て回ると、腰が痛くて痛くて・・・・

そして、館を出たら、ここにも衛兵が詰めていた。
この人の服装はお城の人達とは色が違うようだ。

この美術館からノーベル博物館はすぐ近くだったが、
せっかくなので、また乗船し、湾内を一周して同じ船着場で降りた。


ガムラスタンの広場にあるノーベル博物館は、
元証券取引所を改造した物で、
薄暗い館内には、ノーベルの生涯や
ノーベル賞の歴史が展示されており、
年代別に受賞者、受賞内容なども紹介されている。
アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明し、
これが産業革命と共に盛んになった鉄道の敷設や、
石炭や鉱石の発掘に使われ、
巨万の富を残した人ということは知っていたが、
彼が自分の事をひどく卑下し、
一生寂しい人だったということは知らなかった。
30歳のノーベル

自分が発明したダイナマイトが、心ならずも戦争に使われ、
尊い命を数多く奪ったということで、
ひどく心を痛めていたのだろう。
5ヶ国語を駆使し、偉大なる知識人であった彼は
「武器ではなく話し合いで外交を進めるべき。」と説き、
「この莫大な遺産を国や国民を問わず、前年の功績をたたえ、
その研究費の一部として、与えてほしい。」
という遺言を残した。
その遺志は今も引き継がれている。
毎年、多額の賞金?が受賞者に与えられているが、
遺産はなくならないのだろうか、と疑問を持った。
利息が利息を生んで、それ以上に増えているのかもしれない・・・

日本人のノーベル賞受賞者は今までに18人、
そして、私達が帰国後日本中で話題になった山中伸弥氏が、
医学生理学賞で今年受賞され、19人目になられた。
ノーベル博物館に行ったばかりだったので、
今までのどのノーベル賞より
印象が強く、多分、一生山中さんのお名前は忘れないだろう。
博物館のレストランで、晩餐会に出るデザートと
同じアイスクリームをいただいた。

とってもおいしく格別の味がした。


トップに飾ってあるほおずき(ホホヅキ)は食用の物で、ほんのりと甘く、
日本ではあまりお目にかからないが、
ヨーロッパではデザートに添えてよく出てくるようだ。
