大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載 9 その直接の原因は、連合国軍(主に米軍)の「一般命令第1号」でした。 

2015-06-25 | 「私がお話し」します。

日本軍の武装解除は、朝鮮半島地域での38度線で分割し、

北部はソ連軍・南部は米軍に責任を持たせたのでした

 

 次に、第二の理由は、朝鮮が南北分断国家になったためですが、その直接の原因は、連合国軍(主に米軍)の「一般命令第1号」でした。 

 1945年9月2日、第二次世界大戦・日本の降伏文書の調印式が行われた、同日、連合国軍の「一般命令第1号」が出されました。  これはアジア・太平洋地域における戦線全域の連合国軍への命令ですが、その中に日本軍の武装解除は、朝鮮半島地域での38度線で分割し、北部はソ連軍・南部は米軍に責任を持たせたのでした。このことが、朝鮮・韓国分断国家の直接原因となりました。

 朝鮮では終戦前から、国連の動きとは別に、朝鮮人による統一国家・独立朝鮮を目指して、米軍や親米派・親日派勢力と戦いながら、たゆまぬ努力が続けられていたのでした。1945年9月6日、「朝鮮人民共和国」(45・9・6~9・11)という名前の一つの国として「樹立宣言」が行われました。主席は、李承晩 副主席は呂運亨(ヨ ウニョン)でした。しかし 米・ソは、これを認めませんでした。民族自決権を蹂躙したのです。しかし、この人々は繰り返し統一国家への努力を続けました。

 米軍は、朝鮮の独立と統一国家を認めず、ソ連・中国の勢力を止める防共ラインを造るために、政治の防波堤として、米国言いなりの朝鮮南部政権の樹立を至上命令として、1948年5月10日、米軍監視の下で「韓国単独選挙」を強行しました。そして、1948年8月15日、大韓民国が建国され、北朝鮮でも9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。

 1946年アメリカは日本に対しては、憲法9条で軍隊を持たせませんでした。しかし大韓民国における最初の憲法「制憲憲法」第6条は、「大韓民国はあらゆる侵略的な戦争を否認する。国防軍は国土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とする。」とあり「軍隊を認め」ました。

  朝鮮民主主義人民共和国憲法は、第8章 民族保衛 第100条で、「朝鮮民主主義人民共和国を保衛するために朝鮮人民軍を組織する。朝鮮人民軍の使命は、祖国の自主権及び人民の自由を援護することにある」としています。 

第103条 「朝鮮民主主義人民共和国の首府は、ソウル市である。」とあり、どちらも最初から、武力衝突の危機をはらんだ憲法だったとも言えるのです。

 

 このように、2つの国の建国は、日本とアメリカの戦後政治とかかわりがありました。

1950年6月25日、一つの国をめざし朝鮮戦争が始まりました。 ソ連の解体で秘密文書が公開され北朝鮮がソ連・中国の承認を得て、南に武力侵攻したという説が有力視されています。   

 朝鮮戦争開戦2日後の6月27日、米国は、国連の会議を招集し、ソ連欠席のまま、韓国に「国連軍」の参戦を決めさせました。北朝鮮軍は、中国人民(志願)軍をまきこみました。旧ソ連軍は武器を供与しました。国内戦争が国際戦争になりました。

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沖縄:各地の慰霊 塔でも慰霊祭などが行われ、県内は鎮魂と不戦の祈りに包まれた。

2015-06-24 | 戦争反対・戦争法廃止

 戦後70年・平和へ誓い 沖縄全戦没者追悼式

2015年6月24日

 

   沖縄は23日、沖縄戦から70年の節目となる年の「慰霊の日」を迎え、20万人を超える戦没者を追悼する「沖縄全戦没者追悼式」(県、県議会主催)が、糸満市摩文仁の平和祈念公園で執り行われた。公園にある「平和の礎(いしじ)」には、70年を経ても癒えぬ悲しみを抱えた多くの遺族らが訪れた。各地の慰霊 塔でも慰霊祭などが行われ、県内は鎮魂と不戦の祈りに包まれた。追悼式では、いまなお米軍専用施設の73・8%が県内に集中する不条理に対し、翁長雄志知 事が「米軍基地問題は国民全体で負担すべきだ」と訴えた。

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連載 8、朝鮮が北と南に分かれている原因は、日本とアメリカに重大責任がある。

2015-06-24 | 「私がお話し」します。

1950年の朝鮮戦争がなぜ起こったのか、

その後の変化と今後のアジアの平和について 

私の考えを述べたいと思います。

 

 まず朝鮮が北と南に分かれている原因です。私は日本とアメリカに重大責任があると思っています。

第一の理由は、日本の第二次世界大戦の終わり方に大問題がありました。

歴史を見るときに、もし・・という仮定は通用しませんが、日本の戦争推進勢力の終戦を決める経過における犯罪は、どのような重罰を与えても償えるものではないと思っています。

 

 具体的には、日本の終戦は、連合軍が日本に「終戦」の条件を示してきた「ポツダム宣言」です。その日付は1945年7月26日です。連合軍は「吾等ハ日本国政府ガ直ニ無条件降伏ヲ宣言シ右以外ノ日本国ノ選択ハ壊滅アルノミトス。右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

とあり、無条件降伏の決断には一刻の猶予も許せないと迫ってきたのです。

ところが天皇と日本帝国政府は8月15日まで回答を延ばしました。

この延長された期間に何が起こったのでしょうか?

