常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

コリアンダー

2014年04月22日 | 農作業


昨日の雨で、わが家の畑は、少しだけお湿り。引き続き畝を掘って、牛糞を施す。今日までで、全面積の半分強が終了した。冬を越したコリアンダーが伸びてきたので、耕すのに邪魔なところのものを収穫する。冬を越したので、根はけっこう太くなっている。家のなかで泥を取り、冷凍にするつもりだ。あとは揉んでパラパラにして、カレーやスパゲッティのソースに利用できる。

今年の野菜作りの計画。定番のミニトマト、茄子、キュウリは秋まで収穫できるようにする。三東菜、ズッキーニ、夏大根。里芋、インゲン豆、枝豆。ニンジン、小松菜、京水菜、チンゲン菜、空真菜。ピーマン、甘ナンバン等々。余裕があればトウモロコシ。それからシュンギク、オクラ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、フダンソウ。少量、多種類をめざす。

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菜の花

2014年04月22日 | 


デジカメのコンバーターレンズというのを買った。オリンパスペンのレンズキットでは、マクロ撮影がいまひとつうまく撮れないので、マクロコンバーターにした。早速、近所の空き地で菜の花を撮ってみたが、やはり花に近づいても、ピントが合わすことができる。本当は一面の菜の花畑を取ってみたいが、なかなか遠出はできない。

この花の歴史は古く、弥生時代に中国から渡来した。この種から取るナタネ油は、食用に、また灯火に利用され、日本人の生活になくてはならないものであった。それだけに、この花を見ると、懐かしい思いがする。北海道の実家では、終戦後、このナタネを植えて、油絞りの機械を設置して、油を作って売る計画を立てた。だが家内労働では、生産量もタカが知れて、時間の経過とともに沙汰闇となった。雪が消えてナタネを蒔くと、5月の末ころ茎が伸びてくる。この時期に、込み合った列の疎抜きをするが、そのお浸しの味は忘れられない。

ながき貨車過ぎて一面花菜畑 奥村すみれ

こんな風景も懐かしい思いがする。山形の写真家が、菜の花畑の向こうに頂上に雪を残した月山を撮ってのがあったが、山形の観光パンフレットの定番になった。菜の花は、日本人の心に郷愁を呼び起こす雰囲気がある。


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ヒヤシンス

2014年04月21日 | 


曇り、ときおり小雨が降るが気温は高い。畑で牛糞を施肥。身体中に汗をかく。光禅寺の庭を散策。桜は満開だ。ヒヤシンスがきれいに咲いていた。花の事典を見ると、原産地はギリシャとある。この花にまつわる神話は、去年、このブログに書いた。

北原白秋は

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日

と詠んで、初恋に心をふるわせた日の点景にヒヤシンスを登場させている。その可憐な姿といい、甘い香りは初恋の乙女に比すにふさわしい。ヒヤシンスは風信子という漢字をあてる。「空をみあげるときはいつもひとりぼっち」の歌い出しで始まる松浦亜矢の「風信子」は、自分をヒヤシンスに見立てた青春の歌である。

ヒヤシンスひしめき咲きて三株かな 星野 立子


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ニラの初摘み

2014年04月20日 | 農作業


身体がようやく畑仕事に対応できるようになってきた。今朝も5時30分に起床して、畑に向かう。今日は、畝作りのために、畑をスコップで40センチほど掘り起こし、5mほどのトンネルを3本作り、牛糞を3袋施した。手作業はけっこう疲労するので、毎日少しずつ。作業時間は1時間半ほど、帰りきわに、伸びてきたニラ2株分収穫する。切った茎から、ニラ特有にの香りがする。

畑の土は冬を越し、ここのところの乾燥で土埃が舞っている状態だ。固まった土のかたまりを鍬で砕いて、小さなかたまりにする作業も根気を必要とする。チャペックの『園芸科の12カ月』の文章を思い出し、頭のなかで反芻してみる。

「四月、これこそ本格的な、恵まれた園芸家の季節だ。恋びとたちは、かってに彼らの五月を謳歌するがいい。五月は単に草木が花をひらくだけだ。ところが、四月には、草木が芽を吹くのだ。うそは言わない。このシュートと、蕾と、芽は、自然界における最大の奇跡だ」

だが、現実は、花と芽が混在している。霜の季節を避けて、種を蒔き、苗を植えねばならない。土に愛情をこめて肥料を施し、耕して、野菜たちの根を包み込むやわらかい土の状態を保つ必要がある。倦むことのない作業を続けなければ、それは不可能である。



帰りに公園で早いツツジの花を見つけた。このピンクもまた自然界の奇跡である。空には、ツバメが3羽飛んでいた。餌になる虫を求めているのか、飛ぶ方向を変え急降下する。ことしも、ツバメが渡ってくる季節になった。やがて巣に卵を産んで、子どもの孵化に備える。


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山形城

2014年04月19日 | 日記


久しぶりに、霞城南大手門のお堀端に行ってみた。満開の桜がお堀にうつり込んできれいだった。周辺は歩道が整備され、散策に配慮されていて、すっかり変わった雰囲気であった。昔、早朝にこの堀で釣りをしたり、石垣の上に作られた散策道を散歩したものだが、そんな記憶も薄れゆくようだ。

山形城は、文禄年間(16世紀)、戦国大名へと成長していった最上義光によって拡張され、城郭の修築が行われた。南門にある石積みは、当時の俤を残している。山形駅東へ400mあたりに歌懸稲荷があるが、この西に三の丸の土塁が残っている。この地点から、霞城の二の丸まで東西1.5キロ、香澄町一帯に武家屋敷があった。

本丸にはも義光の居館があり、二の丸には藩庁役所が置かれていた。また、三の丸の外側には町民の町屋敷が置かれた。町家では、市日ごとの商いが行われ、その市日によって町名がついている。最も繁華街として発展したのは、七日町で、続いて三日町、十日町、六日町、二日町、八日町が現存している。また、職人町が置かれたことも特徴の一つである。蝋燭町、鍛治町、銅町、鉄砲町、檜物町などそこへ行けば、欲しいものが手に入る職人の町であった。

この街にすんで50余年、ふと路地に懐かしい面影が残っているが、そこを訪ねても知っている人は、少なくなっている。10年くらい前までは、変化の乏しい町という印象を持っていたが、退職後、あまり町にでかけなくなってから、町の様子が急に変わったような気がする。


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