1950年の朝鮮戦争がなぜ起こったのか、
その後の変化と今後のアジアの平和について
私の考えを述べたいと思います。
まず朝鮮が北と南に分かれている原因です。私は日本とアメリカに重大責任があると思っています。
第一の理由は、日本の第二次世界大戦の終わり方に大問題がありました。
歴史を見るときに、もし・・という仮定は通用しませんが、日本の戦争推進勢力の終戦を決める経過における犯罪は、どのような重罰を与えても償えるものではないと思っています。
具体的には、日本の終戦は、連合軍が日本に「終戦」の条件を示してきた「ポツダム宣言」です。その日付は1945年7月26日です。連合軍は「吾等ハ日本国政府ガ直ニ無条件降伏ヲ宣言シ右以外ノ日本国ノ選択ハ壊滅アルノミトス。右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ
とあり、無条件降伏の決断には一刻の猶予も許せないと迫ってきたのです。
ところが天皇と日本帝国政府は8月15日まで回答を延ばしました。
この延長された期間に何が起こったのでしょうか?
第一は、天皇の戦争責任がとわれ、戦争犯罪人として処刑するのか、しないのか、連合軍と「談合」が行われ、「天皇を残す」ということで戦争終結が決断されたのです。
第二は、8月6日の広島・9日の長崎への原爆投下、8月14日の大阪大空襲を含め15日まで空襲が続いたのです。すぐに降伏していれば、原爆被爆者は生まれなかったのです。大阪大空襲はじめ、7月26日から8月15日までの大空襲はなかったのです。
第三は、8月9日にソ連が参戦し、旧満州、サハリン、千島列島へと進みました。8月12日には、海上を通じて北朝鮮の羅津(ナジン)や清津から朝鮮半島北部に上陸し、やがて8月29日までに北部全域を掌握しました。
もし7月26日に無条件降伏を受諾しておれば、ソ連の参戦はなく、その原因で多くの犠牲を出した、中国東北(旧満州)地域から民間人の「逃避行」の悲劇や、中国残留孤児問題も、シベリア抑留も生まれませんでした。
第四は、アメリカ軍は8月15日、まだ朝鮮南部に上陸していませんでした。
一番近くにいた米軍は沖縄の部隊で、本土上陸作戦を立てており、朝鮮南部に送る部隊は、まだ到着していませんでした。
これらの事実から7月26日に降参していれば、南北分断朝鮮もなかったのです。
終戦直前の国民の悲劇は「天皇の生命と天皇制」と引き替えに起こされたものだったのです。現在の天皇制は、このように国民多数を犠牲にして、続けられているのです。
天皇終戦の詔書と同時に「国体は護持されました」「天皇制は守られました」と何度も、何度も繰り返し放送されたのでしたが、国民への謝罪は何もありませんでした。これが日本政府の本心だったのです。
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資料をつけておきます。 終戦の詔勅−玉音放送−(1945.8.15正午) 原 文 口語訳は、少し大きな字で書きます。
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
抑ゝ 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶 幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排 シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰 局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續 セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ 帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもか かわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、し きりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明を も破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ 衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
私は、 日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
朕 ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民 ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ 戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ 進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむ やみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の 成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を 失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重く かつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
いわゆる「玉音放送」は、国体は護持されました。国体は護持されました。と放送した中で行われたのです。国体の護持とは、天皇が殺されず天皇制は残りました。といい続けたのです。