 

  第一は、天皇の戦争責任がとわれ、戦争犯罪人として処刑するのか、しないのか、連合軍と「談合」が行われ、「天皇を残す」ということで戦争終結が決断されたのです。

 

 第二は、8月6日の広島・9日の長崎への原爆投下、8月14日の大阪大空襲を含め15日まで空襲が続いたのです。すぐに降伏していれば、原爆被爆者は生まれなかったのです。大阪大空襲はじめ、7月26日から8月15日までの大空襲はなかったのです。

 

 第三は、8月9日にソ連が参戦し、旧満州、サハリン、千島列島へと進みました。8月12日には、海上を通じて北朝鮮の羅津(ナジン)や清津から朝鮮半島北部に上陸し、やがて8月29日までに北部全域を掌握しました。

もし7月26日に無条件降伏を受諾しておれば、ソ連の参戦はなく、その原因で多くの犠牲を出した、中国東北(旧満州)地域から民間人の「逃避行」の悲劇や、中国残留孤児問題も、シベリア抑留も生まれませんでした。

 

 第四は、アメリカ軍は8月15日、まだ朝鮮南部に上陸していませんでした。

一番近くにいた米軍は沖縄の部隊で、本土上陸作戦を立てており、朝鮮南部に送る部隊は、まだ到着していませんでした。

これらの事実から7月26日に降参していれば、南北分断朝鮮もなかったのです。

 

 終戦直前の国民の悲劇は「天皇の生命と天皇制」と引き替えに起こされたものだったのです。現在の天皇制は、このように国民多数を犠牲にして、続けられているのです。

 天皇終戦の詔書と同時に「国体は護持されました」「天皇制は守られました」と何度も、何度も繰り返し放送されたのでしたが、国民への謝罪は何もありませんでした。これが日本政府の本心だったのです。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

資料をつけておきます。  終戦の詔勅−玉音放送−(1945.8.15正午) 原 文      口語訳は、少し大きな字で書きます。


朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
 

 

 私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

 

 

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 

 

私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。

 

 

抑ゝ 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶 幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排 シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰 局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續 セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ 帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

 

  

 そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもか かわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、し きりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明を も破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのかこれこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。

 

 

 

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ 衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

 

 

  私は、 日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。

 

 

朕 ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民 ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ 戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ 進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

 

 

   私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむ やみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の 成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を 失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重く かつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ

 

 

 

 いわゆる「玉音放送」は、国体は護持されました。国体は護持されました。と放送した中で行われたのです。国体の護持とは、天皇が殺されず天皇制は残りました。といい続けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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内閣の憲法解釈の中心を担った元法制局長官からも「違憲」宣告を突きつけられ、法案の違憲性明白!

2015-06-23 | 戦争反対・戦争法廃止

元法制局長官「違憲」「逸脱」

衆院特別委 戦争法案で明言

 

 

写真

(写真)参考人に質問する赤嶺政賢議員(左)=22日、衆院安保法制特委

 戦争法案を審議している衆院安保法制特別委員会で22日、5人の参考人を迎えて質疑が行われ、宮崎礼壹(れいいち)、阪田雅裕両元内閣法制局長 官、小林節慶応大学名誉教授が法案について「違憲」あるいは「従来の政府見解の範囲内とはいえない」と主張しました。憲法学者に加え、内閣の憲法解釈の中心を担った元法制局長官からも「違憲」宣告を突きつけられ、法案の違憲性がますます明白になりました。

 宮崎元長官は、集団的自衛権の行使が憲法9条のもとで許されないという見解の積み上げは四十数年に達し、これを覆す法案を国会に提出するのは「法 的安定性を政府自ら破壊するものだ」と批判。集団的自衛権を禁じた1972年政府見解にある「外国の武力攻撃」を「(日本以外の)外国に対する武力攻撃」 を含むと強弁するのは「黒を白と言いくるめるもの」と糾弾しました。

 また政府が歯止めとする新3要件について、ホルムズ海峡の機雷封鎖や米軍の存在がわが国の死活的利益だとする大臣答弁をみれば「なんら歯止めに なっていないことは明らかだ」と強調。「集団的自衛権の行使容認は、限定的と称するものも含めて従来の政府見解とは相いれない。これを内容とする今回の法 案部分は憲法9条に違反し、すみやかに撤回されるべきだ」と主張しました。

 阪田元長官は、昨年の「閣議決定」について「解釈の変更がなぜ必要なのか、いったい何がどのように変わったのかは理解できない」と疑問を提起。さ らに「本当に集団的自衛権が限定されているか」として、ホルムズ海峡の機雷封鎖をはじめ「中東有事にまで出番があるとすると、到底従来の枠内とはいえな い」として法案に対する強い違憲の疑いを示しました。

 小林氏は法案を「憲法に違反し、政策的にも愚かだ」と指摘。安倍首相が「従来の憲法解釈に固執するのは責任放棄だ」と述べたのに対し、「法の支配に対する人治主義、中世の独裁政治に向かう宣言に等しい」と批判しました。

 森本敏元防衛相、西修駒沢大学名誉教授も参考人として出席しました。日本共産党から赤嶺政賢議員が質疑に立ちました。

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連載 7 両国皇帝の名でつくる批准書に韓国皇帝の「御名御璽」がないのです。

2015-06-23 | 「私がお話し」します。

第二の理由は、「公文書偽造で無効だ」と言う事です。

 

 19世紀末から20世紀当初の国際情勢の下でも、「条約なき占領」は、国際法違反という考えでしたから、日本政府は、諸外国から国際法違反の占領だという批判を受けないように、先ほど言った4つの協約と五つ目の併合「条約」文を日本側が一方的に用意をしたのでした。

当時から国際条約を締結するには、決まった形式がありました。正式条約は、国交を結ぶときや、国の主権にかかわること。

二つ目の略式条約は、国交のあと、行政的なものを決めるときでした。

 

李氏朝鮮を相手に結ばれた「日朝修交条約」は、正式どおり、韓国の法的手続きもクリアして作成されて結ばれました。

①は、王の代役で交渉する人に対する王の委任状です。御名御璽が必要です。これはあります。 

②は、条約文です。これには委任された人のサインと印鑑が必要です。これもあります。  

③は、両国皇帝の名で批准書をつくり両国が交換します。「勅諭」・国民に知らせる公文書です。この公文書にも御名御璽が必要です。 すべてあります。

 

先にのべた4つの関連文書が正式な形式を整えた条約だったとすれば、条約による半ば占領状態だと言い逃れができるかもしれませんが、残されている他の4つの協約文は、国政上の重大問題であるにもかかわらず、「略式」で作成されており、必要なところに「御名御璽」がないという「不備なもの」です。さらに韓国の法的手続きを経ていません。

