2月24日の続き
御斎(おとき)とは、法事や法要の後の食事会を言うらしい。
文久三年創業 の「山徳」という料亭で行われた。
以前、叔父夫婦が存命の時、一度連れて行ってもらったことがある。
代官屋敷をそのまま料亭としており、伊藤博文の書が架かっていた。
160年も前の建物なので、かなり古く、
それこそ今様ではないが、食事は美しくとてもおいしかった。
遠方に住んでいるので、このような時しか会うことが出来ず、
いつの間にか従弟妹の家族にも孫が出来、初めて会う人が増え、
いつまでも自分はずっと親戚の中で、子供だと思っていたが、
もう、老人の仲間になっていた・・・
そして、いつの間にか70代、80代、90代、
同じような繰り返しが何世代も続いて行くのだと
かわいい子供達の顔を見ながら、感慨深いものがあった。
昨夜は他の従妹夫婦と宿泊先の天王寺・都ホテルで食事を共にし、
2年半前に脳梗塞で倒れたご主人も一緒に
楽しいひと時を過ごしたが、お酒を飲む彼を心配していたら、
「早よ死んでも良かったら、いくらでも飲んでええよって
言うてんねん。好きな物も止めて
何もせえへん余生はかわいそうやろ。」
と、明るく笑う彼女に驚いた。
私なら必死の形相で止めさせようとするに違いない。
確かにここまで元気でいたのだから、後は好きなように、
気楽に生きればいいのだ。
日々発見・・・楽しい(?)大阪への旅だった。
山形も同じです。
お斎の時は、亡くなられた方の思い出話を
しながら笑ったりするのが供養になるそうです。
素晴らしいご馳走がありましたね。
最近は四十九日の法要も全て告別式になさる方が
多いようで、一周忌もされない方も多くなっていると
言ってました。段々、墓じまいも多くなってるみたいです。
その人の生き方、考え方ですが、ただ長生きは
したくないような気がします。
健康で普通の生活を出来る状態でしたら良いの
ですが、認知になったり身体が動かなくなったら
迷惑かけてまで長生きはしたくないですね。
今回のお斎は正に笑顔がいっぱいでした。
ここ数年、叔父が亡くなった事さえ分からない様子でしたから、家族は辛かったと思います。
しかし、ホームの係の方達にもいつも「ありがとう、ありがとう・・・」と言って笑顔で歌を歌っていたらしく、皆にかわいがられていたと聞き、
自分では選べない終末の時、せめて周りの方達に辛い思いをさせない人間で終われたら嬉しいと思いました。