 

なぜ不備なものになったのか調べると、韓国皇帝が条約に反対していたからです。日本側が一方的に作成した「捏造文書」と言えるものなのです。現在式に言えば「公文書偽造」で、これは明らかに無効です。韓国の法律にもとづく手続きが行われていなかった証拠でもあります。「協議」されたと言う人もいますが、軍隊を背景に有無を言わせないもので「協議」などといえる内容ではありませんでした。

 

具体的に見てみます

①、の議定書は、略式です。批准書も王印もありません。

②、も略式で題名がない。日韓協約とあとで呼ぶようになったのです。

委任状がない、王印がない。韓国語がない。英文がある。後で条約と題名を加えた。

③、(保護条約と呼ばれているもの)略式・題名がない。

批准書も王印もない。韓国語がない。しかし英文がある。条約と題名がある。後で加えた。

④、略式で7項目の約束をしたと言うメモのようなもので批准書も王印もありません。

 

五つ目の一番肝心な「併合」条約は、日本側は正式条約にしようとしましたが

①、委任状は王のサインと印鑑が押されています。

②、の条文と担当者のサインと印があります。

③、ところが両国皇帝の名でつくる批准書に韓国皇帝の「御名御璽」がないのです。

皇帝純宗が、韓国「併合」に反対し、条文作成に応じず日本側が御璽に変わる行政手続き用の印鑑を押し、文書を偽造し条約を締結する現場に持ち込んできたからです。

 

だから私の結論としては、韓国「併合」条約は、戒厳令の下で、韓国皇帝が反対し、当時の条約形式も満たさず御名御璽がなく、特に韓国の法手続きが欠落しており、非合法文書で「無効」としか言いようのないものです。以上が2つ目の理由です。

 

さらに、その証拠を裏付けるもう一つの証拠として、皇帝純宗の遺言があります。当時の実態から、韓国内では発表できず、7月になって米国のサンフランシスコで暮らしていた韓国人たちの新聞「新韓民報」に発表されました。資料を見てください

 

遺言・ 過ぎし日の併合認准は、強隣(日本)が、逆臣の群れ(李 完用など親日派大臣)とともに勝手になし 勝手に宣布したものであり、すべて私がなしたことではないのだ。ひたすら私を幽閉し、私を脅迫し、私をして明白に話をできないようにさせたのであり、私がしたのではないということを明白に知らしめれば意的の所為、併合認准と譲国の詔勅はおのずと破棄に帰してしまうだろう。とあります。

    

さらに付け加えておきたいことは、歴史学者の本には出てこない最近の韓国大法廷の判決です。読んでみると「有効論」の論拠を論破して「併合」は無効であるとの理論的到達点にたって、「日韓基本条約で個人請求権はないとしている日本側の主張をもしりぞけ、金額を示して個人賠償をすべきであると「判決」を下しています。韓国の最高裁判所の判決ですから、今後大きな影響を持ってきます。

 

このような新しい国際的な状況も踏まえて 歴史認識の一致をさせなければならないと思うのです。

以上が、韓国「併合」条約は無効だという私の考えです。


   

   宮廷内の庭

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連載6、みなさん ご一緒に、 日本と韓国と朝鮮の国民が 友好・親善を!

2015-06-22 | 「私がお話し」します。

4、東京都台東区民会館でのシンポジューム

2013年7月25日

 「朝鮮戦争休戦協定60周年記念・東アジアの平和を求めるシンポジウム」がひらかれ、パネラーとして出席した大橋満は最初に次のような発言をしました。       

私は、日朝協会代表理事の大橋満です。 安陪首相は、本日からアジアを訪問しています。

  自民党が進めるアジア外交について多くの懸念が出されております。朝鮮との間 にある拉致・核・ミサイル・国交正常化、韓国との間では、慰安婦問題、竹島問題など解決しなければならない多くの問題があります。私はこれらの諸問題を解 決するためには「歴史認識の一致」「明治以降の歴史について評価の一致」がなければ、正しくすすめられないのではないかと思うのです。

 

本日のシンポジウムの意味を深く理解するために、1910年の韓国「併合」が、有効だったか、無効なのか という問題について私の考えを申し上げます。

 

 自民党や維新の会は、当時結ばれた条約文があり、1965年6月22日に結ばれた「日韓基本条約」の中で、1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は「もはや無効」であることが確認される。とあることから、

この「もはや」という意味を、1965年までは有効だったが、1965年以後は無効になったので、併合にかんする5つの条約は「有効だ」という考えです。他にも当時の国際法に照らしても有効だと言う議論がありますが

 

私は、「併合」に至る経過や、結ばれた条約の法律上の手続き問題、現存する条約文について調べてみると、「もはや」の言葉の意味を論争して、かってな解釈をこじ付けるのではなく、また帝国主義列強側の有効論にもとづく押付けではなく、次の理由により韓国「併合」は、「無効」であると思うのです。

 

 その第一の理由は、軍隊を出して戒厳令をしき、暴力的におしつけたもので「無効」だということです。これは当時の国際法上も無効です。

1876年、日本と李氏朝鮮の間には、日朝修好条約がありました。日清戦争は(1894・7~1895・3)で日露戦争は、(1904・2・8~1905・9・5)ですが、日露戦争途中の

1904年大韓帝国を相手に1904年2月23日に「①、の議定書」 同年8月に②、の第一次日韓協約が結ばれ、日露戦争終了後すぐに「③、の1905年11月17日の第二次日韓協約」が結ばれました。

日本帝国政府は、反対する王を追放して、無理やり新王をつくり「④、1907年7月24日の第3次日韓協約」を結ばせ、この4つの協約をとうして、  

日本が韓国の主権を無理やり剥奪して、実質的な支配権を握り、韓国での軍事行動の自由を獲得し、日本が推薦する者を韓国の財政・外交の顧問としました。

さらに1910年6月、韓国の警察事務の一切を日本政府に委託させて警察権を奪い、同年8月1日には韓国軍隊の解体を強行しました。そうして、ソウルに日本帝国軍隊を出兵させ、戒厳令をしき、親日派大臣に韓国「併合」条約を押しつけたのでした。

どの専門家も、暴力的に併合をすすめたという点は一致しており、不当不法なものでした。 (7に続く)


   

   済州島龍の岩

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柳沢協二・元内閣官房副長官補は「安保法が成立したら、もう一つ海上自衛隊が必要になる」と!

2015-06-22 | 戦争反対・戦争法廃止

徴兵制?! 広がる不安

防衛大の任官辞退増 減少する自衛隊員

 

 

 「再び、日本に徴兵制が敷かれるのでは」―。戦争法案をめぐって、少なくない人が漠然とした不安を抱いています。法案は自衛隊の任務を大幅に拡大 しアメリカと一緒に地球上のどこでも、いつでも戦地にいき戦争支援を行うことになるからです。政府は「憲法上、徴兵制はあり得ない」と繰り返しています が、本当にそうでしょうか。(吉本博美)


 柳沢協二・元内閣官房副長官補は「安保法が成立したら、もう一つ海上自衛隊が必要になる」と述べました(5月15日、国会内での記者会見)。海外任務の拡大で、これまでの倍ほどの隊員数が求められることを示しています。でも、任務が拡大すればするほど若者の足は自衛隊から遠のく―。そのことを示す 興味深いデータがあります。

図

 自衛隊の幹部を育成する防衛大学校(神奈川県横須賀市)。卒業生は自動的に自衛官(任官)になる仕組みですが、これを辞退することもできます。任 官辞退率は、2014年度では5・3%となっており、11年度の1・1%から約5倍に跳ね上がっています(表)。過去のデータを見ると、イラク、インド洋 への派兵が続いていた時期も辞退率が高く、派兵終了後はいったんは下がっていました。ところが安倍政権が集団的自衛権の行使を容認する「閣議決定」を行っ た14年度、辞退率が再び上昇したのです。

 自衛隊員も減少傾向が続いています。だからこそ、国家による強制力が働くのではないか―。そういった不安が広がっています。

解釈改憲で徴兵制も

高校生違法勧誘“先取り”の動き

 海外派兵に踏み切り、大規模災害への対応も務めるなど、自衛隊の任務は1990年代以降、多様化、拡大の一途をたどっています。ところが、少子高 齢化などの影響もあり、隊員の減少傾向が続いています。防衛省資料によれば、1988年の自衛官現員は24万7191人でしたが、13年度は22万 5712人で2万人以上減っています。

 イラク戦争以降、04年度から13年度までの10年の間に限っても、自衛隊員の定員は6020人減少、現員数は1万3718人減少しています。このため近年、「徴兵制」の先取りのような動きが水面下で始まっています。

住民台帳のデータを要求

 全日本教職員組合が5月8日に発表した「2015年度高校生の就職内定実態調査(卒業時)」によれば、高校生を対象にした自衛隊の違法な勧誘が行 われていることが明らかになりました。全国316校の回答のうち、4県の6校で自衛隊の違法勧誘活動が計7件(北海道1校1件、愛知2校2件、山口2校3 件、長崎1校1件)行われていました。北海道では「自衛隊が学校を通さないで生徒の個人宅に行き勧誘活動をしている」という証言があります。

 全国高校組織懇談会は5月29日、「自衛隊の違法な勧誘活動の中止」を求めて防衛省へ要請しました。自衛隊が市区町村に対し、住民台帳に基づき高校卒業予定者の氏名、住所、連絡先のデータを要求し、これに自治体が応じていることをただしました。

 防衛省担当者は、各地の自衛隊が違法な勧誘をしている状況を把握しておらず、「個別勧誘は違反であり、今後は発見次第に指導する」と回答しました。

憲法18条の「苦役」を否定

 横畠裕介内閣法制局長官は「憲法は人権を保障している。(徴兵制は)第18条の意に反する苦役に値する」と述べ、徴兵制導入の可能性を否定します。しかし政府・与党内には異なる考えも存在します。

 石破茂地方創生担当相は2002年の憲法調査小委員会で「徴兵制は憲法18条で禁じている奴隷的拘束、意に反する苦役だと思わない」と発言。また19日の衆院安保特別委員会でも石破氏は「安全保障は『政策上』の部分が相当にある」と述べました。

 憲法改正推進本部長の船田元・衆院議員も、徴兵制は憲法18条が禁じる「苦役」にあたるとする憲法解釈の変更は「理論上ありうる」と発言しています(14年7月10日、テレビ朝日系番組)。

 米国では、貧富の格差により増大した貧困家庭の子どもや、学費のローンに苦しむ学生に対して、奨学金や経済援助などを持ちかけてイラクやアフガニスタンなどの戦地に送り込む手段が常態化しています。

 若者の貧困が進めば日本でも同様の危険が考えられます。


 徴兵制 国家が一定の年齢に達した国民に兵役の義務を課す制度。戦前の日本は徴兵制を敷いていましたが、戦後は禁止されました。現在の自衛隊は自らの意志で任官する志願制です。世界的には、徴兵制は廃止の傾向が続いています。

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早ければ9月にもスイスのジュネーブで開かれる国連人権理事会への登壇を目指す。

2015-06-22 | 琉球新報より

辺野古新基地建設

翁長知事の国連演説を計画 島ぐるみ会議、新基地反対世界へ

2015年6月22日 6:45 


 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設阻止を目的に、「沖縄建 白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」が、国際人権NGOの反差別国際運動(IMADR)を通じて国連で翁長雄志知事に演説をさせる計画を進めて いる。島ぐるみ会議国連部会長の島袋純琉大教授によると1月ごろから調整を始め、5月には島ぐるみ会議がIMDARの団体会員になり、正式に協力を依頼し た。早ければ9月にもスイスのジュネーブで開かれる国連人権理事会への登壇を目指す。
 IMADRは世界中のあらゆる差別の撤廃を目的に活動する NGOで、国連との特別協議資格を持っており、国連に一定の影響力がある。島ぐるみ会議はIMADRを通じて翁長知事を国連人権理事会に登壇させること で、新基地建設に反対する沖縄の民意を国際社会に訴える狙いがある。



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政党色のない団体「自由と民主主義のための関西学生緊急 行動」(シールズ関西)京都市内でデモ行進

2015-06-21 | 戦争反対・戦争法廃止

安保:学生2200人が京都でデモ行進 法案に「ノー」

毎日新聞 2015年06月21日 21時04分(最終更新 06月21日 22時53分)

安保法案に反対し、デモ行進する大学生ら=京都市東山区で2015年6月21日午後2時52分、小関勉撮影
安保法案に反対し、デモ行進する大学生ら=京都市東山区で2015年6月21日午後2時52分、小関勉撮影
 
 

 集団的自衛権の行使容認を含む政府の安全保障関連法案に反対する関西の大学生らが結成した政党色のない団体「自由と民主主義のための関西学生緊急 行動」(シールズ関西)が21日、京都市内でデモ行進を行った。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などを通じて集まった約2200人が、 法案に「ノー」の声を上げた。

 学生らはデモの先導車から流れる音楽に合わせて「憲法守れ」「民主主義って何だ」などとラップ調でコール。「FIGHT FOR  LIBERTY」(自由を求める戦い)、「NO WAR」(WAR=戦争)などのプラカードを掲げ、観光客らでにぎわう京都市中心部約4キロを2時間かけ て練り歩き、法案反対を呼びかけた。

 神戸女学院大2年の山口晶子さん(19)は「権力に逆らうことは勇気がいる。就職や世間体が気になって、今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られる」と本音を吐露。それでも街頭で訴えるのは「一人一人に平和を守り、継続させる責任があるから」と明かした。

 沖縄県浦添市出身で大阪府内の大学に通う平良美乃さん(22)は「武力では何も解決できないというのが歴史の教訓。米軍基地も安保法案も要らない」と訴えた。

 団体のフェイスブックを見て大津市から1人で参加した高校3年の女子生徒(17)は「18歳選挙権も決まった。政治に無関心ではいられない」と語った。

 シールズ関西は昨年末、東京で特定秘密保護法への抗議運動に参加した際に出会った関西の学生らが「関西でも独自の団体を」と呼び掛け、今年5月3 日に発足した。友人同士の紹介やSNSでメンバーを集め、現在約60人。安倍政権の安全保障政策を主なテーマに週1回のミーティングを開き、政治学などの 専門家を講師に迎えて勉強会を重ねてきた。

 デモを企画した神戸大大学院2年の塩田潤さん(24)は「予想以上の参加で驚いている。法案審議が続く限り継続して活動する」と話し、今後は関西圏で毎週、反対運動を展開する。【川瀬慎一朗】

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李大使は長靴に履き替えて袖をまくると、中国が寄贈した田植機に乗って田植えをした。

2015-06-21 | 人民網日本語版

朝鮮で百年に一度の干ばつ、中国の大使も田植え

人民網日本語版 2015年06月19日15:10
 
 

 朝鮮は百年に一度の大干ばつに見舞われ、全国をあげて農業を支援している。伝統にのっとり、中国の李進軍駐朝鮮大使も大使館の一部職員を率いて、平壌郊外の朝中友好宅庵協力農場で農作業を手伝った。新華網が伝えた。

■周総理も訪問した農場

 中国の外交官にとって宅庵農場はなじみ深い場所であり、毎年春の種まきと秋の収穫の際に訪れて農作業を手伝う。李大使一行は農場管理委員会の鄭明哲委員長から熱烈な歓迎を受けた。

 宅庵農場は1953年に完成し、1958年2月19日には周恩来総理が朝鮮の指導者・金日成氏と共に見学した。翌年、農場は「朝中友好宅庵協力農場」と 命名された。現在では600ヘクタールを超え、水稲、大麦、野菜、果実、畜産業、漁業の総合農場に発展。水稲が総面積の半分以上を占める。

■田植えを手伝う

 李大使は長靴に履き替えて袖をまくると、中国が寄贈した田植機に乗って田植えをした。鄭氏によると、前任の2人の駐朝鮮中国大使も同じ田植機で田植えをしたという。李大使は秋には他の田よりも大きな収穫を得るに違いないと語った。(編集NA)

 「人民網日本語版」2015年6月19日

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透明度があって資源豊かな海に大規模な軍事基地建設の土台が造られようとしている

2015-06-21 | 琉球新報より

戦後70年

大江健三郎さん 辺野古を訪問 「市民側が勝つ」

2015年6月21日 6:39 

 


海上から辺野古沖の様子を視察する大江健三郎さん=20日午前11時13分、名護市の辺野古沖

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが20日午前、米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設に向けた作業が進む名護市辺野古を訪れた。大江さんは、現地で新基地建設に反対する市民らの行動に「共感している。市民側が勝つという印象を持った」と述べた。
  20日午前10時半ごろ、辺野古漁港から市民船「美ら海」に乗り込み、海上を30分ほど視察した後、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。海上から大 浦湾を目にした大江さんは「実際見てみると印象が違った。透明度があって資源豊かな海に大規模な軍事基地建設の土台が造られようとしている」と危機感を表 した。
 ゲート前で抗議を続ける市民らについては「市民の粘り強い運動に感銘を受けている。国が相手でも、『諦めなければ勝つ』と活動する市民運動に共感している」と話した。
 海上では名護市議の東恩納琢磨さんが同行し、大浦湾の自然の様子を大江さんに紹介した。東恩納さんは「普天間飛行場の移設だけではなく、軍艦も入れるように軍港機能も持たせようとしている」と工事計画についても説明した。

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連載5、 みなさん ご一緒に、 日本と韓国と朝鮮の国民が 友好・親善を!

2015-06-21 | 「私がお話し」します。

3、 21世紀、これからはアジアの時代といわれています。


 私たちの住む日本は、アジアの東北部に国土があり、周辺諸国には世界人口の60%が住んでいます。

 日本は明治に入りヨーロッパ、アメリカ、ドイツから良いところを取り入れて国を発展させようと考えながら「絶対主義的天皇制」という国民の願いからみて最悪の制度を取り入れ、世界大戦を経て、一度国を滅ぼしてしまいました。

大戦後の復興においても日米安全保障条約(軍事同盟)の下で、アメリカの言いなりの同盟者として、アメリカが押し付ける範囲内での復興と国づくりが進められてきました。

 戦後70年間も過ぎているのに国中に米軍基地と原子力発電所が乱立する事態となり、あわせてアメリカにものが言えない関係が続いています。

早く軍事同盟をやめて、アメリカとは対等平等の立場で平和友好条約に切り替えなければなりません。

 しかし、この間アジアの国々では独自の発展を遂げ、アセアンに結集する国々では、それぞれが平和友好条約で結ばれる国際関係を構築し、平和的に経済発展を遂げてきています。

私たちが、身近なアジアに目を向け、アジアの一員としてその役割を果たしてこそ21世紀に正しく生きる道筋が開けると思うのです。

今からでもアジアの人々に対する過去の誤った侵略戦争を謝罪し賠償責任を果たし、アジアの人々と力を合わせて平和なアジアを創らなければなりません

  

 2013年には、日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華民国、ロシア連邦で新体制が始まりアメリカではオバマ大統領が再選され、新しい変化が期待されていました。

京都に住んでいる私たちが、その先頭にたち、日本と朝鮮・韓国・中国との友好を発展させるために、たゆまぬ努力をしていきたいものです。その中にこそ明るい新しい未来を切り開く展望があることを確信しています。

 

 天皇ですら、毎年誕生日を前に恒例となっている記者会見において、「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。・・・」との発言によって、   奈良・京都の都づくり・「都市計画」を指導したのは朝鮮の土木技術者だったことを知り、昔からの日朝関係が知りたくなったという方も増えてきています。

 

1980年、一年間に韓国へ渡った日本人は、約50万人、2000年には、約247万人、2011年には約330万人でした。韓国から日本に来られた人は、1980年は約15万人、2010年244万人、2011年は地震の関係で約166万人となっています。2013年はマスコミの北朝鮮バッシングで入国者が減ってきています。

理由はいろいろだと思いますが、韓国ドラマが面白い、俳優も感じがよい、そうして、撮影した現場を見にいくツアーも人気がある。民主化闘争の歴史や、日本帝国主義の侵略の実態とその抵抗の歴史も見たい、東アジアの平和構築のためには、韓国・朝鮮を知らなければならないと考える人が増えてきました。

 

 現在、竹島(独島)問題や「慰安婦」問題も解決していませんが、これからのアジアと世界の平和のために、日本と韓国・朝鮮は、どうすればよいのか? 冷静に考えてみたいと思うのです。 

世界の中で、日本と朝鮮は一番よく似た「親戚」の国です。  
朝鮮民族は、中国・日本と同じ漢字の国でした。古い文章は、漢文で書かれていました。歴代朝鮮の王様は、中国王の承認が必要でした。日本でも江戸時代以前は、よくにた関係が残っておりました。また、朝鮮語は、主語、述語、助詞や動詞等の並び方が、日本語と同じです。日本と同じ言葉も多くあり漢字を見れば意味が分かります。

 テレビドラマを見ていたら「安心・暗示・暗記・宇宙・環境・催促・市民・趣味・審査・民謡・目標・目録・約束・予算・余分・連絡・論理 」など は発音も意味も全く同じでした。

 朝鮮では15世紀前半に「ハングル」が創られるまでは、全て漢文だったのですが、多くの国民はお金がなく子供に勉強させることが出来ず、大人になっても字が読めませんでした。

したがって、悪徳地主などに「この書類に印鑑を押せ」と強要されても書かれている内容が理解できず、押印し財産を没収されたり、ときには命をとられることがありました。ドラマ「大王世宗」に当時の民衆の暮らしが詳しく出てきます。

李氏朝鮮の第4代国王「大王世宗」テワンセジョン(在位:1418年 ~ 1450年)が、「政治は国民のためのものだ」と多くの改革に取り組み、文字もつくりました。

漢文は、すべてを理解すれば少ない文字で多くのことを表現できますが、専門的な知識がいります。誰でも読めて意味がわかる文字、日常国民が使っている言葉をそのまま発音どおり表現できる文字「訓民正音・ハングル・チョソングル」をつくったのです。

ハングルは喋る声を発音記号にし、一定の法則で表わされています。現在文字は、子音14、母音10、計24でその組み合わせです。それで英語の発音記号・子音24、母音42に見合う文字もすべてそろっています。文字の発明以降、「政治は国民のために」行われるように徐々に変っていったのです。  

また、この王様は、天文台を作り、朝鮮の暦を作り、(当時は中国の暦を使っていた)いつ種をまけばよいか、収穫はいつ頃になるのか、労力はどれだけ必要かわかるようになり、農産物の収穫を増やすための工夫をしました。

 そんな昔にある程度の天気予報が出来るようになったというのです。また、「医学書」「朝鮮音楽の楽譜」もつくりました。その上「火薬兵器」をつくり国防に備えました。

外交においても対馬との政治和解を成功させ、釜山と二つの港を開港して対馬との自由貿易を奨励、推進しました。これらの技術を総合的に活用して国づくりを進めたのでした。韓国で非常に尊敬されている王様で、現在ソウル特別市の徳寿宮、光化門に銅像が建てられています。

 

日本は、朝鮮や中国から文化を学び、朝鮮の進んだ文化に興味を持っていたのに、なぜいま、日本人は韓国・朝鮮にあまり興味がないのでしょうか。 嫌いな国になったのでようか? 

これからも嫌いな国だと言って無関心のままでよいのでしょうか? 

アジアの中の日本人として、どう考え、どのようにお付き合いをすればよいのか、このことについてもご一緒に考えましょう。

 

 

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米国大使館側が意図的に大使の発言を歪曲(わいきょく)して発表した可能性もある。

2015-06-20 | 戦争反対・戦争法廃止

 ケネディ米大使 辺野古触れず 翁長知事、初会談で反対訴え 大使館は「唯一」表明と発表

2015年6月20日

  【東京】翁長雄志知事は19日午前、在日米大使館でキャロライン・ケネディ駐日米大使と会談した。翁長知事は米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する自身 の立場を表明し、県が求めている臨時制限区域への立ち入り調査を認めるよう求めた。一方、在日米大使館は会談直後に大使が辺野古移設計画について「運用 面、政治面、財政面および戦略的な懸念に対する唯一の解決策であると表明した」などとする報道発表を出した。だが翁長知事や出席した県関係者によると、ケ ネディ氏から辺野古移設に対する直接的な言及はなく、米国大使館側が意図的に大使の発言を歪曲(わいきょく)して発表した可能性もある。

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連載4、 みなさん ご一緒に、 日本と韓国と朝鮮の国民が 友好・親善を!

2015-06-20 | 「私がお話し」します。

 

2、私が「韓国・朝鮮」に関心を持つようになった理由は

子どもの頃 私の隣の席に朝鮮人がいました。

 

  私は、昭和28年4月から31年3月まで三年間、乙訓中学校(現在は勝山)にかよっていました。二度クラス替えがありましたが、なぜか何時も隣の席に同じ韓国人の子どもがいました。三守(サムス)という名前でした。

  随分後になって当時の担任の先生に伺ったのですが、「彼は大橋君の隣にいれば普通にしているが、別のところに座ると横にいる者の邪魔をして授業にならない。君には申し訳なかったが、職員会議で相談して決めたのだ」と説明されました。このことが私の一生を左右する出来事になるとは、思いもしませんでした。

 サムスは、三年になったときには随分体格がよくなり、16キロ走る校内マラソンで一位を取りました。クラス別バスケットボールの試合では、作戦を立て彼をずっとゴールの下にいさせて、皆が彼にボールを集めるとどんどんゴールしましました。作戦が当たってどのクラスにも大差で勝利しました。

彼は、頭がよかったけれどあまり勉強はしませんでした。でも時々95点や100点を取りました。彼は横にいる私の答えをそのまま写して出すのです。そうして悪びれもせず笑っているのです。私も顔を見合わせて笑ったものです。

  彼は休憩時間には、たえず5~6人の友人を連れて校内や運動場でいじめをし、学校中で恐がられていました。ある日、同じクラスの生徒に暴力をしました。

 私は彼とその生徒の間に入り、やめさせようとしましたが、私にも今にも殴りそうな勢いです。私は、弱い子をいじめるな!殴りたければ俺を殴れ!と怒りました。彼は気がついたのか何もしませんでした。

  当時は中学校を卒業すると同時に就職する子どもが多く、高校には3~4割?しか行きませんでした。私は、三年生になった頃から、母子家庭の次男で兄と妹がいましたから、近くで一番給料のよい会社に入って夜学に行くことを自分で決めていました。私は希望する会社と学校に入りました。ところが、サムスは会社に就職できなかったと後で聞きました。

 その理由は、彼が朝鮮人だということだけでした。私はその時初めて、世の中に朝鮮人差別があることを知り、同じ人間なのにおかしいじゃないかと腹が立ったのを、昨日のことのように覚えています。随分日がたって向日町の道路でダンプカーの運転席に乗って通り過ぎる彼を見たことがありましたが殆ど会うこともありませんでした。

 20歳になった頃ひょっこり私の家にきました。「お!どうしてた?」という会話から苦労してきた話を聞いた後、「子どもができて、00病院に入っているが退院させる金がないので貸してくれ」というのです。

 勿論私の家には余分のお金はありません。「いくら必要か」と聞けば「?万円」という。「おれな、背広を買おうと思ってためている金があるのでそれを使えばええわ」といって渡しました。

  後から思えばなぜ私のところへ来たのか、近所にもたくさん知り合いがあるはずなのに・・・今になっても答えは聞いていないのです。何日かしてまた彼が来ました。彼は私を自分の家に連れて行きました。

 そこは、桂川の堤防ぞいにある「0番地」というところでした。わらぶきの二間しかない物置のような家でした。「まあ座ってくれ!」といわれるがままにその土間に座わり周囲を見ましたが何もありませんでした。

 彼は、男の子が生まれたこと、別にアパートを借りていること。日本名を私の名前をとって「みつる」とつけたことを話しました。そうしてどんな仕事をしているか説明したのですが、どう考えても暴力団の手伝いみたいなことでした。

  私は、夜学を卒業後労働組合活動と日本人と朝鮮人は仲良くしようという「日朝協会」の運動をしていることを話しました。彼は京都の朝鮮総連の役員で親戚の人がいると言っていました。どちらからもお金についてはなにもふれませんでした。

 そのあと何年も会うことはなかったのですが、私が留守のときに、貸したお金を返しにきたと母から聞きました。

 その後彼は再婚し何人かの子どもができたのですが、その中に障がい児学級に入らなければならない女の子がいました。奥さんは普通学級にいかせると言い張ったが、彼は、本人のことを考えれば障がい児学級に入れるといって通わせました。せっかく先生にもなれて休まず学校に行っていたのに、その先生が転校になりもう学校へ行かないと言い出しました。彼は大層困って私のところに「相談がある」と電話してきました。

 今なら自由に学校を変わることが出来ますが、当時は住んでいる学区以外のところにはいけませんでした。私は彼に「ええ親父やな! 無理すれば頼めないことはないが、大きな問題にせず転校しようと思えば、その学校区の中にアパートを借りて住所を移せば、トラブルなしで転校できるが、どうするか」と教えました。その後どうしたのか何も言ってきませんでしたが、先生について転校したということを聞き安心しました。

  40歳をすぎた頃に京都市内で中学校の1・2年有志同窓会をしたことがありました。まさか出席しないだろうと思っていたサムスが韓流スターのような息子を連れて参加してきました。当時彼は、そちらの世界では、「長」がつく地位だったと思うのでみんなびっくりしました。プログラムが進んで、ひとりづつ立って近況報告が始まりました。

 サムスに順番が周り、みんな何を言い出すのか、かたずを呑んでシーンとなりまた。

 そこには昔の悪さ坊主の彼はなく、にこにこして話を始めました。今日は子どもをつれてきました。そのままの俺をみてもらおうと思って・・・

 ポツリポツリと話しだした彼は、若くて結婚した経緯やダンプに乗っていたことや、嫁とそりが合わなかったようなことまで話し、子どもができて病院を退院する金がなく大橋君に借りて助かった。その時の子がこの息子で日本名を「みつる」とつけましたというのです。私もびっくりしましたが、20数人いた参加者全員が、子どものころは悪さばっかりしていた彼が、こんなにもすなおな人だったのだと感激したのでした。

 彼は食事もそこそこに、次に行くところがあるのでお先に失礼します、と息子にも挨拶させて帰って行きました。後日になって、その時の思い出話は、みんなサムスのことでした。

 何年かして、身体がボロボロになり、帰らぬ人となったということを聞きました。50歳を少しこえたくらいでした。きっと波乱万丈の人生だったと想像していますが、詳しいことを教えてくれる人は誰もいません。

ただ私との接点は、人間らしいよい面だけが心に残っているのです。   

  私が子どものときに、もし彼に会っていなければ、労働運動と差別問題、社会保障と差別問題、自治体闘争と差別問題、なによりも日朝友好運動と差別問題、などなど社会変革のために身をささげる人生を選んだのも、この出会いが社会への出発点として大きいウエイトを占めることになったのです。

 以来50年以上に渡って日・朝・韓の友好のために活動して来ました。きっと皆さんも、それぞれよく似た話があるのではないでしょうか。私は、このような差別は、絶対なくさなければならないと 今でも強く思っています。
日本と朝鮮・韓国は、毎日の生活でも身近な存在ですし、歴史的にも非常に深いつながりがありました。


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周辺の特定の国を仮想敵として、地域の平和と安定を破壊する恐れがある。

2015-06-19 | 戦争反対・戦争法廃止

国家国民に災いをもたらす日本の安保法案

人民網日本語版 2015年06月16日13:12
 

 日本政府が先月14日に集団的自衛権の行使、日米の軍事的一体化の強化に関する安保法案を閣議決定し、国会に提出して以来、日本各界は違憲の疑いがあ り、国策の大きな過ちだとして次々にこれを問題視している。(文:沈丁立・復旦大学国際問題研究院副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

 14日には日本国民数万人が国会を包囲して、安保法案の可決に断固として反対し、安倍首相の退陣を強く要求した。先週には元与党高官4人が声を揃えて安 保法案を痛烈に批判。集団的自衛権の行使容認のために推し進める同法案は「日本を第2次大戦敗戦以来最大の危機に直面させる」と指摘した。今月初め、国会 の安保法案審査会で、自民党の推薦者を含む全ての憲法学者が一致して安保関連法案を違憲と認定した。

 安倍首相が安保法案を力の限り推し進めるのは、実質的に交戦権を獲得するとともに、米国との軍事協力の強化を通じて、東アジアおよび西太平洋における米 日の強権を維持するためのものだ。だが、交戦権を再び手にすることは、必然的に現行の日本国憲法を根本的に突破し、平和憲法と護憲の民意という二重の壁に 正面からぶつかるものだ。

 日本国民が安保法案に激しく反対するのは、戦後70年の平和的発展を経て再び戦争に巻き込まれることを懸念してのものだ。安保法案が可決されれば、日本 は将来不必要な戦争に巻き込まれるだけでなく、歴史の覆轍を踏み、周辺の特定の国を仮想敵として、地域の平和と安定を破壊する恐れがある。

 こうした懸念は根拠のないものでは決してない。日本は第2次大戦敗戦後、平和憲法を受け入れた。日本はこの憲法によって自衛権が保障されたうえ、軍事同 盟によって同盟国による保護も得た。従って日本の安全は十分に保障されている。平和憲法は日本の安全保障上の懸念をなくしただけでなく、かつて日本に侵略 されたアジア太平洋諸国に平和の積極的なメッセージも発した。

 だが、安倍首相は侵略を否認し、おわびすることを拒絶し、今では平和憲法を突破しようとしている。このような政権が日本をどこへ導こうとしているの か、日本と世界の民衆は深く疑わざるを得ない。日本の右傾勢力と歴史修正主義が台頭する現在、日本国民は日本の平和を保障する最後の防壁が戦争の放棄、戦 力の不保持、交戦権の否認という平和憲法第9条の規定であることを熟知している。

 安倍政権は米国に最大限こびへつらい、国会での安保法案審議前にその期限内の成立を米国に約束した。日本の国民および品性や国家の尊厳をいまだ大切にし ている政治家は、これを国会と法律に対する侮辱と捉えている。安倍首相は力の限り集団的自衛権を追求しているが、イラクを侵犯しておきながら謝罪しない米 国に追随している。これでどうして平和的発展の道を真に歩めるのか?

 自民党内部でも、高官や高官経験者が安倍首相による安保法案の推進に深い懸念を抱いている。安保法案を通じた交戦権の追求および日米の軍事協力強化がも たらす結末を、日本の国民と各界はよく分っている。米国からすると、日本を「アジア太平洋リバランス」戦略の有能な助手にし、地域における覇権的地位を補 強することができる。日本からすると、中国を仮想敵として、米国から安全保障面のコミットメントを一層引き出し、かつて侵略・拡張によって獲得した権益を 維持することができる。いずれにせよ、ひとたび交戦権を獲得すれば日本は米軍と行動を共にさせられるか、米国を頼りにアジア太平洋で様々な災いを引き起こ すかだ。

 安倍政権は独断専行し、権力を笠に着て手段を弄し、大衆を欺き、日本を危険な方向へと押しやっている。これに反対し、平和な未来を守るだけの理由が日本 国民には完全にある。全世界の良識ある全ての人々にも、平和を守る日本国民の正義の闘争を支持するだけの理由がある。(編集NA)

 「人民網日本語版」2015年6月16日

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